France ![]() 国連 1980 発行 |
切手で綴る フランスの冒険大航海(Great Adventure Voyagee)フランス冒険航海(V-4)
ルイ・ドゥ・エル 1838/5/5 レユニオン島総督 エルブール パソット艦長 |
大航海物語 フランス編★ |
MADAGASCAR ET DEPENDENCES
1841 マヨット島植民100年記念 1941 マダガスカル (仏ビシー政府) 1942 発行 |
| TERRES AUSTRALES ET ANTARCTIQUES FRANCAISES 19世紀のフランス艦 ![]() フランス南極地方 1972/1/31 発行 |
| REPOBLIKA MALAGASY ノシ・ベ島 ![]() マダガスカル 1962/5/7 発行 |
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ドイツとの国境に近いフランスのアルザス生まれの幼いルイ・ドゥ・エルはフランス大革命期を港町ブレストで過ごし、貴族として教育を受け、フランス海軍で功をなし、提督となりました。その後にレユニオン島の総督になり、帰国してからはブレストで軍務につき、退役後は故郷に帰り81才で亡くなりました。 |
| アンヌ・クレティアン・ルイ・ドゥ・エル総督 Anne Chretien Louis de Hell (1783/8/25〜1864/10/4) (レユニオン島総督在任:1838/5〜1841/10) ルイ・ドゥ・エルはアルザス地方(Alsace)で有望な若い貴族として生れ、現ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州 オベルキリッヒ(Oberkirch、Land Baden-Wurttemberg)に行き、6才で准尉(sub-lieutenant)の資格を与えられました。フランス革命(1789-1794)の大動乱期には家族の友人の世話でフィニステール県ブレスト(Brest, #44)に移りました。そこで教育を受け、フランス第一帝政(First French Empire、1804-Napoleon I 、1815- Napoleon II )時代に、フランス海軍の提督(少将、rear admiral)になり、ブレスト海軍学校(Ecole Navale)の司令官にもなりました。 1838/5/5〜1841/10/14の間はレユニオン(ブルボン)島総督(governor of the Isle de Bourbon、Reunion)になり、奴隷制度廃止運動に取組みました。レユニオン島サラジーというコミューンの中の村エルブール(Hell-Bourg)、そしてマダガスカルのノシ・ベ島(Nosy Be:Nossi-be)島のエル・ヴィル(Hell-Ville、現Andoany)はルイ・ドゥ・エル総督にちなんで名付けられました。 1841年にレユニオン総督ルイ・ドゥ・エルはマダガスカル島サカラヴァ王国のティオメコ女王(Boina Sakalava kingdom Queen Tsiomeko)とノシ・ベ島をフランスの保護領とする条約に調印しました。同年にフランスに帰国して、マンシュ県シェルブール=オクトヴィル(Cherbourg-Octeville, #82)の議会議員に選出され、後に知事になりました。 1847年にグラン・テスト地方(アルザス地方)にあるバ=ラン県(Bas-Rhin, #8)ストラスブール(仏:Strasbourg)(Chamber of Deputies of France)の海軍地理室長官(naval cartography office)となり、退役して故郷に帰って81才でドイツのオベルキリッヒ(Oberkirch)近郷の先祖の城にて亡くなりました。 参考:〜 ・エルブール Hell-Bourg エルブールはレユニオン島アンシェン近郷のサラジーというコミューンの中の村で、19世紀中頃のレユニオン島の総督ルイ・ド・エル(在任:1838-1841)にちなんで名付けられた。この村には19世紀後半に裕福な大農園主や商人によって温泉の近くに建てられた家がたくさんある。断崖に突き出した竹林に取り囲まれた飾りの多い墓地がとりわけ風変わりで、 エルブールの温泉が有。
参考HP:〜 ・レユニオン島の地図 ・マヨット島の地図 ・マヨット諸島の地図 ・コモロ諸島とマヨット島の場所地図 ・マヨットの紋章 ・ノッシ・ベ島とマダガスカル島(矢印の島) ・フランスの県区分地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2010/2/3、令和 R.8/4/26(2026) |
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