Denmark 国連 1988 発行 |
切手で綴るデンマークの自治領
グリーンランド Greenland | 大航海物語 参考資料 地図編★ |
グリーンランド 1969/3/11 発行 |
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イヌイットの隊員 | ラスムッセンのグリーンランド島探検(1902-1904) | ラスムッセン |
グリーンランド 2003/3/12 発行 |
グリーンランド Greenland (Land of the Greenlanders) 面積:2,166,086ku(オーストラリア大陸の約29%)、人口:56,385人(2003)、通貨 デンマーク・クローネ(DKK)、デンマーク領、自治開始:1979年、1番切手:1938年発行。 グリーンランド (Greenland(緑の地)、グリーンランド語”Kalaallit Nunaat”は「人の島」の意)は北極海と北大西洋の間にある世界最大の島で、大部分が北極圏に属し、全島の約80%以上は氷河と万年雪に覆われ、氷の厚さは3,000m以上に達する所もあり、氷の重さで島の中央部の地面は海面より300mも低い。氷は中央部から周囲の海岸へゆっくり流れ出している。海岸線は39,330kmに及び赤道の長さに相当。内陸部のほとんどは厚い氷で覆われているので、町や居住地は氷の無い所の海岸部のみに存在する。人口は島の西海岸に集中。北東部は世界最大の国立公園の北東グリーンランド国立公園となっている。カナダとの国境線上にあるハンス島の領有をめぐってはカナダとデンマークの間で係争中。グリーンランドは現在の氷河に覆われていない南部海岸地帯がエイリーク(※)の頃は温暖期で緑にあふれていた。 一院制議会(31議席、議員任期4年、解散あり、直接選挙・普通選挙)が存在し、自治政府首相が政権を担当(議院内閣制)。主要政党は進歩党、連帯党、イヌイット友愛党など。デンマークが欧州連合(EU)の前進である欧州共同体(EC)に加盟した際、グリーンランドもその一部として加盟した。しかしその後、高度な自治権を獲得したグリーンランド政府は、1985年、ECを離脱している。グリーンランドは、島内のほとんどの土地が厚い氷に覆われており、地下資源の採掘が困難であった。しかし、地球温暖化の影響で少しずつ氷が溶解しており、今後採掘のスピードが速まると予想される。グリーンランドの地下には中東地域に匹敵する量の石油が存在するとされており、地下資源収入が経済的にグリーンランドを支え、デンマークからのグリーンランド独立が容易になるとも指摘される。 982年頃に ヨーロッパ人としてはアイスランド島のヴァイキング赤毛のエイリークが発見しグリーンランドと命名、入植が始まった。15世紀ごろにヴァイキングの入植地は全滅し、住民はカラーリットのみとなり、西洋の歴史から一時姿を消した。全滅の訳は中世の温暖化が終わりを告げ、増えた人口を養うことができなかったという説もある。1380年にはノルウェー王国がデンマーク王国の支配下に入って後の16世紀半ばに再発見され、18世紀にゴットホープ(現ヌーク)に植民地がつくられ、同時に布教も行われた。 1721年にノルウェーの宣教師に率いられた一団がグリーンランドに上陸。この一団の目的は、グリーンランドにおける欧州人の居住の確認および布教にあった。商人も含まれていたこの一団によって、欧州人によるグリーンランドの再定住化が行われた。この植民地はゴットホープ(現在のヌーク)と呼ばれグリーンランドの南西岸に建設された。また、イヌイット(カラーリット)と交易を行い、イヌイットの一部へのキリスト教布教に成功している。1774年にデンマーク王政府による王立グリーンランド貿易会社が設立された。 19世紀以降になると、探険家や科学者がグリーンランドを訪れるようになった。1888年にはナンセンがスヴェルドラップ船長と4人の仲間とともにグリーランドの横断に成功。グリーランド生まれの探検家クヌート・ラスムッセンは1902年にイヌぞりで探検を行い、地理的な発見や民俗資料の収集を行っている。19世紀の終り頃のグリーンランドは捕鯨が主な産業となった。 1917年以降はデンマークの支配が全島に及び、1953年本国の県と同様の自治権を得た。1973年デンマークのヨーロッパ共同体(EC)加盟と共に、ECの漁船操業と漁獲高に関する規定がデンマーク本国とその領土に適用されたが、グリーンランド住民は反発し自治を要求。1979/5月に自治政府が発足し、グリーンランドはデンマークの自治領となった。1985年グリーンランド政府はECを離脱した。
参考HP:〜 ・グリーンランド島の地図 ・ヴァイキングの航海と移住の地図 2009/3/6 |