★マゼラン物語

第1章
第2章
第3章
第4章

Spain

国連 1988 発行
第3章  世界一周 (別表)
略 年 表
1517〜1522
マゼランの大航海

大航海物語
  スペイン編


ィクトリア
UMM AL QUWAIN

大航海者シリーズ
ウム・アル・カイワイン 1972 発行
マゼラン船長

・マゼランの大航海の略年表
1517 ドゥアルテ・バルボーサマゼランセビリアへ招待 サンルーカル・デ・バラメダ

スペイン 1988 発行
--- マゼランがバルボーザの妹ベアトリス(Beatriz)と結婚
1519年
03/30 カルロスI世メンドーサをマゼラン遠征船隊の会計官に任命
04/19 エスピノーザがマゼラン船隊の上級幹部に任命され、
セビリア、カディス、パロスなどで、遠征の隊員募集を担当
08/10 マゼラン隊がグアダルキビル川下りでセビリアを出発
09/20 マゼラン船隊が5隻の船隊サンルーカル・デ・バラメダを出帆
09/26 カナリア諸島テネリフェ島に到着、補給で停泊。マゼランが義父ディオゴ・バルボサから秘密の手紙を受領。カスティーリャ人船長の一部(サンアントニオ号カルタヘナ船長の陰謀説)が反乱を計画と警告、ポルトガル国王カラベル艦隊2隻を逮捕に派遣を知る
10/03 テネリフェ島出帆
11/20 頃、サン・アントニオ号カルタヘナ船長が逮捕され、コカが後任の船長となる
11/29 ブラジルのサント・アゴスティーニョ岬(Cape St. Augustine)を望見
12/13 リオデジャネイロ湾(Santa Lucia Bay:Rio de Janeiro Bay)に進入、上陸
12/20 ソドミー裁判でサラモン甲板長が絞首刑、見習水夫ジノベス船外板上歩行刑で落下死
12/27 リオデジャネイロを出帆
1520年
01/10 ラプラタ川河口(河口部が全幅約270kmの三角江)到達
01/12 リオ・デ・ラ・プラタ(Rio de la Plata, 290km)川へ進入
02/27 バイーア・デ・ロス・プラトス(Bahia de los Platos)湾へ進入
03/31 アルゼンチンパタゴニアのサン・フリアン湾に到着、プエルト・サン・フリアンで越冬準備
(現アルゼンチンのサンタクルス州パタゴニアの自然港)
04/01 イースター反乱、勃発
04/02 反乱者メンドーサが殺害されてヴィクトリア号が奪還され、反乱鎮圧
後任の船長に、サンアントニオ号はメスキータ、ビクトリア号はバルボーサが就任
04/07 反乱者ケサーダを処刑
7月 パタゴニアの巨人(テウェルチェ族(Tehuelche)か?)と遭遇
07/17 サンティアゴ号が南方偵察のためサン・フリアンを出帆
08/05 サンティアゴ号がサンタクルス川(Rio Santa Cruz, 385km)を発見、投錨
08/10 頃(5/3説有)、サンティアゴ号がサンタクルス川河口からの脱出を試みるも、嵐で難破、犠牲者一人を除き全員助かり生還者が徒歩でプエルト・サン・フリアンへ帰着、
サンティアゴ号船長セラーノがコンセプシオン号の船長となる
マゼラン海峡の地図

チリ 1944/3/2 発行
08/11 反乱者カルタヘナをパタゴニア陸地に放置、置き去りの刑
08/24 4隻がサン・フリアンを出帆、
サンタクルス川を目指して太平洋への通路を探索
09/20 マゼラン海峡の発見説有
10/18 船隊がサンタクルス川を出帆
10/21 ビルへネス岬(Cape of the Eleven Thousand Virgins,「1万1千人の処女」岬)に到達、未知の海峡(現マゼラン海峡)へ進入
10/31 (10/21説有)サン・アントニオ号がマゼラン砂州(Magdalen Sound)の探索に出て船隊に戻れなくなり、ゴメスは船長メスキータを幽閉して独断でスペインへの帰路に就く
その後、サンアントニオ号は、1521/5/21スペインへ帰還
11/20 3隻ビクトリア号トリニダード号・コンセプシオン号がマゼラン海峡を通過、太平洋へ
11/28 チリ南部、太平洋岸のデシアド岬(Cabo Deseado)を望見
1521年
01/28 長い航海の後、無人島に接近
マゼランはサンパブロ島と命名(クック諸島プカプカ環礁と推定)、停泊
02/04 サン・パブロ島(フリント島、San Pablo Island:Vostok Island or Flint Island)出帆
02/05 ビクトリア号の見習い水夫アヤモンテとサルダーニャがティーモール島沖で脱走
03/06 マリアナ諸島のグアム島に到達、チャモロ族と遭遇、ラドロネス(Ladrones:泥棒)諸島と命名
03/16 太平洋を横断航海してフィリピンに到達、スルアン島に向かい、休息のため数時間投錨
スルアン島は東サマル州の小島で、ホモンホン島(同州)に移動、投錨
03/28 リマサワ島でフマボン島王のコランブ王(Rajah Kolambu)船隊に見つかる
後にその招きでセブ島へと案内される(4/7)
03/31 フィリピン初のミサをリマサワ島で挙行
04/07 フマボン王の招きでセブ島へと案内され、セブ王国(Rajahnate of Cebu, 1400頃-1565)に到着
そこの住民は友好的でも、マクタン島の王ラプラプは反抗的
04/27 マクタン島の戦いでマゼラン総司令官が戦死
セラーノとバルボーサが後任の共同船隊司令官に選出され、
アフォンソ・デ・ゴイスがビクトリア号の新船長に就任
05月 ポルトガル艦隊7隻がマゼランの逮捕のためティドーレ島に到着
05/01 セブ王ラジャ・フマボンの大宴会でバルボーサ他、30人が殺される(アフォンソ・デ・ゴイスも)、3隻はすぐに出帆(セラーノは囚われて後に殺される)
05/02 セビリアから出帆した277人のうち108人が生存するも人員不足で、
3隻の維持が困難となり、害虫損傷のコンセプシオン号をボホール島で焼却処分後、
主任航海士カルヴァーリョがトリニダード号船長に就任して新船隊司令官となり、
エスピノーザがビクトリア号の船長に就任、船隊はミンダナオ島を目指してセブ島を出帆
09/21 カルヴァーリョの不正疑惑で船隊司令官がアントニオ・メンドーザに交代、
エスピノサがトリニダード号の船長に就任、
エルカノがビクトリア号の船長に就任
09/30 エスピノーサがスパイス諸島への航海を続けるよう手配、
ボルネオ島ブルネイを目指しミンダナオ島を出帆
11/7 両船がモルッカ諸島に到着
11/8 両船がモルッカ諸島チドール島(Tidore)に停泊
チドーレ島の王アルマンゾール(Almanzor)に交易の許可を求める
交易で商品(布、ナイフ、ガラス製品など)と引き換えに大量のクローブを購入
12/15 両船はクローブを積んで出発準備をする
12/18 トリニダード号が水漏れし、検査で問題が深刻であることが判明、
修理のために残留後、東回りで帰国を目指す
12/21 エルカノ指揮下のビクトリア号がチドール島を出帆、西回りでスペインへの帰国を目指す
1522年
01/25 ビクトリア号がティモール島に到達し、インド洋に出てインド洋横断を開始
04/06 トリニダード号エスピノーザ船長がクローブ50トンを積んで
東回りの帰国を目指してチドーレ島を出帆してパナマのダリエン行きを目指す
04/16 トリニダード号がマリアナ諸島(グアム島?)到達、3人が行方不明となり北東に向い
嵐や壊血病などで30人が死亡、最終17人だけとなり、
5/19頃(4/16から5週間後)、ダリエン行きを断念して引き返す
7/15頃(引き返し後2ヵ月)、トリニダード号は嵐に巻き込まれる
9/5頃(出帆約5ヵ月後)トリニダード号モルッカ諸島チドーレ島に沈没寸前で到着
チドーレ島でポルトガル艦隊の武装隊は、帆船の帆もロープも無い沈没寸前の
トリニダード号と瀕死の乗組員を発見して拿捕、17人が捕虜になり
エスピノーサ船長がポルトガルに救助を要請してテルナテ島に移送され、
5ヵ月間(1923/2/5頃)拘留される(4人だけがヨーロッパに帰国)
05/22 ビクトリア号が喜望峰を望見、回航
07/09 ビクトリア号で飢餓により20人目が亡くなり、
ポルトガル領カーボベルデ諸島サンティアゴ島に到着
ビクトリア号の乗組員13人が食料を購入しようとしてポルトガル人に捕らえられるも
ビクトリア号は26トンのスパイスクローブシナモン)の貨物を積んだまま脱出
09/06 エルカノ船長ビクトリア号がサン・ルーカル・デ・バラメダに帰還、最初の世界一周
09/08 ビクトリア号の乗組員がセビリアに到着して世界周航を完遂
1523年
02月 エスピノーサ船長らはバンダ諸島に移送され、4ヵ月間拘留
そこからジャワ島へ移送、その後マラッカに移送される(2年間拘留)
1524年
11月 エスピノーサらはインドのコーチンに移され、4ヵ月間拘留される
エスピノーサと残った少数がジョアン3世結婚の恩赦でリスボンへ移送される
1526 エスピノーサら4人がリスボンに到着、7ヵ月間拘留される
1527 エスピノーサがリスボンで釈放される。
※日付:異説有

5隻の船隊>:〜船長の推移
・船隊司令官 最初:マゼラン(1519/9/20-1521/4/27)
後任:セラーノ・バルボーザ共同(1521/4/27-1521/5/2)、カルヴァーリョ(1521/5/2-1521/9/21)、

    エスピノーザ(1521/9/21-1521/12/18、2隻の船隊が分離)
・トリニダード号 最後:1522/9月頃、チドーレ島に沈没寸前で到着
最初:マゼラン(1519/9/20-1521/4/27)
後任:セラーノ(1520/4/27-1521/5/2)、カルヴァーリョ(1521/5/2-1521/9/21)、エスピノーザ(1521/9/21-1522)
・サン・アントニオ号 最後:1521/5/21、逃亡・スペインへ帰還
最初:カルタヘナ(1519/9/20-11/20 頃)、副長エロリアーガ
後任:コカ(1519/11/20 頃-?)、メスキータ(?-1520/10/31)、ゴメス(1520/10/31-1521/5/21)
・コンセプシオン号 最後:1521/5/2、焼却処分
最初:ケサーダ(1519/9/20-1520/4/2)、甲板長(ボースン:Boatswain)エルカノ説有
後任:エルカノ(1520/4/2-1520/8/10頃)説有、セラーノ(1520/8/10頃-1521/5/2)
・ビクトリア号 最後:1523/9/6、エルカノ船長・帰国、最初の世界一周達成
最初:メンドーザ(1519/9/20-1520/4/2)
後任:バルボーサ(1520/4/2-1521/4/27)、ゴイス(1521/4/27-1521/5/2)、エスピノーザ(1521/5/2-1521/9/21)
    エルカノ(1521/9/21-1523/9/6)
・サンティァゴ号 最後:1520/8/10、難破
最初:セラーノ(1519/9/20-1520/8/10頃)

こちらで
フェルディナンド・マゼラン
ファン・セバスチャン・エルカノ船長
スエズ運河
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
世界遺産の
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     令和 R.2:2020/6/17

スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止