コンキスタドール(スペイン人征服者) |
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★スペイン | ミゲル・ド・レガスピ 1564 フィリピンに植民地建設 |
大航海物語★ |
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レガスピ |
サン・レスメス号 San Lesmes |
1564 レガスピのフィリピン植民400年記念 1964 メキシコ 1964/11/10 発行 |
NORFOLK ISLAND レガスピとサン・レスメス号 1564〜65の太平洋航海地図 Legaspi & San Lesmes ノーフォーク 1994 発行 |
FILIPINAS レガスピとウルダネータ銅像 1565キリスト教化400年記念1965 フィリッピン1965/10/4発行 |
レガスピは1564年フィリピンへ向けメキシコを出帆し、フィリピンを征服して、初代のフィリピン総督になり、同地で70才でなくなりました。 |
ミゲル・ロペス・ド・レガスピ (1502〜1572/8/20) Miguel Lopez de Legaspi レガスピは、1565年にフィリピン諸島を征服し初代フィリピン総督となったスペインのコンキスタドール(征服者)で、別名「エル・アデランタード El Adelantado、司令官」とか「エル・ヴィエホ(El Viejo)老人」とか呼ばれました。 1502年レガスピはスペイン・バスク地方のギプスコアにある小さな町スマラガ Zumarragaで、地元の貴族ドン・フアン・マルティネス・ド・レガスピ(Don Juan Martinez de Legazpi)の末息子として生まれ、1526〜27年の間は故郷の町の議会議員として活動しました。 彼の両親が亡くなり、その財産のすべてを兄が相続してしまったことへの不満と、新大陸ブームに熱中するスペインの若者の一人として、1528年エルナン・コルテスがメキシコに入植地を建設した後、レガスピはメキシコに作られたスペインの植民地「ヌエバ・エスパーニャ」に渡り新生活を始めました。ヌエバ・エスパーニャのトゥラスカーラで彼はホアン・ガルセスとその妹、イサベル・ガルセスと働きました。後にレガスピはイサベルと結婚し、9人の子をもうけました。イサベルは1550年代半ばに亡くなりました。1528〜59年の間、レガスピは財務部局評議会のリーダーとして、メキシコ市の市長として働きました。 1564年初頭スペイン王フェリペ2世によって命令された香料諸島(モルッカ諸島)への遠征が、副王ルイス・デ・ヴェラスコによって、レガスピに対し太平洋に出帆し香料諸島への遠征の指揮を執るよう任命されました。香料諸島は高価なスパイスを産出するため羨望の地となっており、1521年にはフェルディナンド・マゼランが、1543年にはルイ・ロペス・ド・ヴィリャロボスがスペインの艦隊を率いて太平洋を横断しこれらの島々に到達していましたが、インド周りで航海するポルトガル人によって先に征服されようとしていました。1564年7月に副王は亡くなりましたが、副王の下のアウディエンシア(司法官)とレガスピはすでに遠征の準備を完了していました。 1564/11/21の早朝レガスピはサン・レスメス号(San Lesmes)に乗船し、5隻からなる遠征艦隊、聖アウグスチノ修道会のアンドレ・ド・ウルダネータの乗船サン・ペドロ号(San Pedro)、サン・パブロ号(San Pablo)、小型船のサン・フアン号(San Juan)とサン・ルーカス号(San Lucas)と500名の兵士、およびフランシスコ会からの修道士を連れて、現在のメキシコ西海岸・ハリスコ州にあるバラ・デ・ナヴィダード(Barra de Navidad)の港を出帆しました。1565年のはじめ、彼らはマリアナ諸島に上陸し、短期間停泊し物資を再補給。彼らはチャモロ人との抗争を起こし、いくつかの家屋を焼き払いました。 1565/2/13にレガスピは83日かけて太平洋を横断航海し、フィリピン諸島 に到達しセブ島の海岸に上陸しました。現地人との短い戦いの後、彼らは一旦島を去り、近くのレイテ島とカミギン島を転々とした後、3月16日にボホール島の海岸に漂着。彼らは現地人たちに、自分たちは島を奪いに来たポルトガル人ではないと説得し、スパイスと金を手に入れました。レガスピは地元の首長(ダトゥ)・シカトゥナと血盟を結びました。互いに腕を切って血を流し、杯に入れて飲み合い、互いの友情の証としたのです。4月27日、レガスピたちはセブ島に戻りました。島の東岸にあるスグボ(現・セブ市)を治めていたのは、かつてマゼラン来航の際にキリスト教に改宗したラジャ・フマボン王の、息子にあたるラジャ・トゥパスでしたが、レガスピの兵隊たちはこの町を攻撃し破壊しました。ここに、彼らはフィリピン諸島における最初の入植地、ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス(Villa del Santisimo Nombre de Jesus、イエスの最も聖なる御名の村)とヴィラ・デ・サン・ミゲル(Villa de San Miguel、聖ミカエルの村)を建設しました。 1567年にスペイン王の命令により、200人のスペイン人とメキシコ人の兵士がセブ島に着きました。彼らは入植地に都市を建設し、フエルサ・デ・サン・ペドロ(サン・ペドロ要塞)を築いてメキシコとの貿易の前哨地点に、また敵意のある現地人の反乱に対する備えにしました。これは今もセブ市の海岸に建っています。 1568年にレガスピは部下を一人スペインに戻し、彼らの成果を報告させました。レガスピ自身は健康の問題と高齢のためセブに残り、後のマニラ征服の際にも兵士たちに同行しませんでした。この頃彼は北方のルソン島のマニラに財宝があることを聞き、二人の副官、マルティン・デ・ゴイティ(Martin de Goiti)とフアン・デ・サルセド(Juan de Salcedo)を北部地方 の探検に向かわせました。 マニラ征服は1569年末、300人のスペイン兵、騎兵、数名の現地人の兵士たちがマルティン・デ・ゴイティに率いられセブ島を出発し、フィリピン中部、ヴィサヤ諸島の北部の探検を開始し、パナイ島に到達し、ミンドロ島で中国人の海上貿易商人と遭遇し紛争になりました。ゴイティとサルセドはミンドロ島東岸の中国人海賊の暴徒たちと戦い、彼らを破り島から追い出しました。スペイン人植民者たちは後にこの海岸に入植地を築きました。 1570/5/8にスペイン人植民者らはマニラに到達し、マニラ湾に入りましたが、中国や東南アジアと交易するマニラ港の規模や豊かさをその目で見て圧倒されたと伝えられています。彼ら一行はムスリムとなっている現地人たちに歓迎されました。当地のムスリムの王、ラジャ・スリマン(Rajah Suliman)と同盟を結ぶふりをする間、ゴイティの兵士たちはマニラ郊外で 数週間キャンプを張りました。植民者たちがわざわざキャンプを張ったのは、現地人を騙して彼らの来訪と滞在があくまで短期間に過ぎないと思わせるためでもありました。 5月24日、スペイン人たちと現地人たちの間に争いが起こり、これを契機にスペイン兵たちはマニラ近郊のトンドにあったムスリム居住区とマニラの街に進軍し、スリマンの兵士たちとの戦闘が開始されました。重武装のスペイン兵はスリマンの兵を破り一帯を制圧。こうして、マニラはスペインによって征服されました。 同じ頃、更なる援軍がメキシコからセブ島に到着していましたが、これに刺激されたレガスピはセブを去ることにしました。彼は250人のスペイン兵と600人の現地人兵を連れてレイテ島やパナイ島を探検。レガスピはゴイティとサルセドがマニラを征服したと聞き、彼らの後を追い、翌1571年マニラに着きました。マニラでは、レガスピは地元のムスリム共同体の評議会、ラジャ・スリマン、マタンダ、ラカンデュラら、有力者たちと平和条約を結びましだ。両者は、2人の市長、12人の評議員と1人の書記からなるマニラ市評議会を形成することで合意。 1571/7/24にレガスピはついに恒久的な入植地をマニラに建設しました。そして城壁都市イントラムロスの建設も指示しました。彼はこの街がフィリピン諸島の首都であり、西太平洋におけるスペイン政府の恒久的な領土になったと宣言。聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会の宣教師の助力により、彼はフィリピン諸島に政府を樹立。彼は最初のフィリピン総督になり、現地人をローマ・カトリックに改宗させていきました。彼の支配に反抗する者たちは拷問され処刑されましたが、彼らを支援した者たちは功績を称えられ、エンコミエンダ制によりエンコメンデロに任命されました。彼らは土地と現地人を委託され、現地人のキリスト教化や保護をする代わり、彼らを労役のため徴発し税を取り立てる権利を得ました。 晩年のレガスピは1572年にマニラで心不全で死ぬまでの1年間、植民地を統治しました。彼は征服活動の間、個人資産のほとんどをそのために使ってしまったため、貧困と破産のうちに亡くなり、わずか数ペソしか遺さなかったと伝えられています。レガスピは後にイントラムロスのサン・アウグスティン教会にその遺体を安置されました。彼は、1574年にスペイン王からマニラ市へ、「著名にして永久に忠実なスペインの都市 Insigne y Siempre Leal Ciudad de Espana」という称号が贈られ、その記念祭が盛大に開催されました。 レガスピが亡くなるまでに、フィリピンを構成する三大地域(ルソン島周辺・ヴィサヤ諸島・ミンダナオ島周辺)のうち、ミンダナオ島南部以外はスペインの支配下に入っていました。続く256年の間、フィリピンはヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の植民地となったのでした。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/6/12 |