切手で綴る 海戦大航海 (Naval Battle Voyage)
France

国連 1980 発行

デェスタイン提督
1778
フランス艦隊を率いてアメリカ独立軍を支援
大航海物語
 フランス編

REPOBLIKA MALAGASY
デェスタイン提督
ランガ
|

ック
1776 アメリカ独立戦争200年記念 1976
マダガスカル 1975/6/30 発行
REPUBLIQUE DE COTEDIVORE
デェスタイン提督
海兵隊員
1775 アメリカ独立戦争200年記念 1975
コート・ジボアール 1975 発行

ST.LUCIA
カル・デ・サクの戦い、1778/12/15
負傷兵


スタイン提督

仏士官

英士官
1778 カル・デ・サクの戦い200年記念 1978
The Battle of Cul-de-Sac, 1778
セントルシア 1978 発行

フランスのデェスタイン提督は1778年に26隻のフランス艦隊を率いて、アメリカ独立軍の支援に、フランスのツーロン港を出帆し、北米沿岸からカリブ海諸島方面のイギリス艦隊と戦いました。フランス大革命では、哀れギロチンの露と消えました。
海軍大将ジャン・バプティスト・シャルル・アンリ・ヘクター、デスタイン伯爵
(Admiral Jean Baptiste Charles Henri Hector, comte d'Estaing、1729/11/24〜1794/4/28)
デェスタイン提督はフランス・プロバンス地方のコディノー(Codignat)城で貴族の子息として生まれました。1757年に28才で陸軍大佐として陸軍に入隊しました。そして1759年に准将になってラリイ提督(Thomas Arthur, comte de Lally, baron de Tollendal 1702-1766)と東インドへ派遣され、マドラスの包囲攻撃戦(Siege of Madras 1758)でイギリスの捕虜となりましたが仮釈放され、フランス東インド会社に入社し、2隻の帆船を指揮しましたが、インドネシアのスマトラ島とペルシャ湾でイギリスに フランスのシャトー(城)

フランス 1952 発行
破壊されました。1760年にフランスへの帰路、不運にもイギリスの手に落ちました。そして仮釈放は取り消されて、イギリスのポーツマスの牢獄につながれることになりましたが、それは実現せずに間もなく放免されました。フランスへ帰国し、1763年に海軍少将(lieutenant-general)になりました。

1777/4/13に副海軍大将(vice-admiral)になりました。1年後にデェスタイン提督はアメリカ独立軍支援のため、戦艦12隻とフリゲート艦14隻のフランス艦隊を率いてツーロンから大西洋を越えてアメリカへと出帆しました。1778/7/11と22日にニューヨーク港の入口サンディ・フック(Sandy Hook, New Jersey)でイギリスのハウ提督をブロックしましたが、賢明にも、あえて戦いは挑みませんでした。アメリカの将軍達と軍議をした時に、ロードアイランドのニューポート(Newport, Rhode Island)攻撃を提案しました。そしてハウ提督艦隊との決戦というときになって、突然、猛烈な嵐がきました。デェスタイン艦隊は嵐で相当な被害を受けて修理のためボストン港に入港しました。
1778/11/4に西インド諸島へと出帆しました。イギリスのバリントン提督セント・ルシア島沖でセントルシアの海戦を戦い、セント・ヴィンセント島グレナダ島を占領しました。 1779/7/6にイギリスのバイロン提督グレナダの海戦を戦い、勝負がつかず、バイロン艦隊はセント・クリストファー島へ退避。デェスタイン提督は優勢なる艦隊を保持するも停泊地の攻撃はせずに、サバンナ(Savannah, Georgia, USA)攻撃へと動き出しました。こうした試みにもかかわらす、町はイギリス艦隊の攻撃で重大 セントルシアの海戦

セントルシア 1978 発行
な損害を出し、フランス艦隊は撃退されたので、デェスタイン提督は辞任に追い込まれました。

1780年にデェスタイン提督はフランスに戻り、不本意にも裁判にかけられました。3年後スペイン・カディス艦隊の司令官に指名されるも、平和になったので何の戦いもありませんでした。その時から政治を志してスペインの大公となり、1787年にフランス議会(Assembly of Notables)に選出されました。
1789年にフランス大革命が勃発すると、デェスタイン提督が考えたヴェルサイユの国家警備隊長になりました。そして1792年に議会(Assembly of Notables)で海軍大将に選ばれました。しかしながら国家改革の時には王政擁護者となり、1793年にはフランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette, 1755-1793/10/16)に有利な証言をしたので、1794/4/28に哀れギロチン台の露と消えました。ああ、無情! フランス大革命

フランス 1988 発行
・ランガードック号の装備:〜
  Languedoc
、1766、アメリカ独立戦争時、デェスタイン提督艦隊の旗艦
船 型 フランス3等戦列艦
(80-gun French Third rate ship of the line)
ランガードック号、1778
帆 柱 3本
全 長 59.8m
全 幅 14.9m:(ビーム Beam)
喫 水 7.5m:(ドラフト Draft)
重 量 1754屯
乗組員 670人
進 水 1766年、ツーロン(Toulon)
最 後 1799年、ブレスト(Brest)、解体処理
武 装 36-pdr砲30門、砲列甲板(Gundeck)
24-pdr砲32門、上甲板(Upper gundeck)
18-pdr砲18門、楼甲板(Castles)
          合計:砲80門、2層砲列甲板
          砲10門追加後、旗艦で計:砲90門となる

・セントルシアの海戦
 (Battle of St. Lucia, 1778/12/15)イギリスの勝利
 別名:カル・デ・サクの戦い(Battle of Cul de Sac)
セントルシアの海戦はアメリカ独立戦争中に、イギリス海軍とフランス海軍が西インド諸島のセントルシア島沖で戦った海戦。アメリカ独立戦争に参戦したフランス王国は、1778/9/7にイギリスのドミニカ島を占領。11/4にフランスのデスタイン提督はマサチューセッツ州ボストン港(Boston, Massachusetts)を西インド諸島に向けて出帆。
カル・デ・サク戦の地図と戦列艦

Costline Cross Islet to Cul-de-Sac
その同じ日に英ウィリアム・ホサム提督(Admiral William Hotham, 1st Baron Hotham, 1736-1813)が西インド諸島のイギリス艦隊を強化するためにニュージャージー州サンディフックを出帆。フランス艦隊は激しい嵐に難渋して後れを取り、イギリス艦隊が先にカリブ海のバルバドス島に到着(12/10)、リーワード諸島駐屯のイギリス海軍司令官サミュエル・バリントン提督が合流。12/12にセントルシア島に向けて出帆し、英軍増援部隊がセントルシア島グラン・カル・デ・サク(Grand Cul de Sac, St. Lucia)に上陸。12/14にデスタイン提督艦隊がセント・ルシア島に到着し、フランス部隊が上陸。12/15に英陸上砲台がフランス艦隊へ発砲して戦いが始まりました。12/29にデスタイン艦隊が撤退して去り、島のフランス兵はイギリス軍に降伏しました。
仏英の艦隊 主力 その他 司令官
・フランス 戦列艦12隻 フリゲート艦4隻 デスタイン提督
・イギリス 戦列艦7隻 フリゲート艦3隻 バリントン提督
フランス艦隊:〜 戦列艦
・ゼレ号 Zele 74
・トナン号 Tonnant 80
マルセイユ号 Marseillais 74
ランガードック号 Languedoc 80 旗艦、デェスタイン乗艦
・ヘクター号 Hector 74
・セザール号 Cesar 74
・ヴァイヨン号 Vaillant 64
・ゲリエ号 Guerrier 74 ブーゲンヴィル乗艦
・プロテクター号 Protecteur 74
・プロヴァンス号 Provence 64
・ファンタスク号 Fantasque 64 サフレン乗艦
・サギテール号 Sagittaire 50
・チメレ号 Chimere 32 フリゲート艦
・エンガガンテ号 Engageante 26 フリゲート艦、グラス乗艦
・アルクメーネ号 Alcmene 26 フリゲート艦
・エイマビル号 Aimable 26 フリゲート艦
イギリス艦隊:〜 (HMS)
・プリンスオブウェールズ号 Prince of Wales 74 旗艦、バリントン乗艦
・ボイン号 Boyne 70
・プレストン号 Preston 50 ホータム艦長
・セントオールバンズ号 St Albans 64
・ノンサッチ号 Nonsuch 64
・センチュリオン号 Centurion 50
・アイシス号 Isis 50
・ヴィーナス号 Venus 36 フリゲート艦
・オーロラ号 Aurora 28 フリゲート艦
・アリアドネ号 Ariadne 20 フリゲート艦。
参考HP:〜
ボストンの場所地図
サンディフックの場所地図

こちらで
サフレン提督
世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。#0120 10/6/29追記, 令和 R.3/10/23 (2021)
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