StLucia 国連 1982 発行 |
切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.22 (Island Nations) セントルシア島 Commonwealth of Saint Lucia Island |
大航海物語 地図編★ |
セントルシア島 1833 総督府150年記念 1983 セントルシア 1983/4/1 発行 |
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セントルシア島、ジョージ4世 パリ条約、1814 1816-1832 Following a Royal Instruction Civil Administration Effected by Major General Faquharison |
イギリス国旗、セントルシア島、 イギリス戦艦、1801 |
イギリス国旗、ジョージ3世、 イギリス艦隊、1803 |
フランス国旗、ナポレオン、 アミアン会議、1802 |
1801、Brigader General George Provost First Civil Administrator |
1803、Island Recaptuered by The British, Goverment Remodelled with The Introduction a Privy Council |
1802、Appointment of Conseil Superior Following The Treaty of Amiens |
1801 イギリス総督府200年記念 2001 Civil Administration Bicentenary セントルシア 2001/9/24 発行 |
リーワード諸島・小アンティール諸島 |
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キューバ島→ イスパニョーラ島→ ジャマイカ島→ |
←アンギラ島 ←セント・キッツ・ネビス島 ←アンティグア島 ←モンテセラット島 ←ドミニカ島 ←セント・ルシア島 ←セント・ビンセント島 ←バルバドス島 ←グレナダ島 ←トバコ島 ←トリニダッド島 |
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西インド連邦(1958-1962)の地図 (WEST INDIES FEDERATION, MAP) 西インド諸島連邦結成記念 イギリス領ドミニカ 1958 発行 (画:300%) |
セントルシア島クル・ド・サック湾の海戦 クル・ド・サックへの海岸線の地図 Costline from Cross Islet to Cul-de-Sac The British Fleet Opposing the French Landflags セントルシア 1978 発行 |
クラウン・エージェンツ、ロンドン本部 セントルシア 1983 発行 |
セントルシア オウム セントルシア 1976 発行 |
セントルシア島 Island nation of Saint Lucia Island (Commonwealth of St.Lucia)
セントルシア島は、カリブ海の西インド諸島のウィンドワード諸島中央部にあって、アラワク族と呼ばれるアメリカ先住民が定住していた所へ、カリブ族と呼ばれる別のアメリカ先住民が進出。1493年コロンブスが発見し、その日が聖ルチアの祝日であったので「セントルシア」と名付けました。そして1500年頃にスペイン人の探検家フアン・デ・ラ・コーサ(1493年説有)によって発見されたのではないかといわれています。その後島を巡りイギリスとフランスが争い、17世紀から18世紀にかけて14回領有権が変化。最終的にパリ条約(1814)でイギリスの領有が確定。1958〜1962年の間は西インド連邦に加盟。1962年に西インド連邦が解体後、1967年に自治領となり、1979/2/22に独立してイギリス連邦の一員の立憲君主制国家(Commonwealth of St.Lucia)となりました。 1493年、クリストファー・コロンブスが発見 1500年頃、スペインフアン・デ・ラ・コーサ来島 1550〜1600年、フランス海賊フランソア・クラーク(Francois le Clerc)が根拠地に使用 別名:ジャンベ・ドゥ・ボイス(Jambe de Bois):木の一本足 1605年、オランダがオリーブ・ブランチ(Olive Branch現Vieux Fort)入植するも病いと襲撃で撤退 1635年、フランスがクレーム 1639年、イギリスが入植するも原住民が撃退 1651年、マルチニーク島からフランスのドゥ・ルーセラン(De Rousselan)一行が来島 1654年、ドゥ・ルーセランが亡くなり撤退 1664年、セントキッツ島イギリス総督の息子で探検家トーマス・ワーナー (Sir Thomas Warner 1580-1649)がイギリスの領有を主張して1000人を連れて来島 1666年、その一行が主に病いで89人となる 1801年、イギリス総督府(First Civil Administrator)設置 1802年、アミアン会議 1803年、イギリスが再占領(Privy Council) 1814年、パリ条約においてイギリスの領有が確定 1834年、奴隷制度が廃止される その後、フランスとイギリスで条約の応酬が有:〜以降は略
参考:〜 ・セントルシア島の島名の謂れは「シラクサのルチア」です。 (伊:Santa Lucia、283〜304、12/13:聖ルチア祭、サンタルチア) (英:Saint Lucy of Syracuse) シラクサのルチアは聖ルチアの名で知られるキリスト教の殉教者。カトリックと正教会の聖女。目の視覚障害者、そしてシラクサの守護聖人。聖名祝日は、12月13日(旧ユリウス暦では1年で最も夜の長い日)で、ルーテル教会信徒が圧倒的に多いスウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーで崇拝。ナポリ民謡「サンタルチア」で歌われている、ナポリの船乗りの守護聖人。
(1)アンチグア・バーブダ(1965/12/15) (2)バルバドス(1965/12/15) (3)ガイアナ(1965/12/15) <その後の加盟国>:〜 (4)トリニダード・トバゴ(1968/5/1) (5)ドミニカ(1968/7/1) (6)グレナダ(1968/7/1) (7)セントクリストファー・ネイビス (1882-1983)(1968/7/1) ・アンギラ (8)セント・ルシア(1968/7/1) (9)セントビンセント・グレナディーン(1968/7/1) (10)ジャマイカ(1670-1962)(1968/8/1) ・ケイマン ・タークス・カイコス (11)モントセラト(1968/8/1)、1968/5/1参加説有 (12)ベリーズ(1971/5/1) <オブザーバー参加>:〜 (13)スリナム(1973/3) (14)ネザーランド・アンチール(1973/7) ・キュラソー島 ・シント・マールテン ・シント・ユースタティウス。 ・西インド連邦(West Indies Federation)の加盟国 (1958/1/3に英領の10植民地で結成〜1962/5/31) ・セントルシア島の地図 ・セントルシア島の地図(拡大詳細地図) こちらで ・セント・ルシアの鳥 世界遺産の ・ピラミッド (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・姫路城 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/10/13、12/4/10追記、令和 R.3/8/21 (2021) |