北東航路の探検 Northeast Passage Expedition |
SVERIGE 北極の地図 北東航路の地図(赤) ベーリング↓海峡 スウェーデン↑(黒い所) スウェーデン 1989/8/22 発行小型シートより |
Norfolk ベーリング海峡の地図 ノーフォーク 1978/8/29 発行 |
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US POSTAGE
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SVERIGE スカンジナビア半島の古地図、1662 スウェーデン 1991/1/30 発行 |
・北東航路の探検 Northeast Passage Expedition
17世紀にはコサック(Cossack)が毛皮を求め内陸水路を伝って東シベリアへ進出、レナ川(Lena River 4,472km)、ヤナ川(Yana 872km)、インディギルカ川(Indigirka 1,726km)、コリマ川(Kolyma 2,129km)など大河を下って北極海の河口に出て、帆船(koch)で別の大河の河口へ航海するという探検を繰り返しました。1648年にはデジニョフ船長の一行がコリマ川河口から東へチュクチ海を進み、チュクチ半島を回って太平洋側のアナディリ川河口へと往復し、アジアとアメリカの間が陸続きでないことを発見しました。18世紀には毛皮を求める冒険商人に加え、地理学・地図学探検を目的とした学者や軍人による北極海探検が始まり、デジニョフの航海から77年後の1725〜1730年にベーリング船長がシベリアを横断しオホーツク海を渡ってカムチャツカ半島に着き、ここで聖ガブリール号を建造した後、デジニョフとは逆向きに東から西へ航海、1728年夏に北へ出帆してチュクチ海に至り、アジアとアメリカの間に海峡があることを確認。この海峡は彼の名を採ってベーリング海峡と命名されました。第2回カムチャツカ探検は1733〜1743年にかけて行われ、ベーリング船長と副長チリコフ船長が2隻でアメリカ大陸を目指し、2隻は嵐ではぐれ別行動をとり、ベーリング船長達は最初にアラスカ海岸を視認したヨーロッパ人となり、チリコフ船長達は最初にアラスカに上陸したヨーロッパ人となりました。ベーリング一行とは別に、ベーリング第2回カムチャツカ探検には他のロシア海軍軍人も参加し、セミョン・チェリュスキン(Semyon Ivanovich Chelyuskin 1700-1764)達は陸路でタイミル半島の海岸を調査し、1742/5月にタイミル半島の最北端の岬に到達。この岬がユーラシア大陸の最北端で、北東航路の最北端でした。彼は北東岬(Cape East-Northern)と名付けるも、現在はチェリュスキン岬(Cape Chelyuskin)と命名されています。 1764年にはロシアの科学者ミハイル・ロモノーソフ(Mikhail Vasilyevich Lomonosov 1711- 1765)が北東航路探検を計画し、ワシリー・チチャゴフ(Vasili Yakovlevich Chichagov 1726-1809)が3隻の艦隊でアルハンゲリスクを出港するも、航路発見とはなりませんでした。1785〜1795年にエカチェリーナ2世(Yekaterina II 1729-1796)の命令で英国海軍軍人ジョセフ・ビリングス(Joseph Billings 1758-1806)とロシア帝国海軍ガヴリール・サリチェフ提督(Gavril Sarychev 1763-1831)がオホーツク海側から北東航路を探検し東シベリア・アラスカ・アリューシャン列島の詳細な海図を作成しました。1820年代にはウランゲル提督、ピョートル・アンジュー(Piotr Fyodorovich Anjou 1796-1869)、リュトケ提督らが東シベリア沿岸を調査し、1830年代にも調査活動が行われました。
参考HP:〜 ・北東航路の地図(現在) ・北極圏の地図(北極線”Arctic Circle”は点線) ・ベーリング海とベーリング海峡の場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 14/2/3、2017/4/24 |