Japan

国連 1982 発行
切手で綴る大昔の大航海シリーズ (
弥生時代
前4世紀〜後3世紀中頃

大航海物語
  日本編

日本郵便 NIPPON
特別史跡 吉野ケ里遺跡
(弥生時代の遺構を復元)
北内郭にある 主祭殿(通称:王の宮殿)

史跡名勝天然記念物保護100年記念
日本 令和2年 2020/7/17 発行
北内郭にある 物見櫓(楼観:ろうかん)

平成11年ふるさと切手(佐賀県)
日本 平成11年 1999/11/11 発行
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に有
国営「吉野ヶ里歴史公園」平成13年 第 T 期 開園

※写真集はこちら(弥生時代の丸木舟が有)

(弥生時代の出土品)
(7) 銅鐸 (8) 銅鏡
令和の国宝シリーズ 第1集
日本 2020/5/29 発行
(7) 銅鐸:袈裟襷文銅鐸(伝讃岐国出土) 弥生時代 (約2,300〜1,750年前)
(8) 銅鏡:肥後江田船山古墳出土品(獣帯鏡) 弥生時代 (約2,300〜1,750年前)


青銅品
古墳時代の古墳の発掘品 (弥生時代の出土品)
14)銅鏡・三角縁神獣鏡

奈良県広陵町・新山古墳出土

日本 2018/7/11 発行
15)銅鐸・銅剣

兵庫県政150年記念フレーム切手
淡路島の松帆出土

日本 1967/7/30 発行

弥生時代
 
(Voage of Yayoi period、BC300〜AD200)
  丸木舟
 (学術用語:monoxylon、 英:logboat, or dugout canoe, or dugout)
日本での弥生時代の大航海は、紀元前1世紀には朝鮮半島へ、当時としては大航海して渡っていました。それは、中国の前漢(BC206-AD8)の成立から王莽(おう もう、BC45-AD23)の新(しん、8-23)成立までが書かれた、下記の漢書(かんじょ)に記述されているように、紀元前1世紀に中国の漢(前漢BC206-AD8)が設置した朝鮮半島の楽浪郡(BC108-AD313)に倭人(日本人)がいて、倭人の国は百あまりに分かれており、楽浪郡には定期的に貢物を献上していたと有。
朝鮮と日本

北朝鮮 2005 発行
弥生時代の航海の歴史書による検証:〜
@ 紀元前1世紀<漢書>
楽浪郡に倭人がいて、倭人の国は百あまりに分かれている。
楽浪郡には定期的に貢物を献上していた。 倭人の国は百あまりに分かれている。
楽浪郡には定期的に貢物を献上していた、と有。
A 57年<後漢書>(巻85)東夷列伝
建武中元二年(57)、倭の奴国が貢を奉り朝賀した。使者は自ら大夫と称した。倭国の最南端にある。
光武帝は印綬を賜った。「印綬」の「綬」は(組み紐)のこと。
B 107年<後漢書>(巻85)東夷列伝
安帝永初元年(107)倭国王の帥升等が百六十人の捕虜を献じて参内し、
天子にお目にかかることを願い出た。
C 239年<魏志倭人伝>
倭の女王は大夫の「難升米」と次使の「都市牛利」を帯方郡に派遣して
天子に拝謁することを願い出た。
使者は男の生口(奴隷)4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じた。女王を親魏倭王と為した。
D 240年<魏志倭人伝>
前年の帰路。正始元年(240年)に「帯方太守弓遵」は「建中校尉梯儁」らを、詔書と印綬を持って倭国に派遣し、倭王の位を仮授して下賜品を与えた。
E 243年<魏志倭人伝>
正始4年(243年)に女王は再び魏に使者として大夫「伊聲耆」、「掖邪狗」らを送り、奴隷と布を献上。
皇帝(斉王)は掖邪狗らを率善中郎将と為した。
F 245年<魏志倭人伝>
正始6年(245年)皇帝(斉王)は、帯方郡を通じて難升米に黄幢(黄色い旗さし)を下賜するよう詔した。
しかし同年からの「シ+歳」との戦いに続く「韓」との戦いにおいて、太守弓遵は戦死して、実行されず。
G 247年<魏志倭人伝>正始8年(247年)
新太守の王(斤+頁)が着任する。女王は載斯烏越を使者として派遣して狗奴国との戦いを報告した。
援軍を頼んだが、その後卑弥呼が死んだ。 以上8項目が見つかりました。
なお、魏志倭人伝の時代の港については、伊都国歴史博物館の資料に
当時の港は、引津湾(香月)と有。魏志倭人伝の伊都国の港。(伊都国歴史博物館資料)
・香月(現在)福岡県糸島市志摩町大字久家 香月。
奴国(なのくに)は、弥生時代にかつて存在した倭人の国で、現在の福岡市や春日市など福岡平野一帯を支配していたとされる。領域内には那珂川と御笠川が流れ、弥生時代の集落や水田跡、甕棺墓などの遺跡が各所で確認されていて、文献上に現れる最古の国家。1〜3世紀前半にて、「後漢書東夷伝」や「魏志倭人伝」「梁書倭伝」「北史倭国伝」にあらわれる倭人の国。大和時代の儺県(なのあがた)のちの那珂郡・席田郡・御笠郡・糟屋郡(現在の福岡県福岡市・春日市)に存在したと推定。


(14)銅鏡
   (世界遺産シリーズ第11集 2018)
・重要文化財三角縁神獣鏡弥生時代
 (さんかくぶちしんじゅうきょう、Bronze mirror “SANKAKUBUTISINJUKYO”)
 奈良県広陵町新山古墳出土
 東京国立博物館が所蔵の重要文化財
 世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺跡群、2018/7/11発行
参考HP〜
銅鏡 三角縁神獣鏡 (東京国立博物館HP、佐味田宝塚古墳出土)
三角縁神獣鏡

(15)銅鐸
  (兵庫県政150年記念フレーム切手 1967)
・国重要文化財袈裟襷文銅鐸・附舌、弥生時代
 (けさだすきもんどうたく・ふぜつ、Bronze bell “DOTAKU”)
参考HP〜
重文、袈裟襷文銅鐸 (南あわじ市HP)
国宝、袈裟襷文銅鐸 (文化庁データベースHP、香川県:讃岐国出土)
(※)銅剣
・県重要文化財古津路銅剣、弥生時代
 (こつろどうけん、Bronze Sword “DOKEN”)
 南あわじ市松帆地区 松帆慶野・中の御堂遺跡出土、県立考古博物館
参考HP〜
県文、古津路銅剣 (南あわじ市HP)
銅剣、平形銅剣 (東京国立博物館HP、香川県善通寺市出土)
銅鐸・銅剣

銅鐸は、
2015年4月に南あわじ市松帆地区で7点発見されました。菱環鈕(りょうかんちゅう)式1点をはじめ、他6点も紀元前(弥生時代)製作の古式の銅鐸です。2組4点は入れ子状態で出土。すべての銅鐸に舌が伴うなど他に例のない埋納例と、海岸地帯での埋納から海の民が携わったと推定。この銅鐸は、貞享3年(1686)に慶野村(現在の南あわじ市松帆慶野)の「中の御堂」(県指定・史跡)から出土した8個のうちのひとつだと言われ、慶野地区で保存・管理されていました。この銅鐸の身は、横帯と縦帯を3本ずつ田の字型に交差させた文様で、上下左右の4つの区分に分けられています。この文様が、お坊さんの着る袈裟の文様に似ているところから袈裟襷文と名付けられています。昭和35年に国重要文化財に指定さ、銅鐸の上部左区画には、鹿と思われる四足の獣の文様があります。これ以外の全ての区画には2個1対の単頭渦巻き文が描かれています。
銅剣は、
兵庫県教委は1971年(昭和46年)、南あわじ市松帆古津路で出土した弥生時代中期の古津路銅剣(県立考古博物館所蔵)など5件を有形文化財に指定。古津路銅剣は昨年、出土地の近くで採取された砂の中から松帆銅鐸7点が発見されたため、青銅器文化や弥生社会を解明する上で重要になりました。

<大昔の大航海シリーズ>
 (1)縄文時代人の大航海 (16,000年前〜約3,000年前)、日本
 (2)弥生時代人の大航海 (BC4世紀〜AD3世紀中頃)、日本
 (3)古墳時代人の大航海 (AD3世紀中頃〜AD7世紀頃)、日本
 (4)神功皇后の大航海 (AD200年頃)、日本
 (5)フェニキア人の大航海 (BC13世紀頃〜BC8世紀頃)、フェニキア
 (6)ポリネシア人の大航海 (BC1,000年頃)、ポリネシア (ヘンダーソン島)
 (7)ラピタ人の大移動の大航海 (BC1,000年前後頃)、メラネシア (ラピタ人)
 (8)シバの女王 (BC1,000年頃)、イェーメン
 (9)ネカウ2世 (BC600年頃)、エジプト
 (※)BC:Before Christ(紀元前)、AD:Anno Domini(紀元後)。
こちらで
・続:日本100名城の第164番洲本城
・海戦大航海のサフレン提督
マゼラン (海峡)
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
ラッコ(絶滅危惧種)
クリッパートン島(絶海の孤島)
カリブ海の地図(島国シリーズ)
フランスの王と王族(ブルボン朝)
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
・ギリシャの民族衣装
・スペインの画家ゴヤ
世界遺産
フランス
法隆寺日本
ヌビア遺跡エジプト
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿ギリシャ
モヘンジョダロパキスタン
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和 R.2:2020/9/20、20/11/21、2022/12/25

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