大航海物語
フェニキア人の大航海
BC13世紀頃〜BC8世紀頃
 Phoenician

参考資料
LIBAN
地中海の航路地図
フェニキア人の交易路

ジブラルタル海峡
ェニキアの軍船
軍船の舳先(へさき)にはトーチ(松明)があって、
フェニキアのアルファベット7文字が描かれている

備忘録を持つフェニキア人

フェニキアのアルファベット14文字が描かれている
フェニキア人の商船

Phoenician Ship
アヒラム王の石棺(文字が有)

King Ahiram of Byblos
レバノン 1966/9/15 発行 (200%)

フェニキア人
 Phoenician
(最盛期:BC13世紀頃〜BC8世紀頃)
フェニキア人は紀元前3千年頃から交易、商業、航海の民として地中海で活躍。ローマに破れて忽然と姿を消しましたが、彼らがつくりだしたアルファベットや造船、航海技術、染色、ガラス加工の技術はその後の歴史を変えました。

メソポタミア起源説もある鉄器(ウルク遺跡、BC3300-BC3000出土)と、紀元前3500年頃にシュメール人によって発明された楔形文字(ウルク遺跡)を改良したという説もあるフェニキアのアルファベットを
使用していたフェニキア人は、船材にレバノン杉を主に使用。シチリアのマルサラ考古学博物館には、1979年に発見されたフェニキア船の船底の一部が展示されています。その船で、遠くアフリカ大陸を周航し、北米にも達していたのではとする説もあるぐらいです。北極星(北斗七星)を発見したのも彼らだといわれています。フェニキア人の交易の主力はレバノン杉で、古代都市ビブロスの背後に広がるレバノン山脈は杉の名産地でした。木材の乏しいエジプトなどへの貴重な輸出品になりました。逆にエジプトの金やパピルスがこの町を経てギリシャへ輸入されました。ビブロス(Byblos)とは ギリシア語の「パピルス」のことで、「バイブル」(Bible)の語源にもなりました。
北極星

日本 1952 発行

フェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、アラム文字・ヘブライ文字・ギリシャ文字・アラビア文字など、ヨーロッパ・西アジアの多くの言語で用いられる起源となりました。なお、紀元前1450年頃から紀元前1200年頃にかけて都市国家としての全盛期を迎えた、ウガリットの楔形文字のアルファベット楔形文字30文字を改め、 簡略化した象形文字で22個の子音だけから成る記号のアルファベットを発明したという説も有。

紀元前15世紀頃から歴史の舞台に頻繁に登場したフェニキア人は優れた海洋民族で、そのめざましい海上貿易活動で、わずか数世紀の間に地中海を制覇。その活動範囲はアラビア、ペルシャ、インドからアフリカ東岸、さらに地中海を西に航海してジブラルタル海峡を越え、イギリスやアフリカ西岸にまでも交易活動を広げていました。フェニキア人はエジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域(現:レバノン)に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始め、紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動でアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えました。

フェニキア人の植民地として紀元前9世紀に北アフリカに建設された都市カルタゴは、フェニキア本土(現:レバノン)が衰退していったのに繁栄を続けるも、3度にわたるポエニ戦争(Punic War:第1次 BC264-BC241、第2次(別名:ハンニバル戦争) BC219-BC201、第3次 BC149-BC146:敗戦)の結果、共和政ローマに併合されて滅亡しました。なお、ローマ人はフェニキア人(Phoenicia)をポエニキ(Phoenici)と呼んでいました。

・アヒラム王の石棺
  King Ahiram sarcophagus of Byblos
アヒラム王の石棺はビブロスの古代の墓地で見つかった現存するフェニキア最古の石棺です。蓋の側面に「この墓を暴くものは、必ず呪われる」とフェニキア文字で刻まれた22文字の呪いの碑文が残ることで有名。石棺の主アヒラム王は紀元前13世紀頃の王。墓は1922年に遺跡の北西部で発掘され、現物はベイルートの国立博物館に収蔵されています。近くの地下には息子のアビシュモク王の大きな石棺もあります。
アヒラム王の石棺

(文字が有)

参考HP:〜
22文字の呪いの碑文

フェニキアは統一された国家ではなく、レバノンの地中海沿岸地域をさす古代の名称。シドン(現サイダ)、ティルス(現スール)、ビブロス(現ジュバイル)、アッコ、ベルタ(現ベイルート)、トリポリなどの都市の集合体をいい、中心都市はシドンとティルスで、フェニキア人は交易や航海に優れ、海上交易が最も栄えた紀元前9世紀頃には、カルタゴ(チュニジア)ですらティルスの植民地だった、という説も有。

・フェニキア文字の別説
フェニキア文字はアルファベットの元祖として知られています。地中海貿易で名を馳せたフェニキア人が交易の記録を残す必要に迫られ、紀元前2000-1500年頃に古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)を模したシナイ文字を参考に考案したと伝えられます。フェニキア文字はその後、ギリシャで改良されてアルファベットへと進化しました。
フェニキア文字(アルファベット)

アルファベット14文字
14文字:aleph, shin, taw, sin, resh, pe, ayin, samek, waw, nun, mem, lamedh, shin, yodh

・ビブロス
  Byblos(世界遺産)
ビブロス(現ジュバイル)は新石器時代の紀元前5000年頃から人が住み続けている古代フェニキアの都市遺跡で、1921年から始まったフランス調査隊によって、7000年前から現代に至る住居が折り重なっていることが解った世界で最も古い場所の1つ。町には7000年前の先史時代の住居跡、フェニキア時代の城壁やオベリスク神殿、墓地、さらにローマ時代の列柱や劇場、11世紀の十字軍の要塞や城郭など、様々な時代を映す遺跡が一堂に会しています。

フェニキア人の都市が営まれたのは紀元前3000年ごろ。地中海東岸最大の港としてレバノン杉やパピルスを中心とするエジプトとの交易で栄えました。ギリシャ人はパピルスをビブロスと呼び、これがバイブル(聖書)の語源になったといわれています。立地条件の良さから様々な時代の支配者に狙われ、エジプトの支配下だった紀元前1200年ごろに独立を果たしました。しかし、紀元前63年にはローマ人に征服され、神殿や劇場が相次いで建てられましたが、その後はバールベックと同じようにイスラムの支配下に組み入れられて徐々に衰退の運命を辿ることになりました。

参考HP:〜
フェニキア人の地中海交易地図(商業ネットワーク)
古代の地中海の地図
 (550 BC、黄がフェニキア人の都市、赤がギリシア人の都市)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      09/3/30、12/4/8
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