★イギリス |
ウィリアム・グラス 1817 トリスタン・ダ・クーニャ総督 |
大航海物語★ |
フィッツロイ艦長はダーウィンを乗せたビーグル号の第2回探検航海の艦長を務め世界一周航海をなしとげ、その後にニュージランド総督に指名されました。 |
ウィリアム・グラス総督 (1787/5/11〜1853/11/24) Willam Glass Governer Toristan・da・Cuna(1817〜1853) ウィリアム・グラスはイギリスのスコットランド・ケルソ(Kelso、Scotland)で生まれました。 1804年3月28日 (16歳)「恋に破れ」苗字をグラスに変え近くのツィード(Bercic-upon-tweed)のイギリス陸軍に入隊。 1806年に北ドイツへイギリス陸軍の騎馬隊員として駐屯。 同年ケープタウンが英領となる。 1814年7月 (27歳)ケープタウン生まれのマリア・マグダレーナ・レーンダーズ(12歳!)と結婚、 翌年に長男誕生。 1816年11月28日 (29歳)トリスタン・ダ・クーニャに駐屯。 1817年11月18日 (30歳)退役。 トリスタン・ダ・クーニャに残留を希望し認められる。 総督となり、37年間暮らし、同島で14人の子宝を得ました。 1853年11月24日 (66歳)口唇ガンで死亡。 なお、トリスタン・ダ・クーニャ諸島は、1506年にポルトガルのトリスタン・ダ・クーニャが発見し、 後年、トリスタン・ダ・クーニャ島と名付けられました。 チャールス・N・スタートはイギリス領インドで生まれ、5才でイギリスに行きました。父(Thomas Lenox Napier Sturt)はイギリス東インド会社のベンガルの判事でした。大ロンドン市南西部(Harrow on the Hill)のハロー学校(Harrow School)に1810 1853/3に家族を連れてイギリスへと出帆し、保養地として知られているイギリスはグロスターシャー州の町チェルトナム (Cheltenham) に住まいし、健康が悪化してきて1869年に突然に亡くなりました。享年74才でした。 参考HP:〜: ・この人物の詳しい研究はこちらのHPに有。 |