切手で綴る 太平洋戦争 物語 第2部 <帝国の侵攻> 第5章マレー攻略 (付録) <デンマーク海峡の海戦> 1941/5/24 Naval Battle of the Denmark Strait |
プリンス・オブ・ウェールズ号 | フッド号にビ号砲撃が命中で轟沈 |
ビスマルク号 | ビ号を攻撃する英艦載機 |
マーシャル諸島 1991 発行 |
・デンマーク海峡の海戦 (Battle of the Denmark Strait、1941/5/24) プリンス・オヴ・ウェールズ号が活躍
1941/1/19に就役したばかりのプリンス・オヴ・ウェールズ号(HMS Prince of Wales)は、1941/5/24に最初の戦闘に遭遇し、通商破壊を目論んで大西洋に進出してきたドイツ海軍の戦艦ビスマルク号(Bismarck)と重巡洋艦プリンツ・オイゲン号(Prinz Eugen)をデンマーク海峡で、英巡洋戦艦フッド号(HMS Hood)と共に迎え撃ち、砲撃戦を行いました。 この海戦でフッド号がビスマルク号の砲撃を受け、轟沈しました。プリンス・オブ・ウェールズ号も最初の斉射を放った直後にA(1番)砲塔が故障するも、第3射がビスマルク号の燃料タンクとボイラー室に損害を与えました。しかし、操舵艦橋に被弾したため退避。リーチ艦長は無事なるも、航海長は戦死。司令官のランスロット・ホランド中将(Vice Admiral Lancelot Ernest Holland, CB, 1887-1941/5/24)が戦死したためウォーカー少将(Admiral Sir Frederic Wake-Walker KCB, 1888-1945/9/25)の指揮下に入るも、5/25に燃料不足のためビスマルク号追跡を打ち切りました。その後、イギリスのロサイスに戻ったプリンス・オブ・ウェールズは6週間に渡る修理を行いました。 プリンス・オブ・ウェールズ号は大西洋を渡り、チャーチル首相ら一行を乗せてカナダのニューファンドランド・ラブラドール州アルゼンチン沖に到着。1941/8/10からアメリカのルーズベルト大統領との会談が始まり、8/12にプリンス・オブ・ウェールズ号の艦上で大西洋憲章が締結されました。9月、プリンス・オブ・ウェールズ号は地中海で、マルタ港への船団を護衛するハルバード作戦に参加。この作戦中、プリンス・オブ・ウェールズ号は味方のフルマー戦闘機を2機撃墜してしまいました。 イギリス艦隊の編成:〜 ・戦艦 ・プリンス・オヴ・ウェールズ号 (HMS Prince of Wales) ・英巡洋戦艦フッド号 (HMS Hood、就役1920/5/15、常備41,125トン、満載46,880トン、 1941/5/24デンマーク海峡海戦でビスマルク号に撃沈される) ・重巡洋艦ノーフォーク (HMS Suffolk、就役1928、基準9,750トン 満載13,450トン、31.5ノット、820人、 最期:退役 1948/3/25) ・重巡洋艦サフォーク (HMS Norfolk、就役1930、基準10,035トン、満載13,420トン、31.5ノット、700人、 最期:退役1950売却) ドイツ艦隊の編成:〜 ・戦艦ビスマルク (Bismarck) ・重巡洋艦プリンツ・オイゲン (Prinz Eugen、就役1940/8/1、基準15,000トン:満載18,400トン、ビキニ環礁原爆実験供用後1946/12月に座礁) 1941/10/25にチャーチル首相の強い要請で日本軍南下の抑止力として、プリンス・オブ・ウェールズ号の派遣が決定されました。11/28にはコロンボに到着し、12/2にはレパルス号と共にシンガポールへ到着。東洋艦隊の旗艦としてトーマス・フィリップス中将の指揮下となりました。空母インドミタブル号が合流する予定なるも、ジャマイカを出港直後に座礁したため合流できませんでした。それに代わる空母ハーミーズ号も速力が足らず配備されませんでした。 ・プリンス・オブ・ウェールズ号の装備:〜就役:1941/1/19 (HMS Prince of Wales、イギリス海軍の戦艦)
・ビスマルク号の装備:〜就役:1940/8/24 (German battleship Bismarck、ナチス・ドイツ海軍の戦艦)
こちらで ・マレー沖海戦 をお楽しみください。 参考HP〜 ・デンマーク海峡海戦の地図 ・プリンス・オブ・ウェールズ号の写真 ・レパルス号の写真 ・九六式陸攻の写真(三菱製) ・一式陸攻の写真(三菱製) ・九七式艦攻の写真(中島製の雷撃機) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/8/10 |
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