United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る イギリスの大航海(Great Exploration Voyage)探検大航海(V-3
ロバート・ピトケアン
1767
ピトケーン島を発見
大航海物語
 イギリス編

PITCAIRN ISLANDS
ピトケ−ン島

ピトケーン 1969/9/17 発行
Grenada Grenadines
島が見えるぞー!


グレナダ 1992/5/7 発行

PITCAIRN ISLANDS
太平洋でのブーゲンビル島ピトケーン島の場所
ブーゲンビルフィジートンガサモアタヒチ、ピトケーン、イースターの島々
ジョージ6世 ←ピトケーン島
英領ピトケーン 1940-51 発行(200%)

バウンティ号の反乱で一躍有名になったピトケーン島は、その反乱の約40年前に、大英帝国海軍の世界一周探検航海中のスワロー号に乗組んでいた15才のイギリス海軍少尉候補生”ロバート・ピトケアン”が見つけ、彼の名前がピトケーン島の名の由来となりました。
ロバート・ピトケアン少尉候補生
 Midshipman Robert Pitcairn (1752/5/6〜1770)
ピトケアン候補生は英国スコットランド・ファイフのバーンティスランド(Burntisland、Fife, Scotland, #(2)14)で、父ジョン・ピトケアン(John Pitcairn)と母エリザベス(Elizabeth Dalrymple)の10人いる子供の1人として生まれました。父であるジョン・ピトケアンはアメリカ独立戦争(1775-1783)に、イギリス海兵隊少佐として従軍して大きな役割をした人物として知られています。ピトケアン一家の中でも若かったロバートはイギリス海軍に入隊することを希望して、最初はイギリス戦艦エメラルド号(HMS Emerald)に1766年に14才で少尉候補生として乗組みました。

1766年に14才で海軍兵学校の生徒になり、フィリップ・カーレット艦長が大英帝国海軍の世界一周探検探検航海に艦長として出発する命令の下に、イギリス海軍スループ艦スワロー号”の乗組員として乗り組み、僚船フリゲート艦ドルフィン号”のサムエル・ウォリス艦長と共に、世界一周探検航海へとイングランドを出帆しました。カートレット艦長のスワロー号とドルフィン号は荒れ狂うマゼラン海峡を突破する時まで、互いに望見していましたが、海峡を通過後に互いを見失いました。カートレット艦長は付近を捜しましたがドルフィン号が、ようとして見つからないので、太平洋を西へと帆走航海しました。行くこと数十日後の1767年6月に、イギリスの海図にも載っていない絶海の孤島”ピトケーン島”に行き着きました。

南方の航路をたどっていたスワロー号のカートレット艦長がピトケーン島の島影を見かけ、最初の発見者であるスワロー号の少尉候補生で15才のロバート・ピトケアンの名前にちなんでピトケーン島と命名しました。ピトケーン島は1606年にスペインのキロス船長が発見していたので、スワロー号が再発見したということになりますね。

しかし折りしも嵐が来襲して悪天候になったので、島への上陸は取り止めとなりました。ピトケアン候補生は、15才で島の名前が自分の名から名付けられたことに、ずっと誇りを持っていました。島の発見から約40年後にバウンティ号の反乱者が最後の隠れ家として島に住み着くとは、島の発見からしばらく島の存在すら忘れ去られていたので、まさか彼ロバート自身もバウンティ号の反乱者達によって自分の名から名付けられた島が有名になるとは思っても見なかったことでしょうね。

島の発見から2年半後の1769/12/29に、ロバートは戦艦オーロラ号(HMS Aurora)に少尉候補生として乗り組みました。1769年に船は喜望峰からインド洋へと出帆しましたが、1770年にオーロラ号はインド洋で消息を絶ちました。船が嵐か火事に遭い、船の乗組員全員が亡くなったものと断定されました。18才だったロバート候補生も船と運命を共にしたものと伝えられています。

参考HP:〜
スコットランドの場所地図
スコットランドのファイフの場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2008/1/30、令和7年 2025/11/25

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