大航海物語 | 大航海時代 と 植民地のプランテーション(農園) 砂 糖 Sugar |
資料編 |
Australia シュガーケーン (砂糖キビ) オーストラリア 1969/9/17 発行 |
JAMAICA 砂糖プランテーション(農園) Sugar Industry ジャマイカ 1938 発行 |
FIJI 砂糖キビの収穫と精製 |
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収穫 |
足ふみ |
絞って水抜き |
New Commonwealth Day フィジー 1983 発行 |
砂糖 Sugar 和名:砂糖(サトウ) 英名:Sugar(シュガー) 仏名:Sucre(スクレ) スペイン語:Azucar(アズカール) ポルトガル語:Acucar(?)
(2)砂糖の種類 (3)砂糖の原料 (4)生産と消費 砂糖は甘みを持つ調味料(甘味料)です。物質としては糖の結晶で、一般に多用される白砂糖の主成分はスクロース(Sucrose, ショ糖)と呼ばれ、これはブドウ糖と果糖の両方で構成されます。原料はサトウキビやテンサイなどです。副産物の搾りかすの年間排出量は世界中で約1億トン以上で、製糖工場自身の燃料として利用され、石灰分を多く含むため、製鉄・化学工業・大気汚染防止のための排煙脱硫材・上下水の浄化・河川海域の水質底質の改善・農業用の土壌改良材として使われます。搾りかすの一部は堆肥として農地に還元される他、キクラゲの菌床栽培の培地原料としても利用され、テンサイ(ビート)の搾り粕は牛の飼料として、サトウキビの搾りかすは紙の原料としても使われます。 (1)砂糖の歴史 砂糖の歴史は古く、その発明は2500年前と考えられていて、インドからイスラム圏とヨーロッパへ順に伝播してゆき、植民地に開拓されたプランテーション(農園)では、多数の奴隷を働かせることで生産されました。19世紀末になると「高級品」ではなく、一般に普及する食品となり、20世紀以降になると、地球規模で生産調整が行われるようになりました。なお、「砂糖は栄養が無いだけでなく、病気の原因にもなる」という見方が強まり、世界保健機関(WHO)は、2003年に発表した報告書で、砂糖摂取量について、総カロリーに対して10%以下となるよう推奨しました。2014年には新たに5%以下にすることの利点を追加しました。2016年には、清涼飲料水への課税を促し、肥満、2型糖尿病、虫歯を減らせました。肥満税や砂糖税を導入する国も出ており、砂糖消費の削減が各国で進んで、砂糖の有害性については昔から様々な研究者が指摘しています。砂糖も御多分にもれずとり過ぎると害になるので注意しましょう! ・原産地と語源 サトウキビの原産地は、南太平洋の島々で、そこから東南アジアを経て、インドに伝わったとされるも、「インド原産」という説も強く定かではありません。砂糖の歴史は古く、約2500年前に東インドでサトウキビの搾り汁を煮詰めて砂糖をつくる方法が発明されたと考えられています。例えば、カウティリヤにより紀元前4世紀後半に書かれたとされるサンスクリットで書かれた古典「アルタシャーストラ」(「実利論」)には、純度が一番低いグダ、キャンディの語源とされるカンダ、純度が最も高いサルカラ (SarkaraあるいはSarkkara) の3種類の砂糖の説明が記載されている。サルカラは英語の「Sugar」やフランス語の「Sucre」の語源になりました。また、パタンジャリが紀元前400〜200年の間に書いたと推定されるサンスクリット文法の解説書「マハーバーシャ」には、砂糖を加えたライスプディングや発酵飲料の作り方が記載されている。砂糖は病気による衰弱や疲労の回復に効果があるとされ、薬としても用いられました。当時は「インドの塩」と呼ばれ、塩と関連づけられていました。ペルシアの大王ダレイオス1世(Darius I、BC550頃-BC486)はインド遠征の際にサトウキビをペルシアに持ち帰り、国家機密として輸出と栽培を独占。その後サトウキビは戦乱とともに黒海方面やペルシャ湾岸、中東一帯に広がっていきました。フェニキア人や古代エジプト人は砂糖を香辛料や生薬として扱いました。中国での砂糖製造の歴史は古く主に広東地方で行われていました。 ・西インド諸島への移入 966年ヴェネツィア共和国が中東から来る砂糖を貨物集散所に通して流通させる仕組みを作りました。11世紀末に十字軍がサトウキビをキプロスに持ち帰りました。まず14世紀にはシチリアで、ついで15世紀初頭にはバレンシア地方へ栽培法が伝播し、地中海周辺が砂糖の生産地となりました。15世紀から大西洋の探検が少しずつ始まり、スペインがカナリア諸島で、ポルトガルがマデイラ諸島とアゾレス諸島でそれぞれサトウキビ栽培を開始。この島々からの砂糖は1460年代には欧州へ輸出されて、シチリアやバレンシアでの砂糖生産は競争に敗れて衰退しました。新大陸の発見で、まず最初に砂糖の大生産地となったのはブラジル北東部地域(ノルデステ:Nordeste)でした。1530年代にサトウキビ栽培が始まり、1630年にレシフェを中心とする地方がオランダ領スリナムとなると、さらに生産が促進されました。しかし1654年にブラジル北東部が再びポルトガル領となると、サトウキビ生産者たちは技術を持ったままカリブ海のイギリスやフランス領に移民し、1650年代からはカリブ海域において大規模な砂糖プランテーション(農園)が相次いで開発され、この地方が砂糖生産の中心地となりました。 ・日本への伝搬 日本には奈良時代に鑑真和上によって伝えられたとされていて、純然たる舶来品でした。中国で精糖技術が伝播する以前は、砂糖はシロップ状の糖蜜の形で使用されていました。唐の太宗の時代に西方から精糖技術が伝来すると、持ち運びが簡便になりました。当初の日本では輸入でしかもたらされない貴重品であり医薬品として扱われていました。平安時代後期には本草和名に見られるようにある程度製糖の知識も普及し、お菓子や贈答品の一種として扱われました。室町時代には幾つもの文献に砂糖羊羹、砂糖饅頭、砂糖飴、砂糖餅といった砂糖を使った和菓子が見られるようになってきました。名に「砂糖」と付くことからも、調味料としての砂糖は当時としては珍しい物だということが伺えます。やがて戦国時代に南蛮貿易が開始されると宣教師たちによって金平糖の砂糖菓子がもちこまれ、さらにアジアから砂糖の輸入がさかんになり(やがてオランダが中継する)、徐々に砂糖の消費量は増大しました。 国産化の試みは、江戸時代初期、薩摩藩支配下の琉球王国では1623年に儀間真常が部下を明の福州に派遣してサトウキビの栽培と黒糖の生産法を学ばせました。帰国した部下から得た知識を元に砂糖生産を奨励し、やがて琉球の特産品となりました。江戸時代には海外からの主要な輸入品のひとつに砂糖があげられるようになり、オランダや中国の貿易船がバラスト代わりの底荷として大量の砂糖を出島に持ち込みました。このころ日本からは大量の金や、石見銀山などの銀が産出されており、その経済力をバックに砂糖は高値で輸入され、大量の砂糖供給は砂糖を使った和菓子の発達をもたらしました。17世紀後半になると金銀は枯渇し、金銀流出の原因のひとつとなっていた砂糖輸入を減らすために江戸時代の将軍徳川吉宗が琉球からサトウキビをとりよせて江戸城内で栽培させ、サトウキビの栽培を奨励して砂糖の国産化をもくろみました。また、殖産興業を目指す各藩も価格の高い砂糖に着目し、自領内で栽培を奨励。とくに高松藩主松平頼恭がサトウキビ栽培を奨励し、天保期には国産白砂糖流通量の6割を占めました。また、高松藩はこのころ和三盆の開発に成功し、高級砂糖として現在でも製造されています。こうした動きで19世紀にはいると砂糖のかなりは日本国内でまかなえるようになった。天保元年から3年(1830年から1832年)には、大坂での取引量は輸入糖430万斤と国産糖2320万斤、あわせて2750万斤(1万6500トン)となり、さらに幕末の慶応元年(1865年)にはその2倍となりました。江戸時代は国内の砂糖の流通は砂糖問屋が行っていました。 明治時代中期、大日本製糖による独占的な企業体も現われました。これには次のような背景が有。 日清戦争の結果で台湾が日本領になると、台湾総督府は糖業を中心とした開発を実施。また第一次世界大戦の結果、日本の委任統治領となった南洋諸島のうち、マリアナ諸島のサイパン島、テニアン島、ロタ島でも南洋興発による大規模なサトウキビ栽培を開始。これで日本には大量の砂糖が供給されることとなるも、沖縄を除く日本本土ではサトウキビの生産が衰退するも、台湾や南洋諸島での増産で生産量は増大しつづけ、昭和に入ると砂糖の自給をほぼ達成。一方、北海道においては明治初期にテンサイの生産が試みられたが一度失敗し、昭和期に入ってやっと商業ベースに乗るようになりました。この砂糖生産の拡大と生活水準の向上で砂糖の消費量も増大し、1939年には一人当たり砂糖消費量が16.28kgと戦前の最高値に達し、2010年の消費量(16.4kg)とほぼ変わらないところまで消費が伸びていました。その後、第二次世界大戦の戦況の悪化にともない、砂糖の消費量は激減し、1945年の大日本帝国の敗戦で、砂糖生産の中心地であった台湾や南洋諸島を失い、砂糖の生産流通は一時大打撃を受け、1946年の一人あたり消費量は0.20kgまで落ち込みました。その後1952年に、砂糖の配給が終了して生産が復活し、日本の経済復興とともに再び潤沢に砂糖が供給されるようになりました。 (2)砂糖の種類
砂糖は大きく分けると、 ・「精製された砂糖」 ・「完全に精製されていない砂糖」の2種類があります。 <精製糖>は ・ザラメ糖 ・車糖 ・加工糖 ・液糖の4つに分類されます。 ザラメ糖はハードシュガーとも呼ばれ、結晶が大きく乾いてさらさらした砂糖であり、白双糖・中双糖・グラニュー糖がこれに属します。なお、一般的には白双糖と中双糖を指してザラメといい、白双糖を白ザラメ、中双糖を黄ザラメともいいます。車糖はソフトシュガーとも呼ばれ、結晶が小さくしっとりとした手触りのある砂糖で、上白糖・三温糖がこれに属します。液糖は液体の砂糖です。また、ザラメ糖を原料として、角砂糖・氷砂糖・粉砂糖・顆粒状糖の加工糖が製造されます。日本では最も一般的な砂糖は上白糖で、日本での消費の半分以上を占め、上白糖は日本独自のもので、製造・消費されるのも主に日本で、ヨーロッパやアメリカではほとんど使われていませ。世界的には一般に砂糖といえばグラニュー糖を指します。1970年代後半にはクロマトグラフィー果糖濃縮技術の出現で異性化糖(高果糖コーンシロップ、HFCS)の大量生産を可能にして急速に普及し、異性化糖(ブドウ糖と果糖を主成分とする液状糖)の消費が増加し砂糖の消費を減少させました。 (3)砂糖の原料(砂糖の生産) ・サトウキビ
・テンサイ(サトウダイコン) テンサイの根を千切りにし、温水に浸して糖分を溶け出させて、その糖液を煮詰め、濾過して不純物を取り除く。真空状態のもとで糖液を濃縮し、結晶を成長させた後、遠心分離機にかけて現れた結晶が砂糖である。砂糖の原料となりうるテンサイのベータブルガロシド(betavulgaroside)類には小腸でのグルコースの吸収抑制などによる血糖値上昇抑制活性が認められる。 ・サトウカエデ サトウカエデの幹に穴を穿ち、そこから樹液を採集する。その樹液を煮詰めて濃縮したものがメープルシロップである。これを更に濃縮を進めて固体状になったものがメープル・シュガーである。なお、糖分がやや低いものの、日本に自生するイタヤカエデからもメープルシュガーを作ることは可能で、終戦直後の砂糖不足の時代に東北や北海道で製造が試みられたことがあるも、商業化ベースには乗らずに終わった。 ・オウギヤシ(サトウヤシ) オウギヤシは東南アジアからインド東部にかけて栽培されている。樹液からパーム・シュガー(椰子砂糖)が作られる。また、それを発酵させて酒を作る。 ・スイートソルガム(サトウモロコシ) モロコシ属のうち、糖分を多く含むものの総称で、アメリカを中心に栽培されている。煮詰めてソルガムシュガー(ロゾク糖)をつくることもできるも、グルコースやフラクトースを多く含むため結晶化させにくく、結晶糖の収量としてはサトウキビやテンサイに劣るため、シロップの原料として使用されることが多い。近年ではバイオエタノールの原料としても多く利用されている。 (4)生産と消費 砂糖の総生産量(2003)
国民1人1日当りの砂糖消費量(g、2014)
こちらで ・米領ヴァージン諸島 ・スパイス (香辛料) 世界遺産の ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.3/5/21(2020) |