France 国連 1980 発行 |
手で綴る 歴史の証人シリーズ (Historical
Witness)No.9
|
大航海物語 フランス編★ |
Afrique Occidentale Francaise サン・デクジュペリの西サハラ飛行 1923 |
|||
西サハラの地図 | |||
西サハラ | ←パリ ←スペイン ←ジブラルタル海峡 モ ロ ッ コ |
||
ダカール→ |
|||
サン・デクジュペリの西サハラ飛行50年記念 Courrier Sud 1923(南郵便) 仏領アフリカ 1973 発行 |
1922年に兵役中にパイロットとなり、1926年にラテコエール社 (後のアエロポスタル社) に雇用されました。その年(1926)にフランスのトゥールーズから西サハラ飛行をしてセネガルまで郵便物を運びました。1929年に南米に到着しました。同時に作家になりました。飛行士としての経験に触発されて、最初の小説「急使」(1929)を発表。1931年には「ヴォル・ド・ニュイ」を出版して大成功を収め、フェミナ賞を受賞しました。1932年からジャーナリズムと飛行士に専念しました。1934年にインドシナ、1935年にモスクワ、1936年にスペインで大規模な取材を行い、それが彼の人道主義的価値観についての考察を養うことになりました。1939年に出版された「人間の国」(Terre des mens)は、フランスのアカデミーからグランプリ・デュ・ロマンを受賞しました。1939年に空軍に勤務して航空偵察飛行隊に配属されました。1940/6月の休戦後、アメリカを戦争に参戦させる目的でフランスを離れニューヨークへ向かい、そこでレジスタンスの代弁者の一人となりました。飛行士を夢見て、1944年の春にサルデーニャ島、次にコルシカ島で、プロヴァンス上陸に備えた写真偵察を担当する部隊に加わりました。1944/7/31の任務中に「ロッキードP-38ライトニング飛行機」とともに海上で行方不明となり、「フランスのために死亡」と宣告されました。2003/9/3にその飛行機はマルセイユ沖で発見され、正式に身元が確認されました。 なお、第二次世界大戦(1939-1945)中の1943年にニューヨークで出版された小説「星の王子さま」は初版以来、サン・デクジュペリ自身による水彩画の挿絵が使われ、素朴な主人公や脇役の姿は作品とともに愛され、200以上の国と地域の言葉に翻訳されています(2022年現在)。物語の前置きでは、この本を、フランスに住んでいて困難に陥っている「あるおとなの人」に捧げると述べられていて、この献辞の「おとなの人」は友人のジャーナリストのレオン・ヴェルト(Leon Werth、1878-1955)が、「子どもだったころ」を指しているといはれています。当時は第二次世界大戦中で、ヴェルトは平和主義者で、ナチス・ドイツの弾圧対象となっていたユダヤ人でホロコーストの犠牲にはならずに1955/12/13にパリで亡くなりました。 <作品>:〜 ・南方郵便機(Courrier Sud、1929/6月) ・夜間飛行(Vol de Nuit、1931/10月) ・人間の土地(Terre des Hommes、1939/3月) ・戦う操縦士(Pilot de Guerre、1942) ・ある人質への手紙(Lettre a un Otage、1943) ・星の王子さま(Le Petit Prince、1943/4月) ・など。 映画{紅の豚}で、1920年代の飛行艇乗りを描いた宮崎駿さんは、サン・テグジュペリの長年の愛読者だといわれています。 こちらで ・コーヒー ・スパイス (香辛料) ・蘭英戦争(1652-1674)
上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和6年 2024/4/24 |