★フランス | 冒険航海(Adventure Voyage)
ジョヴァンニ・ダ・ヴェラザーノ船長 1524 北アメリカ東岸を探検航海 |
大航海物語★ |
ハドソン川下流ニューヨーク湾 | ヴ ェ ラザ|ノ ・ ナロ| ズ 橋 |
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ヴ ェ ラザ|ノ船長 |
ヴ ェ ラザ-ノ・ナロ-ズ橋の開通記念 ニューヨーク湾発見者に因んで命名 イタリア 1964/11/21 発行 |
TERRES AUSTRALES ET ANTARCTIQUES FRANCAISES 16世紀の帆船 フランス南極地方 1988/1/1 発行 |
Canada カナダと付近の地図 カナダ 1980/1/23 発行 |
←グリーンランド ←ラプラドル半島 ←ニューファンドランド島 ←ニューヨーク ←ケープ・フィア |
BERMUDA 大西洋の地図 ヴェラザーノ船長の探検航海地図(赤線、往路:下、帰路:上)、1524 |
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カ ナ ダ ア メ ニューヨーク→ リ カ フィア岬→ カ リ ブ 海 |
イ ギ リ ス ←ディエップ フ ラ ン ス ア フ リ カ |
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これはバーミューダ島で遭難のシー・ヴェンチャー号航海地図の切手小型シートで作成 バーミューダ 1984 発行 |
REPUBLIQUE FRANCAISE
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US Postage ヴ ェ ラザ-ノ ・ ナロ-ズ ・ブリッジ マンハッタンの西はハドソン川
橋の南はローアー・ニューヨーク湾 USA 1964/11/21 発行 |
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ITALIA イタリアの地図 イタリア 2006 発行 |
イタリアのフィレンツェ生れのヴェラザーノ船長は、コロンブスに遅れること32年、マゼランの世界一周航海船隊に遅れること、2年後の1524年にフランス王フランソワ1世の命で、新大陸北アメリカ東海岸の探検航海を達成し、北アメリカ大西洋岸を探検した最初のヨーロッパ人になりました。1513年にはスペインのポンセ・ド・レオンがフロリダ半島を発見していたので、ヴェラザーノ船長はフロリダの遥か北のフィア岬(恐怖の岬、現:サウスカロライナ州)に到達してからは少し南下しただけで北上航海をなし、既にヨーロッパでは好漁場として知られていたニューファウンドランド島沖のグランド・バンクスを経て、大西洋を横断航海後にフランスへ帰港しました。 |
ジョヴァンニ・ダ・ヴェラザーノ船長(1485-1528) Captain Giovanni da Verrazano 別名:ヴェラッツァーノ船長 イタリア(フローレンス)の探検家(Florentine Explorer) 生地:イタリアのフィレンツェ共和国カステロ・ヴェラッツァーノ村ヴァル・ディ・グレーヴェ城生 没地:カリブ海のグアドループ島、43才頃没 ジョヴァンニ・ダ・ヴェラザーノ船長の生まれは定かではありませんが、1485年頃にイタリアの旧フィレンツェ共和国(Repubblica di Firenze、1115-1531)トスカーナ州フィレンツェ県グレーヴェ・イン・キアンティ(Greve in Chianti(Val di Greve), Provincia di Firenze, Toscana, Italy)のカステロ・ヴェラッツァーノ村(Via Castello di Verrazzano、県都フィレンツェ南約50km)にあるヴァル・ディ・グレーヴェ城(Castle Val di Greve)で生まれたと伝えられています。 1507年ヴェラザーノ船長は22才頃にフランスのオート・ノルマンディー(Haute-Normandie)地域圏セーヌ・マリティーム県(Seine-Maritime department, regions of France)の英仏海峡に面した港町ディエップ港市(Port of Dieppe, commune Dieppe)に移住して船乗りになり、地中海の東部まで数度航海しました。1508年には船主ジャン・アント(Jean Ango)のラ・ペンシー号(La Pensee)船長トーマス・オーバート(Captain Thomas Aubert)に乗組んで大西洋を横断大航海して、ニューファンドランド島(Newfoundland Island)までも航海しました。帰国後に小型漁船ペンシー号(Pensee)の船長となって、再度ニューファンドランド島までも航海しました。 1522/9月にマゼラン船長の世界一周船隊の生残りのファン・セバスチャン・エルカノ船長一行がスペインに帰国すると、フランスはスペインやポルトガルとの貿易競争が激しくなって、特にフランスのリョン(Lyon)やルーアン(Rouen)の銀行家や金融業者などの貿易関係者が、フランス王フランソワ1世(Francis I, 1494-在位1515-1547)に新しい貿易ルートの開拓を陳情しました。そこで、1523年にフランソワ1世が北アメリカから太平洋やアジアへ出る航路(北西航路:Northwest Passage)を探るために、ヴェラザーノ船長を新大陸へ派遣しました。そして、ヴェラザーノ船長は大西洋を横断航海して、新大陸のフロリダ(Florida)からニューファンドランド(Terranova, the New Found Land)の間の沖合を航海しながら探検しました。なお、ニューファウンドランド島は、古くはラテン語で「テラ・ノヴァ」(Terra Nova)と呼ばれていて、仏語では”Terre-Neuve”とも言われています。 ヴェラザーノ船長の冒険大航海:〜 ・1508年〜23才、ニューファウンドランド海域、ペンシー号 ・1523年〜38才、グランド・バンクス海域探検、4隻(2隻遭難) ・1524年〜39才、北アメリカ東岸探検航海、ラ・ドーフィーヌ号 ・ケープ・フィア到達 ・ニューヨーク到達 ・ニューファウンドランド島到達 ・1527年〜42才、ブラジルに漂着 ・1528年〜43才、カリブ海を探検航海 ・グアドループ島に到達、没 1523年に4隻でオート(上)ノルマンディー地域のディエップ港を西北のニューファウンドランド島沖グランド・バンクス(Grand Banks of Newfoundland)海域へと出帆しました。 ヴェラザーノ船長の船隊4隻:〜 ・旗艦カラック型ラ・ドーフィーヌ号(flagship Carrack La Dauphine, 1518, 100t, 50人乗組)、 (デルフィナ号(Delfina)説有) ・僚船ラ・ノルマンディー号(La Normande)、(ノルマンダ号(Normanda)説有) ・随伴船サンタマリア号(Santa Maria) ・随伴船ヴィットリア号(Vittoria) その後、グランド・バンクスの直ぐ近くでサンタマリア号とヴィットリア号の2隻が嵐で遭難・沈没。嵐で傷んだ2隻ラ・ドーフィーヌ号とラ・ノルマンディー号がフランスのディエップ港へ帰港しました。1523年の最後の週に修理が完了して、再度の出帆。今回は、海は穏やかでも対立するポルトガル領やスペイン領で危険な南の海域へと向かい、途中のポルトガル領マデイラ島に寄港しました。1524/1/17にラ・ドーフィーヌ号が補給物資を準備しているうちに、ラ・ノルマンディー号は母港のディエップ港へ戻りました。 1524/1/24にラ・ドーフィーヌ号は8ヵ月分の補給物資を積み込むと、水先案内のアントワーヌ・コンフラン(pilot Antoine de Conflans)とヴェラザーノ船長の弟ジロラーモ・ダ・ヴェラッツァーノ(Girolamo da Verrazano)、地図専門家(cartographer)を伴って、単独船でマデイラ島を新大陸へと出帆しました。 ヴェラザーノ船長の大航海:〜航海日誌より 1523年 4隻でノルマンディーのディエップ港を出帆 32才のジャック・カルティエが参加 大西洋を横断航海してニューファウンドランド沖グランドバンクス海域に到達 グランドバンクス付近でサンタマリア号とヴィットリア号が嵐で遭難して沈没 ラ・ドーフィーヌ号とラ・ノルマンディー号が大西洋を横断航海後にディエップ港へ帰港、修理 修理なったラ・ドーフィーヌ号とラ・ノルマンディー号がディエップ港を出帆 大西洋を南下航海 ラ・ドーフィーヌ号とラ・ノルマンディー号がマデイラ島に到達 1524年 01/17、ラ・ノルマンディー号が帰国の途につく 01/24、ラ・ドーフィーヌ号がマデイラ島を北西航路(Northwest Passage)を求めて出帆 大西洋を横断航海 03/01、新大陸の北米ケープ・フェア(Cape Fear, North Carolina:恐怖の岬)到達、 その付近に上陸 アウターバンクス(大西洋の墓場)に沿って北上航海、 沖合を航海してチェサピーク湾とデラウェア川は発見できずに通過 パムリコ湾(Pamlico Sound, North Carolina)を望見、 其処が後の地図にヴェラザーノ海として表示される 北アメリカ現地人(Native Americans)に出会い交易する 04/17、ニューヨーク湾ハドソン川(Hudson River, 507km, New York Bay)河口入江と思ったナロー海峡 (ローワー湾(Lower Bay)とアッパー湾(Upper Bay)の境界)付近に投錨 これでアッパー湾に進入した最初のヨーロッパ人となり、ハドソン川望見説も有 其処をヌーヴェル・アングレーム湾(Nouvelle-Angouleme)と命名(後のニューヨーク)、停泊 デラウェア族のレナペ族(Lenape、Delaware)に出会い交易する ロングアイランド島(Long Island, New York)沖を探検航海 その東のブロック島(Block Island, Rhode Island)沖を探検航海 ロードアイランド湾(Rhode Island Sound, Rhode Island)北側の ナラガンセット湾(Narragansett Bay, Rhode Island)に投錨 その湾西側のナラガンセット族もしくは、その湾東側の(現マサチューセッツ州南東部に住む) ワンパノアグ族(Wampanoag)に出会い交易する 其処をノルマンヴィラ(Normanville, Delaware)もしくは ロングヴィラ(Longa Villa, New Jersey)と名付けて2週間停泊 ペノブスコット川(Penobscot River, 175km, Maine)河口に到着 北上航海 カナダのノヴァスコティア半島(Nova Scotia)沖を航海したので、 奥まったファンディ湾(Bay of Fundy)を発見できずに航海 ニューファウンドランド島(Newfoundland)に到達 大西洋を横断航海 1524/7/8、フランスのディエップ港に帰港。 1527年 早い頃、4隻でディエップ港から北西航路を求めて出帆 ポルトガル領ヴェルデ岬諸島(Cape Verde Islands)近くで嵐に遭遇して船隊が散り散りとなる ヴェラザーノ船長の2隻が南アメリカのブラジル海岸に流れ着く 09月、ヴェラザーノ船長の2隻がブラジルウッド(brazilwood)を積んでディエップ港に帰港 少し遅れて3隻目がブラジルウッドを積んで帰港 1528年 03月、最後の航海にディエップ港を出帆 フロリダ半島(Florida)に到達、南下航海 バハマ諸島(Bahamas)沖を航海 小アンティル諸島(Lesser Antilles)の リーワード諸島(Leeward Islands)を南下航海 ウィンドワード諸島のグアドループ島(Guadeloupe Island)に投錨 その島に上陸して現地人に襲われ、殺害される(食われたという説有)。 ヴェラザーノ船長は航海日誌に大西洋を横断航海して、1524/3/1に北アメリカの現:サウスカロライナ州ケープ・フェア(恐怖の岬)近くに上陸したと記入。そして現在のサウスカロライナ州海岸に沿って南に下り、転じて北へ向かい、さらに現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州の東端に並ぶ半島および砂州の連なりで、ほぼ南北に並び、東側は大西洋で、西側はパムリコ湾(Pamlico Sound)・ロアノーク湾などの内海で、ロアノーク島もあるアウターバンクス(Outer Banks)に沿って航海しました。すると、細い帯状の陸があり、その向こうに大洋が開けているように見えました。本当はアウターバンクスのパムリコ湾の砂洲(Pamlico Sound lagoon, North Carolina、東西129km、南北24〜48km)とアルベマール湾(Albemarle Sound)の入江に過ぎませんでしたが、その勘違いをヨーロッパへ持ち帰って報告したので、1527年のヴィスコンテ・マッジョーロ(Visconte Maggiolo 1478-1530)や、1529年のヴェラザーノ船長の弟ジロラーモ・ダ・ヴェラッツァーノが作成した地図では、北アメリカがヴェラザーノ海(Verrazano Sea)によって、2つに分かれており、その2つが東海岸にある細い陸橋で繋がれているように描かれてしまいました。この誤りが訂正されるまでに約1世紀がついやされました。 ヴェラザーノ船長は何度か上陸し、海岸地帯に住む新大陸アメリカの現地人と交易しましたが、沖合を航海したので、現:ニュージャージー州(New Jersey)とデラウェア州(Delaware)との境界になっているチェサピーク湾(Chesapeake Bay)や、さらに北のデラウェア川(Delaware River 484km)は発見できずに航海記日誌に何の記述もありません。また、現在のニュージャージー州海岸に沿って北上し、ローワー・ニューヨーク湾(Lower New York Bay)に入り、スタテン島(Staten Island)とロングアイランド(Long Island)の間のザ・ナロー(The Narrow:海峡)を越えた付近に投錨・停泊して、アッパー湾に進入した最初のヨーロッパ人となりました。そこからハドソン川(Hudson River, 507km)を望見して湖があると思いましたが、それはアッパー・ニューヨーク湾(Upper New-York Bay)、すなわちハドソン川河口のニューヨーク港(New York Houbour)で、そこをニュー・アングレーム(後のニューヨーク)と名付けました。そして停泊していた本船へ、カヌーに乗ってやってきたレナペ族の訪問を受け、交流しました。乗組員達がスタテン島の「水汲み場」と呼ばれる泉で飲料水を補給しました。現在はそこのベイ・ストリートとビクトリー大通りの角の小さな公園に記念碑が立っており、ヴェラザーノ船長が停泊した場所は現在のブルックリンにあるヴェラザーノ・ナローズ橋の付け根付近といわれています。ヴェラザーノ船長はニューヨーク港の奥深くまでは進入せず、ハドソン川そのものは発見していません。ニューヨーク港からはロングアイランドの南海岸を回って、ブロックアイランド湾を横切り、ナラガンセット湾に入り、そこで恐らくナラガンセット族に遭って2週間滞在したと考えられています。そこからさらに東北の現在のメイン州に至り、ノバスコシア島の南東海岸を回ってから、ニューファンドランド島経由で、1524/7/8にフランスのディエップ港に帰港しました。帰国後、「北アメリカの探検航海記」を執筆しました。なお、ニューヨークのヴェラザーノ・ナローズ・ブリッジや、ロードアイランドのジェイムズタウンにあるジェイムズタウン・ヴェラザーノ・ブリッジは、ヴェラッツァーノ船長が探検した地域に架かる橋で、その名前に因んで名付けられました。 1527年の早い頃にヴェラザーノ船長は、4隻でディエップ港から北西航路を求めて出帆しました。ヴェルデ岬諸島付近で今回も嵐に遭遇して、船隊が散り散りとなりました。ヴェラザーノ船長の船2隻が南アメリカのブラジル海岸に流れ着きました。1527/ 9月にその2隻がブラジルウッド(brazilwood)を積んで、ディエップ港に帰港。その後、3隻目がブラジルウッドを積んで少し遅れて帰港するも、最後の1隻は戻らす行方不明となりました。 1528年にヴェラザーノ船長はまたもや北西航路を求めて最後の航海に出帆しました。今度は大西洋を横断航海して、フロリダ半島に到達。南下航海してバハマ諸島を経て、小アンティル諸島(Lesser Antilles)のリーワード諸島(Leeward Islands)を南下して探検航海し、ウィンドワード諸島のグアドループ島(Guadeloupe Island)の海岸から離れて投錨、停泊しました。ヴェラザーノ船長は小さなボートで上陸して現地人に会おうとするも、そこの現地人は交易をしたがるような友好的な民族ではなく、反対に敵対的な食人種で、現地人はヴェラザーノ船長を殺害して食べてしまったと伝えられています。それは海岸から離れて停泊している本船に残っていたヴェラザーノ船長の弟ジロラーモが一部始終を目撃するも、大砲を撃つには遠すぎ、ボートで上陸するには間に合わず、結局為す術が無く救出は出来ませんでした。なお、ヴェラザーノ船長の最後は定かではなく、スペイン人に捕まり、海賊として絞首刑にされたともいわれ、いずれも43才頃に亡くなったと伝えられています。 ・大西洋の墓場 (Graveyard of the Atlantic) 大西洋の墓場は米国ノースカロライナ州アウターバンクス(Outer Banks)からチェサピーク湾入口のヘンリー岬(Cape Henry, Chesapeake Bay)から南のバージニア州沿岸(Virginia coast)の大西洋に沿った海域に付けられた呼び名です。この海域では、バフィン海(Baffin Sea)から流れてくる寒流のラブラドル海流(Labrador Current)とカリブ海から流れてくる暖流メキシコ湾流(Gulf Stream)がぶつかっています。この海域では厳しい気象条件や強い海流、航海上の難所の存在により多くの船舶と人命が失われてきました。記録がとられ始めた1526年以降1,000隻(2,000隻説有)以上もの船が沈みました。 参考HP:〜 ・ディエップ港の場所地図 ・フランスの区分地図(Regions of France:フランスの地域圏) ・フランスの区分地図(日本語:フランスの地域圏) ・ヴェラザーノ船長の航海地図(1) ・ヴェラザーノ船長の航海地図(2) ・ヴェラザーノ船長の航海地図(3) (3:ヴィスコンテ・マッジョーロ(Visconte Maggiolo 1478-1530)による地図(1527)、 イタリア・ミラノのアンブロジアーナ図書館(Biblioteca Ambrosiana)蔵) ・ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジの場所地図(1) ・ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジの場所地図(2) ・北西航路の地図(現在) ・ラブラドル海流の地図(Lbrador Current:寒流=青、グランドバンクの地図) ・ノヴァスコシア半島付近の地図(Google-Map:日本語) ・ファンディ湾の場所地図(ノヴァスコシア半島の西北に有) ・ロードアイランド州の場所地図(ナラガンセット湾有) ・パムリコ湾の場所地図(ノースカロライナ州) ・アウターバンクスの地図(日本語、ノースカロライナ州) (ノースカロライナ州のケープフィアからパムリコ湾を示す航空地図) ・メキシコ湾流の地図(Gulf Stream:暖流) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 14/1/14、14/5/6 |