ニューファンドランド島
 Newfoundland Island、Canadian province of Newfoundland and Labrador

NEWFOUNDLAND

ラプラドル半島

ニューファウンドランド島
ニューファウンドランド 大正16年 1928/1/3 発行
CANADA
セント・ローレンス河

カナダ 1991/8/20 発行

NEWFOUNDLAND
タラ(鱈)

英領ニューファウンドランド
明治20年 1887 発行
CANADA
中央がハドソン湾
(カナダと付近の地図)

カナダ 1981 発行


←ケーン水路
←グリーンランド

←パフィン島
←プロビジャー湾
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
ラプラドル半島
←ニューファウンドランド
←ケベック

USA Post Office
ラブラドール半島


バフィン島→


サウサンプトン島→

アンガヴァ半島→




←ハドソン海峡


←ラブラドール半島


←ニューファウンドランド島



ラブラドールとニューファウンドランドの場所を表示
USA 1908 発行
CANADA
セントローレンス湾の地図

ガスペ半島、カボッと海峡、ニューファウンドランド島
カナダ 1992 発行

JERSEY
ガスペ半島

ジャージー 1978/6/9 発行
セントローレンス湾の
プリンスエドワード島


、カナダ 1969/7/1 発行

ニューファンドランド島
 Newfoundland Island

ニューファンドランド島は、面積:111,390ku、人口:2001年現在で466,172人で、世界屈指の好漁場。ニューファンドランド・ラブラドール州の政治的・経済的な中心、州都セントジョンズはこの島の南東端、大西洋沿岸にある。1949年にイギリス植民地からカナダに加入して以来、この島のある州は「ニューファンドランド州」と呼ばれていたが、ラブラドール半島にある地域・ラブラドール地方が大きな面積を占めていたことから2001年に現在の「ニューファンドランド・ラブラドール州」に改称され、島の最高点は標高814m のルイスヒルズ。州都セントジョンズの南にあるスピア岬は北米の最東端。

ニューファンドランド島は、ラブラドール半島からはベルアイル海峡で、ノバスコシア州先端のケープブレトン島からはカボット海峡で隔てられている。この島はセントローレンス河の巨大な河口を塞ぐように位置しており、セントローレンス湾を形成している。島の南岸の沖合いには、フランスの海外領土、サンピエール島・ミクロン島(Saint-Pierre et Miquelon)がある。

先住民ベオスック族(Beothuk)が居た所へヴァイキング(ノース人)の航海者レイフ・エリクソンが1000年ごろ到達して「ヴィンランド」で遭遇。1006年ごろ、現在のランス・オ・メドー国定史跡(ノース人らの一団が恒久的な入植地を建設しようとした海岸沿いの地)の周辺で戦いが起こり、ノース人は帰国。

ニュー・ファウンドランドは1497年ジョン・カボットが再発見し1498年上陸した島で、大陸とはベル・アイル海峡と南西のカボット海峡で隔てられている島です。1583年イギリスのギルバート卿が入植して、イギリス最初の海外植民地となりました。

ジョン・ガイが1610年クーパー入江(Cuper's Cove)に入植を果たして、1610〜1614年の間、ニューファンドランド島(Cuper's Cove)のイギリス初代総督をつとめました。

1713年フランスとのユトレヒト条約により、正式な英国の植民地となりました。沿岸沖合いで「寒流のラブラドル海流」と「暖流のメキシコ湾流がぶっつかっているグランド・バンクス(Grand Banks of Newfoundland)と呼ばれる海域一帯がタラをはじめとする有数の漁業資源に恵まれ、発見直後から漁業で繁栄しました。

1855年に大幅な自治が認められ、1949/3月にカナダに編入されました。なお、ベオスック族は入植者達に殺され、飢餓と入植者の持ち込んだ疫病で激減した後の19世紀初めには、生き残りはほんの僅かで、1829年に最後の一人が亡くなりこの民族は絶滅。

参考HP:〜
 ・ニュー・ファウンドランドの場所地図
 ・ニューファンドランド島の地図
 ・ラブラドール半島の地図
 ・ラブラドールとニューファンドランド島の場所地図

・上記々述はこちらの文献などを参照させてもらいました。     08/10/10、13/7/5

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