Portugal 国連 1989 発行 |
切手で綴る ポルトガルの大航海 (Discovery Voyage) エンリケ航海王子の船長たち (No.5)
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大航海物語 ポルトガル編★ |
GAMBIA 西アフリカの地図 |
MOCAMBIQUE カラベル船 ポ領モザンビーグ 1963 発行 |
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アゾレス諸島 . マデイラ諸島 ポルト・サント島 カナリア諸島 . 西サハラ〜ボジャドール岬→ オーロ川 西サハラ〜ブランコ岬→ モーリタニア〜アルギン セネガル〜セネガル川 ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬→ ガンビア川 ギニア シェラレオーネ |
エルミナ城 |
アフリカ大陸 | ||
ガンビア 1992 発行 | ||||
黒い突起は上から | ・ボジャドール岬 ・ブランコ岬 ・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有) |
アンタン・ゴンサルヴェス船長 Antao Goncalves (生年没年不詳) 1441年、エンリケ王子はゴンサルヴェス船長に小型船を、トリスタン船長にはカラヴェル船を与え、アフリカ西海岸をギニア海岸まで南下するよう命じました。2隻の帆船はボジャドール岬を越えて、リオ・デ・オーロ(黄金河)まで南下。その先の岬に何千頭ものアザラシがいるのを目撃して、アザラシ狩りをして出来る限り沢山のアザラシ皮を船積み。その後、ゴンサルヴェス船長は9人の部下と内陸部を襲撃して、アゼネイ族のベルベル人とその黒人奴隷を捕え、さらに翌日トリスタン船長らと共に再度襲撃して、酋長アダウと9人を捕えました。リオ・デ・オーロで酋長ら12人を船積みして帰国。この後の数年は奴隷を目当てとした航海が続けられ、最初の5年間でポルトガルに来た奴隷は1,000人近くになりました。 1443年に再度、リオ・デ・オーロ着。前回の捕虜3人(酋長アダウ他)を返し、その交換で黒人奴隷10人・少量の砂金・多数のダチョウの卵を獲得してポルトガル南部アルカルベ地方のラゴスへ帰港しました。 1444年にはムーア語のわかる従者ジョアン・フェルナンデスをリオ・デ・オーロに残しました。 1445年、再度のリオ・デ・オーロ着。 |
ディニス・ディアス船長 Dinis Dias (生年没年不詳) ディニス・ディアスは喜望峰の発見者バーソロミュー・ディアス船長の父親で、「あんいつな生活にすっかり身を任せることを好まない」と言って、冒険航海者になった老人と伝えられています。父のジョアン・ディアスもエンリケ王子に仕えて、バハドール岬(ボジャドール岬)に到達していました。 1445年、エンリケ航海王子の命で、ブランコ岬の沖を800kmほど航海し、新記録を樹立。アフリカ大陸の最西端に到達、そこを「ヴェルデ岬」と命名。セネガルのダカールで4人の黒人奴隷を捕えました。ヴェルデ岬はダカールの近くの岬です。 1445年、エンリケ王子の命で、セネガル河をへてダカール近くのゴレー島に達しました。 1445年のランサローテ船長の大規模な遠征隊にも参加しました。 ヴェルデ岬には、その後の3年間にポルトガルのラゴス・テージョ河々口のリスボン・マデイラ諸島のマディラ島から、奴隷狩りや交易のために26隻が来訪しました。 |
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・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.2/12/8(2020) 追記
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