Portugal 国連 1989 発行 |
切手で綴る ポルトガルの大航海 (Discovery Voyage) エンリケ航海王子の船長たち (No.6)
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大航海物語 ポルトガル編★ |
GAMBIA 西アフリカの地図 |
PORTUGAL カラベル船 ポルトガル 1990 発行 |
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アゾレス諸島 . マデイラ諸島 ポルト・サント島 カナリア諸島 . 西サハラ〜ボジャドール岬→ オーロ川 西サハラ〜ブランコ岬→ モーリタニア〜アルギン セネガル〜セネガル川 ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬→ ガンビア川 ギニア シェラレオーネ |
エルミナ城 |
アフリカ大陸 | ||
ガンビア 1992 発行 | ||||
黒い突起は上から | ・ボジャドール岬 ・ブランコ岬 ・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有) |
アフォンゾ・ゴンサルヴェス・バルダイア船長 Afonso Gongalves Baldaya (生年没年不詳) 1434年、エンリケ王子の命で航海未経験のバルダイア船長はパリネル船(※1)で、経験豊富なカラヴェル船のエアネス船長と共にボジャドール岬の先へ航海するために派遣され、岬を回って320kmの地点に到達。ボジャドール岬の突破に成功しました。 1435年、王子の命でパリネル船のバルダイア船長はカラヴェル船のエアネス船長と共に、ボジャドール岬を越えて、リオ・デ・オーロへ向けて航海。ボジャドール岬から50レグア(※2)南下してガーネット湾(※3)に到達後、ボートで上陸。人間とラクダの足跡を見つけ、王子へ報告。 1436年、王子の命でパリネル船で探検航海に出帆し、ボジャドール岬の160km先のアングラ・ドス・ルイボス湾(北緯24度)に到達、入り江でアザラシ狩りをし、19人の住民を捕え、ここで騎兵2人を上陸させ7レグア内陸部へ入った奥地まで進むも、投げ槍で武装した一団の住民に襲われ海岸まで逃げ戻りました。その後さらに先へ160km進み「せまい湾」を見つけました。ここが後に、リオ・デ・オーロと呼ばれることになるアラブ人の産金地帯の近くでした。その後、ブランコ岬近くまで南下。 (※2)レグアは5.552km、但し当時は5.91km。 (※3)ガーネット湾(Garnet Bay)、西サハラ (別名アングラ・ドス・ルイボス湾:Angra dos Ruivos) 800km南下した北緯25度説も有って、何千頭ものアザラシがいるのを目撃。アザラシ狩をして出来る限り沢山のアザラシ皮を船積み後、ポルトガル南部アルカルベ地方ラゴスへ持ち帰り、これが事業として価値有る初の商品となりました。 |
ジョアン・フェルナンデス従者 Joao Ferunandes (生年没年不詳) フェルナンデス従者はアンタン・ゴンサルヴェス船長の従者でムーア語が話せました。 1444年、ゴンサルヴェス船長に従って、リオ・デ・オーロ(黄金河の意で、ボジャドール岬とブランコ岬の中間付近) への航海に出かけました。ゴンサルヴェス船長がポルトガルに帰国する時に、後に残って、土地とその住民を調査。数ヵ月(7ヵ月説有)にわたって、ベルベル人と生活と 旅行を共にした後、貴重な情報をポルトガルに持ち帰り、エンリケ王子に報告しました。 (※1)パリネル船 (Barinel Ship)
・新型の深い船体 ・二本マストの帆と ・オールで動く船で エアネス船長の当初のシングルマストのバルカ船よりも大きく、特に沿岸探検用に設計されたと言われています。従って既にミズンマスト(Mizzen-mast:最後尾、あるいはメインマストの後)に遅れて帆が張られていたかも。 |
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・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.2/12/9(2020) 追記
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