切手で綴る世界遺産(セネガル)
ゴレ島
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ゴレ島・デストリーズ要塞 セネガルのゴレ島(Ile de Goree, Senegal) 世界遺産条約(Convention du Patrimoine mondial)シリーズ トーゴ 1984 発行 |
SENEGAL ゴレ島保存(Sauvons Goree)記念シート |
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ウィリアム・ポンティ高等師範学校 Ecole William Ponty |
ゴレ島の女性博物館 Musee Historique du Goree |
ゴレ島の地図 Ile de Gorees(Carrie d'Epoque) |
「奴隷の家」かつての奴隷収容所 Maison des Esclaves |
世界遺産の建造物(モニュメント) Monument du Patorimoine Mondial セネガル 1984 発行 |
・ゴレ島 Island of Goree 所在地:セネガル首都ダカール州ダカール県ダカール市プラトー郡ゴレ区ゴレ島 (Goree Island, Goree Commune d'arrondissement, Plateau Arrondissement, Dakar City, Dakar Department, Dakar Region, Senegal) 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1978) (UNESCO World Heritage Site, Type:Natural) 正式名称:日:ゴレ島 英:Island of Goree 仏:Ile de Goree ゴレ島は、セネガル共和国のヴェルデ岬半島(Cape Verde Peninsula)にある首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ島で、東西約300m・南北約900m。過去には奴隷貿易の拠点として栄え(1776頃-1815)、1978年に島全部が世界遺産登録され、島全体がダカール市の19の行政区の一つ、ゴレ区となっています。 セネガルの最古のイスラム教のモスクも残っていて、1815年に統治国だったフランスが廃止(1815)するまで、奴隷貿易の拠点として栄えました。かつての奴隷収容所が島内に記念館「奴隷の家」として残っています。 ・ゴレ島の略史 1444、ポルトガル人が到達 1445、ポルトガル人ディニス・ディアスがゴレ島に到達 1588、オランダが占領 1628、オランダが占領 1664、イギリスが占領 以後、イギリスとフランスが領有争いを繰り広げる 1667、最終的にフランス領となる(仏はフランス革命の1794年に奴隷廃止を宣言) 1758、イギリス艦隊がゴレ島占領 1763、イギリスがパリ条約でゴレ島をフランスへ返還 1802、ナポレオンが砂糖プランテーションの農場主の要請で奴隷廃止を撤回 ナポレオンの最初の妻 ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Josephine de Beauharnais, 1763-1814)の父も、 富裕なマルチニークの農場主でした 1815/3月、百日天下でナポレオンはイギリスの歓心を得るため奴隷貿易を廃止 1840、奴隷貿易が廃止されると商業の中心はリュフィスクへ移る 1856、フランス要塞が完成 1857年、商業の中心はダカールへ移る 1872、ゴレ島にもサンルイ(Saint-Louis)と共にフランス式のコミューンが置かれる ダカールも当初はゴレ・コミューン(commune)の一部 1887、ダカールがゴレ・コミューンから分離される 1891、ゴレ人口2,100人、ダカール人口8,737人 1926、ゴレ人口700人、ダカール人口33,679人 1929、ゴレ島がダカールに統合される 1960/4/04、マリ連邦としてフランスから独立 1960/8/20、マリ連邦から分離、セネガル共和国として単独国家となる セネガルの独立に伴い、ゴレ島もセネガル領となる 1978、ゴレ島がユネスコ世界遺産(文化遺産)登録(負の遺産:Legacy of Tragedy)。 <ゴレ島内の主な建造物> ・記念館「奴隷の家」(House of Slaves) ・セネガル女性博物館(Henriette-Bathily Women's Museum) ・セネガル歴史博物館(Historical & Archaeological Museum) ・ウィリアム・ポンティ高等師範学校(Ecole normale William Ponty, 1913-1937) ・デストリーズ要塞(Fort d'Estrees)。
・2号室:旧石器時代に関する展示 ・3号室:新石器時代に関する展示 ・4号室:大規模な貝塚に関する展示 ・5号室:セネガル川(1,750km)に関する展示 ・6号室:巨石記念物の遺跡に関する展示 ・7号室:レルム(王国時代)の埋葬品に関する展示 (英:レルム:realm、古仏語:reaume、現仏語:ロワイヨーム:royaume、王国) ・8号室:黒人奴隷貿易に関する展示 ・9号室:抵抗運動に関する展示 ・10号室:ヨーロッパ人に関する展示 ・11号室:イスラム教(ISESCO)に関する展示 ・12号室:独立に関する展示 ・13号室:大砲と砲台(Salle des canons)に関する展示。 参考:〜 ・ゴレ島占領 (Capture of Goree) ゴレ島占領は七年戦争中の1758年12月に英オーガスタス・ケッペル提督 (Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel、1725-1786)率いるイギリス遠征軍がセネガル沖のフランス領ゴレ島を占領しました。ケッペル司令官は砲撃の後に海兵隊を上陸させてゴレ島を占領しました。フランス側の司令官ブレーズ・エストパン・ド・サン=ジャン(Blaise Estoupan de Saint-Jean)は降伏して、駐留軍300人と多くのアフリカ人が捕虜になり、大砲や臼砲110門が鹵獲されました。イギリスはその後1763年までゴレ島を占領し、パリ条約でフランスへ返還しました。 ・イギリス遠征軍の編成:〜ケッペル司令官 ・軍艦〜11隻(Ships) ・主力〜歩兵1コ連隊(Regiment) ・増援〜歩兵2コ中隊(Companies) ・フランス駐留軍の編成:〜エストパン・ド・サン=ジャン司令官 ・デストリーズ要塞(Fortress) ・駐屯兵〜300人(Troops)。 参考HP:〜 ・ゴレ島の地図(古地図1772年) ・ゴレ島の場所地図(世界遺産) ・ゴレ島の地図(建造物の配置図) ・ゴレ島の場所地図(ダカール県の地図、右の島) ・ダカール州の地図(4県有) ダカール県(Dakar) ゲジャワイ県 (Guediawaye) ピキン県 (Pikine) リュフィスク県 (Rufisque) ・ベルデ岬半島の地図(半島先端がダカールで、右下の島がゴレ島) こちらで世界遺産の ・イェローストーン (アメリカ) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2017/2/3 |