イギリス植民地諸国の地図切手 : (1) 、(2) 、(3)、(4) (1) 英領 ゴールド・コース(黄金海岸)の地図切手 |
ゴールド・コースト(黄金海岸)は15世紀末ポルトガル人がエル・ミナ城砦を建設して、黄金、奴隷、象牙などの貿易拠点となりました。次いでオランダ、デンマーク、イギリスなどが進出してきて貿易拠点を建設。1874年にイギリスの植民地となり、1900年には北部のアシャンティ王国が保護領となりました。その後アシャンティ王国と何度も争いが起こりましたが、1957/3/6にガーナとして独立しました。 ゴールド・コーストは、1957年の独立後は「ガーナ」となりました。 |
(2) 英領 スレーブ・コースト(奴隷海岸)の地図切手 |
スレーブ・コース(シエラレオーネ)へは1462年ポルトガルのペドロ・ダ・シントラが到達しました。16世紀にはイギリスが進出し、19世紀まで奴隷貿易の根拠地として賑わいましたので「奴隷海岸」と呼ばれました。18世紀末には英仏で奴隷禁止となり、英のグランピル・シャープが1787年解放奴隷の入植地として、フリータウンを建設し、シエラレオーネ会社が管理・運営にあたりました。ところが近隣の諸部族やフランスの軍艦からの度重なる攻撃を受けて財政が破綻し、1808年北部地方を保護領としてイギリスの直轄植民地となりました。前年の英の奴隷禁止により、取り締まりの英国艦隊の基地となり、洋上で捕えた奴隷船から解放された奴隷が入植し「クレオール」と呼ばれるヨーロッパ人との混血児が誕生しました。広大な北部地方は現地部族酋長の権力をそのまま利用した間接統治を行いました。 1961年4月27日「シエラレオーネ」として独立し英連邦の一員となり、フリータウンが首都となりました。 |
おまけ:〜 (3) 仏領 アイボリー・コースト(象牙海岸)の地図切手 |
象牙海岸の地図 |
アイボリー・コース(コートジボワール)は 面積:322,436ku(日本の約0.9倍) 人口:1,880万人(2007) 首都:ヤムスクロ(Yamoussoukro) (実質的首都機能はアビジャン) 言語はフランス語(公用語) 主要産業はカカオ(世界一の輸出国)、コーヒー、イモ類、天然ゴムの生産を中心とする農業。他に鉱業(石油、ダイヤモンド)、林業、工業(食品加工、石油製品)も盛ん。カカオ、石油製品、材木の輸出が好調。 フランス領アイボリー・コーストは1960年に独立して「コートジボワール 」となりました。 |
おまけ:〜 (4) 先住民居住地 ペッパー・コースト(胡椒海岸)の地図切手 |
胡椒海岸(Pepper Coast)とは、西アフリカ南部のギニア湾沿岸地域の呼び方で、メスラド岬(Cape Mesurado)とパルマス岬(Cape Palmas)の間にあって、現在のリベリアの領土が胡椒海岸の大半を占めていました。穀物海岸(Grain Coast)とも呼ばれました。歴史的には、15世紀にヨーロッパの航海者が香辛料を求めて、この地に上陸しました。そしてコショウによく似たギニアショウガ(メレゲッタ・コショウ: melegueta pepper)を発見して、ここを胡椒海岸と名づけました。 ペッパー・コーストは、1847年の独立後は「リベリア」となりました。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2018/12/3追記 |