Spain 国連 1988 発行 |
切手で綴る スペイン自治州 No.11
エストレマドゥーラ州 Extremadura、Espana |
大航海物語 地図編★ |
エストレマドゥーラ州
|
民族衣装
|
スペインの17州区分地図 スペイン 2011/11/2 発行 |
新大陸へ大航海 スペインのカラック船 コロンブスの乗船サンタマリア号 スペイン 1964 発行 |
スペイン王国エストレマドゥーラ州(自治州:comunidad autonoma) ス:la comunidad autonoma de Extremadura、Espana 英:the autonomous community of Extremadura、Spain 面積: 41,634ku(日本の九州(36,750ku)より広く北海道(83,457ku)より狭い) 人口:1,097,744人(2008)、 州都:バダホス県メリダ(Merida、Provincia de Badajoz)、人口:53,089人(2005) エストレマドゥーラ州はスペインを構成する17の自治州(comunidad autonoma)の1つで、2つの県(provincia)があり、西はポルトガルと接して、北部にはイベリア半島で最も長いタホ川(El rio Tajo、1,008km)、南部にはグアディアーナ川(El rio Guadiana、744km)が流れ、カセレス県にはモンフラグエ自然公園(El Parque Nacional de Monfrague, provincia de Caceres)があり、野生動物が保護されています。なお、タホ川はポルトガルではテージョ川(O rio Tejo)と呼ばれており、そのうち上流側の約700kmがスペインにあり、河口側の約300kmがポルトガル領で、間の約50kmが両国の国境になっています。 古代ローマ時代には、エストレマドゥーラの大部分とポルトガル南部は属州ルシタニア(Lusitania、ポルトガルの古称)の領域で、メリダ(Merida)に州都が置かれていました。現在でもメリダには多くのローマ建築が残されています。「エストレマドゥーラ」の語源は「ドゥエロ川の向こう」で、キリスト教諸国から見たドゥエロ川以南のイスラム支配地を指していました。国土回復運動のレコンキスタ(718-1492)の初期には文字通りドゥエロ川のすぐ南が「エストレマドゥーラ」でしたが、レコンキスタの進展とともに「エストレマドゥーラ」は南下し、最終的に現在のカセレス県とバダホス県の地域が「エストレマドゥーラ」と呼ばれるようになりました。なお、ドゥエロ川(El rio Duero、897km)はスペインのソリア県を水源とし、スペイン北部を流れて途中112kmがスペインとポルトガルの国境線の一部で、ポルトガルに入って名を変えてポルトから大西洋に注いでいます。 1230頃、ムヒッド朝軍(1130-1269)がレオン王アルフォンソ9世(Alfonso IX, 1171-1230)に敗れる 1238-1492、カスティーリャ王国(1035-1715)のグラナダ藩の時代 (Emirate of Granada、Vassal of the Crown of Castile:1230-1715) 1492、グラナダ王国グラナダ市の陥落、コロンブスの船出 1640-1668、ポルトガル領の時代 1701-1714 、スペイン継承戦争の時代 1808-1814年、半島戦争(Peninsular War)の時代 ・バダホス県(Provincia de Badajoz、人口:69.45万人(2012)、面積:21,766ku) バダホス県には11のコマルカス(郡:Comarcas)、164のムニシピオ(市:municipio)が有
・カセレス県(Provincia de Caceres、人口:41.36万人(2012)、面積:19 868ku) カセレス県には13のコマルカス(郡:Comarcas)、240のムニシピオ(市:municipio)が有
・ヴァレシア(Valencia) ▼大航海時代にはエストレマドゥーラ州がエルナン・コルテス、フランシスコ・ピサロの出身地だったので、多くの人達が新大陸へ渡航して、沢山のコンキスタドールと呼ばれる征服者を排出しました。そして、アメリカにはエストレマドゥーラの地名にちなんだ街が多く建設されました。メキシコやベネズエラには「メリダ」(例:メリダ (ユカタン州)の名を持つ都市が作られていますし、エストレマドゥーラのメデジンは小さな町なるも、コロンビアのメデジンは人口200万以上の大都会です。アメリカ合衆国のアルバカーキ(Albuquerque)は、スペインのアルブルケルケ(Alburquerque)を英語読みするとアルバカーキとなるので、それにちなんで名付けられました。 エストレマドゥーラ州出身のコンキスタドール(新大陸征服者):〜 ・エルナン・コルテス、バダホス県寒村メデジン生 ・ヴァスコ・ヌーニェス・ド・バルボア、バダホス県ヘレス・デ・ロスカバジェロス生 ・ペドロ・ド・アルバラード、バダホス生 ・フランシコ・ピサロ、カセレス県カセレス県トルヒーリョ生 ・ゴンサロ・ピサロ、トルヒーリョ生 ・エルナンド・ピサロ、トルヒーリョ生 ・フワン・ピサロ、トルヒーリョ生 ・マルティン・ド・アルカンタラ、トルヒージョ生 ・アロンゾ・ド・アルヴァラード、バダホス生 ・エルナンデス・ギロン、カセレス生 ・ペドロ・ド・ヴァルディヴィア、 1541/2/12に現在のチリの首都サンティアゴ・デ・チレ(Santiago de Chile)を建設して、 サンティアゴ・デ・ヌエバ・エストレマドゥーラ(Santiago de Nueva Extremadura)と命名 ・フランシスコ・ド・オレリャ−ナ、トルヒーリョ生 ・ヌフロ・ド・チャヴェス、 カセレス県トルヒーリョ郡トルヒーリョのサンタ・クルス・デ・ラ・シェラという小さな村生 (Santa Cruz de la Sierra, Partido judicial:Partido Judicial de Trujillo, Comarca:Tierra de Trujill, Provincia:Caceres, Com. autonoma:Extremadura,Espana) ・ディエゴ・ド・パレデス、トルヒーリョ生 ・セバスティアン・ビスカイノ船長〜(アンダルシア州ウエルヴァ(Huelva)生説有) こちらで、 ・アステカ帝国 ・インカ帝国 ・スパイス を、お楽しみください。 参考HP:〜 ・エストレマドゥーラ州の郡区分地図(24郡区分) ・カセレス県の区分地図(Partidos Judiciales de Caceres) ・トルヒーリョ郡の区分地図(Comarca) ・カスティリャ王国の版図地図(Comarca)、最盛期 ・カスティリャ王国の版図地図(1139年頃) ・スペインの県区分地図(50県) ・スペインの州区分地図(17州、都市名有) ・スペインの州区分地図(17州) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 13/6/25 |