サン人 San Peaples (Bushmen) ブッシュマン |
ダチョウ狩 |
ダチョウの卵 |
火起こし |
住居の小屋 |
SWA 1978 発行
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・サン人 San people 別名:ブッシュマン(Bushmen) 現在のサン人は、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族です。砂漠に住む狩猟採集民族は大変少なく現在ではこのサン人ぐらいです。 かつて3,000〜2,000年前くらいまでは、南部アフリカから東アフリカにかけて広く分布していましたが、バントゥー系の人々や白人の進出により激減し、現在はカラハリ砂漠に残っているだけです。近年の遺伝子解析では人類の祖先ともいわれています。サバンナで生活するサン人は「地球最古の人類」とも呼ばれ、移動する狩猟採集民族として20世紀には数多くの生態人類学者の観察対象となりました。 人口は約9万人(2009)が現在は約10万人で、言語はコイサン語族。吸着音あるいはクリック音(舌打ちをするようにして発音される音)とよばれる類型に分類される非常に多様な音を普通の子音として使用する言語です。言葉を構成する音素は世界最多の200以上で、世界一難しい言語と言われます。(日本語の音素は21・英語の音素は46)コイコイ人とは身体特性、言語、文化など著しく類似しています。基本的に狩猟採集で生計をたてているのがサン人、牧畜で生計を立てているのがコイ人と区別します。 かつてオランダ人から ”Bosjesman”(藪の民)と名づけられ、英訳されてブッシュマン(Bushman)となり、侮蔑を含む呼び方であるとされるも、研究者やサン人自身の中には、「カラハリの叢林に住む自由人」という意味を込めてブッシュマンと呼ぶ人もいます。「サン」という呼び方もコイ人がサン人を「サン・クァ」(サンの人々)と呼ぶところから来ていて、これも侮蔑的ニュアンスが含まれています。近年は少数民族の権利保護のため俗称は用いられなくなっているのもあり、サン人自身による民族名の選定が待たれています。 ・サン人の特徴 ボツワナ、さらにアフリカ南部のほとんどの地域における先住民族はサン人、いわゆるブッシュマンで、自らの言葉ク語 (!xu) ではズー・トゥワシ (Zhu twasi) すなわち「真の人間」と呼びます。サン人は口承伝承をほとんど持たない、祖先を崇拝せず、直接記憶に残る親族より古いものの記録は残っていない、恒久的な墓を持たず、偉人や偉大な祖先を讃えることをしない、特定の未来を表す単語を持たず、暦を用いず、4以上の数を数えないという、徹底した平等主義者であり、集団内部に職業集団などの階級はなく、リーダーもいません。父と父の兄弟、母と母の姉妹を区別しないため、出自集団もなく、従って部族、クラン(氏族)といったサン内部の共同体組織・組織化された社会集団も存在しません。さらに物質的な蓄積に関心がないため、村を作らず、獣を使役せず、直接背負える道具以上の家財も持ちません。 サン人は現実を最重要視する民族であり、厳しい生活環境に適応する知識、技術に特化しているといえて、集団の力で生きるツワナ人が餓死してしまうような歴史に残る干ばつの年でも、蓄えもなくツワナ人よりも過酷な環境に暮らしているにも関わらずサン人は影響を受けません。これはサバンナの樹木一本一本を固有名詞で呼び、砂漠に住む全ての生物に関する知識と、これを生かす技術があるからだといわれています。例えばたった一人で射程数mの弓のみを使って大型の草食動物を倒し、地中の昆虫を迷わず直接掘り当て食料とすることもできるのです。 ・サン人の歴史 文字を持たず、口承伝承を重視しないサン人の歴史を知るには岩壁に描かれた絵画が役立ちます。現在のタンザニア、ナミビア、南アフリカを結ぶ三角形に囲まれた地域において、3,000ヵ所にも及ぶサン人の岩絵遺跡が残っています。岩絵の総数は10万点を超え、最も有名な岩絵はボツワナ最北部のツォディロ丘陵 (Tsodilo Hills) に残る2,000点の絵画。ツォディロ岩絵の年代については放射性炭素年代測定により、紀元前4,000年と計測。他の地域にある最初期の遺跡は約2万5,000年前と考えられており、興味深いことに最も新しい岩絵にはヨーロッパ人が登場。イギリスのデスモンド・クラーク(John Desmond Clark, 1916-2002)の「石器時代の美術」で、1869年にゴウ-ウという名のサンの画家がボーア人の対アフリカ人戦闘部隊に受けた攻撃に関する絵を描いたのだとされています。現在生存しているサンの画家はいませんが、当時は角で作った「絵の具つぼ」を腰の周りにずらりと釣った画家が何十人も知られていました。それで、断続的とはいえ6,000年以上に及ぶ記録が残っていることになります。 ・サン人の生活域 サン人の生活域は当初はコイ(ホッテントット)と重複していましたが、ウシなどの家畜を所有するコイと狩猟生活のみに依存するサン人にしだいに分化。現在のボツワナにあてはめると、特に乾燥していた南西部と北西部にサン人が、比較的湿潤な北部と中部はコイ人の領域となりました。コイ人はアフリカ大陸南端にいたる地域に広がりました。 ・サンの岩絵 最初期の岩絵は、アンテロープなどの野生動物のほか、ダチョウや魚、ヘビなどの狩猟対象となる動物や薬草などが主題で、現実には存在しない架空の動物も登場。幾何学図形や手形も有。手形は重要で、岩絵を残したのがサン人であることが分かります。時代が下ると、舞踊、楽器、呪術儀式が現れ、さらに、北方から移動してきたバンツー系民族と彼らの家畜が現れます。これは西暦500年以降のもの。最後に鉄砲を持ち乗馬したヨーロッパ人が主題となり、絵画の様式も輪郭のみを描いたものから、単色の絵画、二色の絵画、多数の顔料を用いた絵画、光の効果を含んだ絵画というように順序建てて発展しました。 ・南アフリカでは世界遺産のマロティ・ドラケンスバーグ公園の各地各所にサン人の残した岩絵遺跡や洞窟壁画が有ります。 参考HP〜 世界遺産サン人の岩絵の場所地図 こちらで ・ドラケンスバーグ山脈 世界遺産の ・マロティ・ドラケンスバーグ公園 (南アフリカ共和国) ・サン(ツォディロ)の岩絵 (ボツワナ、砂漠のルーヴル) ・アルタミラ洞窟の岩絵 (スペイン) ・カカドゥの岩絵 (オーストラリア) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・ペトラ遺跡 (ヨルダン) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2018/2/17 |