コロンブスはポルトガル語、スペイン語、ラテン語などの言葉(ことば)や、マルコ・ポーロのことや、海の地図である「海図」(かいず)などを、猛勉強(もうべんきょう)しました。 |
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←「東方見聞録」(とうほうけんぶんろく)を書いたマルコ・ポーロ
コロンブスはその本を猛勉強して、366もの書込みをしています。コロンブスが読んていた本はスペインのセヴィリャの「コロンブス図書館」にたいせつにほぞんされているそうです。 |
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ヨーロッパ→
アフリカ→ |
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←アジア
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←プトレマイオスの世界地図(せかいちず)
コロンブスが見ていた世界はこの地図のとうりでした。コロンブスはこの地図2枚をつなぎあわせて見ていましたので、アジアとヨーロッパは近いと考えていました。そのころは太平洋(たいへいよう)はないとおもわれていました。 |
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アジア→
ジパング→
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←ヨーロッパ
←アフリカ |
←トスカネリの世界地図
コロンブスはトスカネリという地理学者(ちりがくしゃ)に手紙(てがみ)をかきました。トスカネリはへんじの手紙で、コロンブスの考(かんが)えがただしいといいました。トスカネリの世界地図にも太平洋はありません。「黄金の国」(おうごんのくに)ジパング(にっぽん)が大きくかかれています。 |
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←ポルトラノ海図(かいず)
沿岸航法(えんがんこうほう)の海図としてしようされていました。沿岸航法とは陸地を見ながら舟で航海することで、たとえば「あの山から西へ何日」航海したから、今はここにいると海の地図にかいたのです。地中海のはぜんぶできあがっていました。 |
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コロンブスはポルトガルから西の海のことを知りたくて、アフリカを南へ航海してカナリア諸島へ |
行きましたし、西北へと航海してアイスランド島へも行きました。 |
アイスランドのパペイ岩礁島
アイスランド 1991 発行 |
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←白い島はグリーンランド島
←アイスランド島
←イギリス
コロンブスは1476年にイギリスのブリストルに行き、そこからさらにアイスランド島に1477年2月に行きました。 |
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ボジャドール岬→
ブランコ岬→
ヴェルデ岬→
シェラレオーネ |
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1481年にはさらに遠くへのエル・ミナへ航海して行きました。
←エルミナ城 |
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