★スウェーデン 博物学探検(Natural history Expedition)
リンネ使徒
Apostles of Linnaeus
リンネ・アポストル
大航海物語★
SVERIGE
リンネ博士、Linne

スウェーデン 1939 発行
SVERIGE
カール・ツンベルグ

スウェーデン 1973 発行
SUOMI FINLAND
ペール・カーム

フィンランド 1979 発行
SVERIGE
スウェーデン東インド会社の帆船ヨーテボリ号
フィギャー・ヘッド(船首像)    船体構造           ヨーテボリ号の勇姿
スウェーデン東インド会社のイースト・インディマン東洋貿易船ヨーテボリ号(East Indiaman Gotheborg, 1745)
スウェーデン 2003/10/4 発行

リンネ使徒とはカール・フォン・リンネ博士の高弟達でダニエル・ソランダー博士(オーストラリア探検)やカール・ツンベルク博士(日本探検)など世界各地に生物標本の採集に派遣されたスウェーデンの博物学者のことで、現在ではキリストの使徒になぞらえて「リンネ博士の使徒達」と呼ばれています。その多くは、スウェーデン東インド会社(Swedish East India Company(ス語:Svenska Ostindiska Companiet:SOIC)、1731-1813)の商船カルマル号(Calmar)などで、アジアなど世界各地へ大航海しました。
リンネ使徒:〜
  Apostles of Linnaeus

  (リンネ・アポストル)
(1)クリストファー・トランストロム
  Christopher Tarnstrom, 1703-1746
  中国探検(China Expedition 1746)
   生地:スウェーデン生
   没地:コンソン島43才没
最初のリンネ使徒。1746年早くにリンネ博士の推挙により、中国への植物学探検航海(Botanical China Expedition 1746)へと派遣され、SOICの商船カルマル号(Calmar)で植物・動物・昆虫(plants, animals & insects)調査に出帆。動植物の標本をスウェーデンに送る前に、ヴィエトナム南東部沖のコンソン島(Con Son Island)に寄港。上陸して熱病にかかって、1746/12/4に亡くなりました。幼い子達を持つ未亡人がリンネ博士を非難したと伝えられています。

(2)アンデシュ・エリクソン・スパルマン
  Anders Erikson Sparrman、1748/2/27-1820/8/9
  中国探検(China 1765-67)
  南アフリカ探検(South Africa 1771-72 & 1775)
  オセアニア探検(Oceania etc. 1772-1775)
  セネガル探検(Senegal 1787)
   生地:スウェーデン中部スヴェアランドのウップランド地方ウプ
       サラ県ウプサラ・テンスタ(Tensta, Uppsala Municipality,
       Uppsala County, Uppland Province, Uppland)
   没地:スウェーデン、72才没
1765-67年にSOICの商船の船医として中国へ航海旅行。その航海
アンデシュ・スパルマン

スウェーデン 1973/9/22 発行
時にアジアから多くの標本をリンネ博士のもとへ持ち帰ったカール・エクベルグ(Carl Gustaf Ekeberg 1716-1784)に出会いました。1771年にリンネ博士の推挙で希望峰に航海して南アフリカ探検。1772/7/7にクック船長の第2回航海で南太平洋調査にヨハン・フォースター父子の助手として希望峰でレゾリューション号に乗船(オセアニア探検)。1775年にも南アフリカ探検で8ヵ月滞在し、1776年にウプサラに帰国。1787年にセネガル探検。1783-1818年に植物誌3巻などを出版しました。

(3)ペール・カーム
  Pehr Kalm, 1715-1779
  北米探検(North America Expedition 1747-1751)
   生地:スウェーデン領フィンランド生
   没地:スウェーデン領フィンランドのトゥルク (Turku)63才没
1747/11月にリンネ博士の推挙により、北米探検に派遣されて、スウェーデンを出帆。イギリスに長期間の滞在後、1748/秋に北米フィラデルフィア(Philadelphia)に到着。北米に2年半滞在。ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)、ニュージャージー州(New Jersey)、ニューヨーク州(New York)、カナダ南部(Canada)モントリアールやケベックを調査旅行して、植物標本や種子を採集。1751年にスウェーデンに帰国
ペール・カーム
後、著作の北米植物誌(En resa til Norra America)3巻を出版。

(4)フレドリック・ハセルクィスト
  Fredric Hasselquist 1722-1752
  東地中海探検(Eastern Mediterranean Expedition 1749-1752)
    ・イズミール探検(Izmir 1749)
    ・エジプト探検(Egypt 1750-1752)
   生地:スウェーデン南部イェータランドのエステルイェートランド地方
      (Tornevalla, Linkoping Municipality, Ostergotland County, Ostergotland Province, Gotaland)
   没地:イズミール30才没
リンネ博士の推挙により、東地中海探検に派遣され、エーゲ海に面するトルコのアナトリア半島(Anatolia peninsula:トルコのアジア部分)イズミール(Izmir:古くはスミルナ:Smyrna))を探検(Izmir Expedition 1749)。1750-1752年のエジプト探検(Egypt Expedition)では、キプロス島(Cyprus):パレスチナ(Palestine)をも探検して植物の標本を採集しました。そして、1752/2/9にイズミ-ルで亡くなりました。没後の1757年にリンネ博士がハセルクィストの標本や原稿から「パレスチナ博物誌」(Iter Palaestinium)を出版。

(5)オルロフ・トレン
  Olof Toren, 1718-1753
  インド・スーラト探検(Surat 1750)
  中国・広州探検(Guangzhou 1750)
   生地:スウェーデン
   没地:スウェーデン35才没
1750年にスウェーデン東インド会社(Swedish East India Company, 1731-1813)の船でインド北西部グジャラート州南部のスーラト港(Surat)に派遣され、その後に中国の広州市(Guangzhou)へ航海旅行。両所で植物の標本を採集して帰国。旅行中に病気になり、帰国後まもなくその病がもとで亡くなりました。旅行中のリンネ博士との書簡は別のリンネ使徒ペール・オスベックが彼の没後に出版。

(6)ペール・オスベック
  Pehr Osbeck, 1723-1805
  中国・広州探検(Guangzhou 1750-1752)
   生地:スウェーデン南部イェータランドのヴェステルイェートランド地方エール郡ハランダ小教区
    (Halanda socken, Ale Municipality, Vastra Gotaland County, Vastergotland Province, Gotaland)
   没地:イェータランドのハッランド地方ハッランド県ラーホルム市ヴァックストープ・ハッスロフ、83没
    (Vaxtorp・Hasslov, Laholm Municipality, Halland County, Halland Province, Gotaland)
1750年にスウェーデンのヴェストラ・イェータランド県ヨーテボリ港(Goteborg)をプリンス・カール号(Prins Carl)に乗船牧師で出帆、中国へ向かいました。広東(Canton)に4ヵ月滞在し、ジャワ島にも行き、900種の新種植物の標本を採集し、1752/6月に帰国。リンネ博士の植物誌(Linnaeus' Species Plantarum, 1753)出版。1757年には中国への旅行記、東インド旅行の日記(Dagbok ofwer en ostindisk Resa arenを出版し、ドイツ語や英語に翻訳されました。

(7)ペール・ロフリング
  Pehr Lofling, 1729-1756
  スペイン探検(Spain 1751-54)
  南アメリカ探検(South America 1754-56)
   生地:スウェーデン北部ノールランドのイェストリークランド地方イェヴレボリ県イェヴレ市トルフフォ
   ルス・ブルク(Tolvfors Bruk, Gavle Municipality, Gavleborg County, Gastrikland Province, Norrland)
   没地:ベネズエラのボリバル州にあるオリノコ川の南、カロニ川との合流地点の近くシウダーグア
   ヤナのサン・アントニオ・デ・カロニ、27才没(San Antonio de Caroni, Ciudad Guayana, Venezuela)
スペインのスウェーデン大使の要請でリンネ博士の推挙により、1751年にマドリード(Madrid)に到着。約2年間滞在してスペインの動植物(flora & fauna)を調査し、それらの標本をリンネ博士の元へ送付。1754年にスペインの南米探検隊と共に南米へと航海して、カナリア諸島を経て、ヴェネズエラへ到着。1756/2/22にヴェネズエラのオリノコ河(River Orinoco, 2,140km)南のカロニ川(Caroni River, 952km)合流点近郷で亡くなりました。2人の助手が採取した標本を保存して、リンネ博士の下に届けました。

(8)ダニエル・ローランダー
  Daniel Rolander, 1725-93
  スリナム探検(Suriname 1755)
   生地:スウェーデン南部イェータランドのスモーランド地方(Halleberga, Smaland, Sweden)
   没地:スウェーデン南部スコーネ県ルンド(Lund, Skane)
スリナムに7ヵ月滞在して植物と昆虫の標本を持ち帰りました。

(9)アントン・ローランドッソン・マルチン
  Anton Rolandsson Martin, 1729-85
  スピッツベルゲン探検(Spitsbergen 1758)
   生地:エストニアのタリン(Tallinn(旧レーヴェリ:Reval), Estonia)
   没地:フィンランド南西スオミ県トゥルク (Turku、ス語:オーボAbo)
1758/4月に北極のスピッツベルゲン島探検にヴェストラ・イェータランド県ヨーテボリ(Goteborg)を出帆。嵐の中を3ヵ月後に北緯80度に達し、スピッツベルゲン島西の小さな島に数時間上陸し、コケ植物の蘚類(mosses)と、植物ではない菌類と藻類からなる共生生物の地衣類(Lichen)の標本を採取して持ち帰り、リンネ博士に絶賛されました。

(10)カール・フレドリック・アドラー
  Carl Fredrik Adler, 1720-61
  東インド探検(East Indies, China & Java c1761)
   生地:スウェーデン
   没地:インドネシアのジャワ島(Java)没
1761年頃にスウェーデン東インド会社の船で東インドへ出帆。中国からジャワ島へ行きましたが、ジャワ島で亡くなりました。中国から送った標本の収集品はリンネ博士のもとに届きました。

(11)ペール・フォルスカル博士
  Pehr Forsskal, 1732-63
  エジプト・イェーメン探検(Egypt and Yemen 1761-63)
   生地:スウェーデン領フィンランドのヘルシンキ地方生
   没地:アラビア半島のイェーメン(Yemen)没
18才でリンネ博士の弟子になり、デンマークの探検隊(Danish expedition)で中近東探検に参加。1761/冬に出帆。エジプトのアレクサンドリア(Alexandria, Egypt)に到着。エジプトに1年間滞在して、スエズ(Suez)から紅海(Red Sea)の動植物(flora & fauna)の標本を採取。1762/12/末にイェーメンに到着。動物学の標本採取に取り組み、1763/4月にイェーメンで植物のコミフォラ(Commiphora)を発見するもリンネ博士に送る前、1763/7/11にマラリア(malaria)で亡くなりました。
ペール・フォルスカル博士

フィンランド 1979/9/26 発行
彼の研究は「アラブの動植物誌」(Flora Aegyptiaco-Arabca and Descriptiones Animalis)として、没後に出版されました。

(12)ゴラン・ロスマン
  Goran Rothman, 1739-1778
  チュニジア・リビア探検(Tunisia and Libya 1773-76)
   生地:スモーランド地方(Husebybruk, Smaland, Sweden)生
   没地:スウェーデンのストックホルム県ストックホルム(Stockholm, Stockholm County)39才没
1765年にオーランド諸島(Aland Islnds)を探検調査。1773年に北アフリカのリビアからチュニジアを探検するも、不穏な情勢に遭遇して、1776年に少しの標本を採集して帰国。

(13)ヨハン・ペーター・ファルク
  Johan Peter Falk, 1732-1774
  ロシア探検(Russia 1768-74)
   生地:スウェーデン南部ヴェステルイェートランド地方(Kockstorp, Vastergotland)生
   没地:ロシア連邦タタールスタン共和国カザン(Kazan)42才没
1751年にウプサラ大学に到着。リンネ博士の息子カール( Carl Linnaeus the Younger, 1741-1783)の家庭教師になりました。1760年にデンマークの探検隊参加を認められませんでした。
1768年にロシア科学アカデミー(Russian Academy of Sciences)の東ロシア探検に参加。ロシア連邦のヴォルガ川西岸ヴォルゴグラード(Volgograd)を経ての探検中にアヘン中毒(opium)によるうつ病(depression)で苦しみました。1774年にカザンに到着すると、自らの生命を絶って亡くなりました。彼の業績はサンクト・ペテルブルグを経てスウェーデンに送られ、没後にロシア博物誌(Beytraga zur topografischen Kenntniss des Russichen Reichs, 1785-86)として出版されました。。

(14)ダニエル・ソランダー博士
  Daniel Solander, 1733-1782
  オーストラリア探検(Australia 1768-1771)
  アイスランド探検(Iceland 1772)
   生地:スウェーデン北部ノールランドのノールボッテン地方ピーテオ(Pitea, Norrbotten, Norrland)
   没地:イギリスのバンクス卿の屋敷にて脳梗塞(stroke)で49才没
1760年にイギリスに旅行してリンネ博士の分類法(Linnaean taxonomy)を広め、1768年に男爵ジョセフ・バンクス卿(Sir Joseph Banks, 1743-1820)に雇われて、クック船長(James Cook 1728-1779)のエンデヴァー号(Endeavour)による第1回太平洋探検(Pacific Ocean Expedition 1768-1771)に参加しました。1772年にはバンクス卿のアイスランド探検(Iceland Expedition 1772)に参加して植物の標本を採集しました。

(15)カール・ツンベルク博士
  Carl Peter Thunberg, 1743-1828)
  フランス(Paris 1770)
  オランダ(Leiden 1771)
  南アフリカ探検(South Africa 1772)
  日本探検(長崎の出島:Japan 1775)
  セイロン島探検((現スリランカ:Colombo 1777)
   生地:スウェーデン南部イェータランド地域スモーランド地方
       ヨンショーピング生
   没地:スウェーデン中部スヴェアランド地域ウップランド地方
       ウプサラ近郷、84才没
カール・ツンベルグ

(16)アンドレアス・ベルリン
  Andreas Berlin, 1746-73
  アフリカのギニア探検(Guinea (1773)
   没地:ギニア沖ロス諸島(Iles de Los)27才没
1773年にイギリスの博物学者(naturalist)ヘンリー・スメスマン(Henry Smeathman 1742-1786)のギニアからシェラレオーネ探検(Gunea & Sierra Leone Expedition 1773-1777)に随行し、1773年にギニア共和国のコナクリ沖合にあるロス諸島(Iles de Los)にて採集した標本をリンネ博士の下に送付し、其処で胃病(stomach illness)で亡くなりました。

(17)アダム・アフゼリュウス
  Adam Afzelius, 1750-1837
  シェラレオーネ探検(Sierra Leone (1792-1796)
   生地:スウェーデン南部イェータランドのヴェステルイェートランド地方(Larv, Vastergotland)生
   没地:スウェーデンのウプサラ(Uppsala)87才没
1792年にイギリスのシェラレオーネ探検に参加し、1796年に多くの標本を持って戻りました。1798年にスウェーデンに帰国。

こちらで、
リンネ博士
リンネソウ(Linnaea borealis)
キリストの使徒(十二使徒:the Twelve Apostles)
をお楽しみください。

参考地図HP:〜
スウェーデンの地図(Uppsala、Umea, Lulea有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     13/12/22、2017/2/24
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