★スウェーデン
(フィンランド)
博物学探検(Natural history Expedition)
ペール・フォルスカル博士
1762
イェーメン探検

大航海物語★
SUOMI FINLAND
ペール・フォルスカル博士

ォルスカル
博士

フィンランド 1979/9/26 発行
博物誌


SVERIGE
スウェーデン帆船ヨーテボリ号

(East Indiaman Gotheborg, 1745)
スウェーデン 2003/10/4 発行
PEAPLE'S DEMOCRATIC REPUBLIC OF YEMEN
イェ−メン人民民主共和国
赤色の所:イェーメン
イカリ印はアデン

アフリカ大陸東端
←ペルシャ湾
ホルムズ海峡

←アラビア半島

←アデン湾

ソコトラ島
イェ−メン人民民主共和国 1971-77 発行


スカンジナビア半島の古地図、1662

スウェーデン 1991/1/30 発行
スウ

|デン
ボスニア湾付近の古地図
(フィンランドの郵便事業ルート地図)
中央:ボスニア湾、その東:フィンランド湾
中央下部:バルト海

オーランド諸島
1638 フィンランドの郵便事業350年記念 1988
FINLANDIA'88 : フィンランド 1985/10/16 発行




ンランド







ラドガ湖





ロシア

フィンランドのヘルシンキ地方生れのフォルスカル博士は、父の転勤でスウェーデンへ行き、19才でウプサラ大学に入学してリンネ博士の弟子になりました。ドイツのゲッティンゲン大学に留学して博士号を与えられ、帰国後に「完全な自由」を説いて当局から睨まれ、リンネ博士の推挙でデンマークの中近東探検隊に参加してアレクサンドリアに上陸後、エジプトを探検。その後イェーメンを探検して熱心に植物標本を採取するも、マラリアに感染して同地で若くして亡くなりました。
ペール・フォルスカル博士 ( 1732/1/11〜1763/7/11)
  Dr. Pehr Forsskal

  スウェーデン・フィン人博物学者(Swedish-Finnish Naturalist)、
  探検家(explorer)、東洋学者(orientalist)
  リンネ使徒(Apostle of Linnaeus)
   生地:スウェーデン領フィンランドのヘルシンキ地方生
   没地:アラビア半島南東端のイェーメン、31才没
フォルスカル博士は父ヨハネス(Johannes Forsskal)牧師の子供として、スウェーデン領フィンランドのヘルシンキ地方(Helsinki, Finland)で生まれました。1741年に父がスウェーデンのウプサラ大司教区(archdiocese of Uppsala)ウップランド地方テゲルスモラ小教区(parish of Tegelsmora, Uppland)に移動を命じられて家族を連れて赴任したので、フォルスカル博士は10才(1742)でウプサラ大学に入学しょうとして断られました。1751年19才で入学を果たして、同年に神学の学位(theological degree)を取得しました。同大学ではカール・フォン・リンネ博士の弟子になりました。そしてカール・オーヴィリュウス(Carl Aurivillius, 171-1786)の下で東洋学を学び、その斡旋で、1753年に「グリム童話」のグリム兄弟(Brothers Grimm:長兄ヤコプ・グリム:Jacob Ludwig Karl Grimm、1785-1863)も学んだドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州南部ゲッティンゲン郡ゲッティンゲン(Gottingen)のゲッティンゲン大学に行って、ヨハン・デビッド・ミカエリス(Johann David Michaelis 1717-1791)の所でも、さらに東洋学などを学び、1756年に”Dubia de principiis philosophiae recentioris”という論文を書いて博士号を与えられ、同年にウプサラ大学に戻りました。 フィンランドの地図
スウ


デン
ロシア
フィンランド 1976/3/10 発行

フォルスカル博士の冒険大航海旅行:〜
 ・エジプト探検(Egypt 1761-1762)
 ・イェーメン探検(Yemen 1762-1763

1759/11月に「完全な自由」(complete freedom)を提唱するパンフレットを出版して、当局から睨まれました。1760年に友人の勧告やリンネ博士の推挙で、デンマーク・ノルウェーの王フレデリク5世(Frederik V, 1723-在位1746-1766)によるデンマーク探検隊(Danish expedition)の中近東探検に参加しました。

1761/冬に出帆。エジプトのアレクサンドリア(Alexandria, Egypt)に到着。エジプトに1年間滞在して、スエズ(Suez)から紅海(Red Sea)の動植物(flora & fauna)の標本を採取し、アラビア語エジプト方言(Arabic dialects)を研究しました。

1762/12/末に当時アラビア・フェリックス(Arabia Felix)と呼ばれていたイェーメン(Yemen)に到着。
31才で植物学(botanical)や動物学(zoological)の標本採取に熱心に取り組み、1763/4月にイェーメンで植物のムクロジ目 (Sapindales)カンラン科(Burseraceae)ミルラノキ属コンミフォラ(Commiphora、使用例:コンミフォラの樹木から分泌される樹脂で、古くから香として焚いて使用されていた記録が残され、殺菌作用を持つことが知られて鎮静薬、鎮痛薬としても使用され、香水原料にもなる「ミルラ」(Commiphora abyssinica)の和名:(もつやく)没薬)を発見するも、マラリア(malaria)に罹りました。そしてリンネ博士の所に標本を送る前の、1763/7/11に亡くなりました。彼の研究は「アラブの動植物誌」(Flora Aegyptiaco-Arabca and Descriptiones Animalis)として、没後に出版されました。

リンネ博士は若くして生涯を閉じたフォルスカル博士を悼んで、その名に因んでイラクサ科の一種にフォリアレス・テナシシマ(Forsskaolea tenacissima)と命名しました。なお、デンマーク探検隊の完全な記録はトルキルド・ハンセン(Thorkild Hansen 1927-1989)の手によって、「デンマーク遠征隊アラビア・フェリックス探検記」(Arabia Felix:The Danish Expedition of 1761-1767、Det lykkelige Arabien, 1962)として1962年に英語版が出版され、北欧理事会文学賞(Nordic Council's Literature Prize)が授与されました。

こちらで、
リンネ博士
 ・リンネ使徒
カーム博士(リンネ使徒)
スパルマン博士(リンネ使徒)
ツンベルク博士(リンネ使徒)
をお楽しみください。

参考HP:〜
アレクサンドリアと紅海の場所地図
イェーメンの場所地図
フィンランドの地図(日本語)
スウェーデンの地図(Uppsala有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     14/4/14、2017/2/24
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止