★スウェーデン
(フィンランド)
博物学探検(Natural history Expedition)
ペール・カーム博士
1748
ペンシルバニア探検

大航海物語★
SUOMI FINLAND
ペール・カーム博士
カ|ム博士
結核予防寄付金付切手
フィンランド 1979/9/26 発行
アメリカ植物誌

SVERIGE
スウェーデン帆船ヨーテボリ号

(East Indiaman Gotheborg, 1745)
スウェーデン 2003/10/4 発行
USAirmail
新大陸のニュー・スウェーデン、1638

USA 1988/3/29 発行

スカンジナビア半島の古地図、1662

スウェーデン 1991/1/30 発行
SUOMI FINLAND
フィンランドの地図
スウ


デン
ロシア
フィンランド 1976/3/10 発行

スウ

|デン
ボスニア湾付近の古地図
(フィンランドの郵便事業ルート地図)
中央:ボスニア湾、その東:フィンランド湾
中央下部:バルト海

オーランド諸島
1638 フィンランドの郵便事業350年記念 1988
FINLANDIA'88 : フィンランド 1985/10/16 発行




ンランド







ラドガ湖





ロシア

スウェーデンのフィン人(フィンランド人)のカーム博士は大北方戦争での避難先のスウェーデンで生れ、戦後フィンランドに戻ってトゥルクで教育を受けた後、スウェーデンのウプサラ大学でリンネ博士の弟子になりました。1742年から4年間スウェーデン、ロシア、ウクライナの探検調査をしてトゥルク大学教授になりました。その後ウプサラ大学教授となり、1747年にリンネ博士の推挙で北アメリカ探検に出帆して新大陸のニュー・スウェーデンに行き、その後にアメリカとカナダの国境地帯の探検調査をしました。帰国後に北アメリカ旅行誌の北アメリカ植物誌を出版しました。
ペール・カーム博士 (1715/3/6〜1779/11/6)
  Dr. Pehr Kalm

  英名:ピーター・カーム(Peter Kalm)
  スウェーデン・フィン人博物学者(Swedish-Finnish Naturalist)、植物学者(Botanist)、
  農業経済学者(agricultural economist)、探検家(Explorer)
  リンネ使徒(Apostle of Linnaeus)  
  生地:スウェーデン北部ノールランドのオンゲルマンランド地方(Angermanland)生
  没地:フィンランド南西スオミ県トゥルク (Turku、ス語:オーボAbo)、64才没
当時スウェーデンのフィン人(フィンランド人)だったペール・カーム博士は大北方戦争(Great Northern War, 1700-1721)でフィンランドから避難してきた両親の所、スウェーデン北部ノールランドのオンゲルマンランド地方(Angermanland)で生まれ、生後6週間後に父親が亡くなりました。戦争が終わると、母は父がルター派牧師をしていたフィンランドのポフヤンマー県(フィン語:Pohjanmaa、ス語:Ostrobothnia)ナルペス(Narpes, Pohjanmaa, Finland)に戻りました。1735年20才でフィンランドの王立トゥルク(オーボ:Abo)大学(Royal Academy of Turku)に入学しました。

1740/12月に25才でスウェーデンのストックホルム北約70kmのウプサラ市にあるウプサラ大学(University of Uppsala)に入学して、カール・フォン・リンネ博士の1番弟子になりました。その後、カール・ビエルク男爵(Baron Sten Karl Bielke 1709-1753)のウプサラ実験農園(experimental plantation)の監督官になり、トゥルク大学の博物学(Natural History)講師になると、1742-1746年の間、スウェーデン(Sweden)、ロシア(Russia)、ウクライナ(Ukraine)の探検調査をしました。

1747年にトゥルク大学の経済学(Economics)教授に指名され、同年にリンネ博士の推薦で、1745年に会員になっていたスウェーデン王立科学アカデミー(Royal Swedish Academy of Sciences 1739-)から、北アメリカの植物、種子、農工業の探検調査を依頼されました。特にクワ(桑)のレッドマルベリー(Red Mulberry:Morus rubra)を持ち帰って、スウェーデン・バルト帝国(Sweden-Finland(4分割地域:1809迄)ノールランド:Norrland、スヴェアランド:Svealand、イェータランド:Gotaland、エステルランド:Osterlan)時代のフィンランドに絹産業を始めるように要請されました。

カーム博士の冒険大航海旅行:〜
・北米探検(North America Expedition 1747-1751)
  ・イギリス滞在
  ・ペンシルバニア、1748
  ・ニューヨーク(ナイアガラの滝)
  ・カナダ探検(モントリオール、ケベック)

1747/11月にウプサラ大学と、フィンランド南西部バルト海に面するフィンランド最古の町で旧首都の、かつては主要なハンザ同盟都市だった現:スオミ県の県庁所在地のトゥルク郡トゥルク (Turku、ス語オーボ:Abo)のオーボ大学(トォルク大学)の後援で、北アメリカ探検にスウェーデンを出帆しました。

イギリスに6ヵ月もの長期間滞在をした後、大西洋を横断して1748/秋に新大陸のフィラデルフィア(Philadelphia, Pennsylvania, USA)に到着し、北米に2年半滞在しました。ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)でベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin 1705-1790)と、博物学のジョン・バートラン(John Bartram 1699-1777)に出会いました。そして、
ニュージャージー州(New Jersey)に行き、当時ニュー・スウェーデン(New Sweden 1638-1655)と呼ばれていたニュー・ジャージー南部の植民地ラックーン(Raccoon、現スウェーデスボロー:Swedesboro, New Jersey)に滞在し、スウェーデンのルター派トリニティ(三位一体)教会(Trinity Lutheran Church, Swedesboro, New Jersey)の牧師として働き、ヨハン・サンディン(Johan Sandin)未亡人と結婚して、1949/5/19迄滞在しました。その後、ニューヨーク州(New York)のナイアガラの滝(Niagara Falls)を探検調査。さらに其処から北方遠くのカナダ(Canada)南部を調査旅行して、モントリオール(Montreal)から、ケベック(Quebec)迄をも探検調査し、植物標本や種子を採集。1751年にスェーデンに戻り、著作の北アメリカ植物誌 ニュー・スウェーデン、1638
(En resa til Norra America:Peter Kalm's Travels in North America)3巻を出版。フィンランド帰国後はトォルク大学(Turku Academy)教授になり、64才で亡くなる迄、勤めました。

参考:〜
・周期ゼミ
  英名:Periodical cicadas
  学名:Magicicada septendecim
  別名:ファラオ・ミンミン蝉(Pharaoh cicada、又は17年幼虫:17 year locust)
カーム博士は周期ゼミの内の「17年もの」の発見者との説も有り、周期ゼミはアメリカ合衆国東部にだけ生息しています。セミの仲間は世界中に分布しているも、この周期ゼミという現象が確認できるのは、世界の中でもアメリカだけです。

周期ゼミとはセミの内、マギシカダ(Magicicada)属に属する複数の種の総称で、毎世代正確に17年(又は13年)で成虫になり大量発生するセミのことで、その間の年にはその地方では全く発生しません。ほぼ毎年どこかでは発生しているものの、全米のどこでも周期ゼミが発生しない年もあります。周期年数が素数であることから
セミ(ヒメハルゼミ)

日本 1977/8/15 発行
素数ゼミともいわれています。17年周期の17年ゼミが3種、13年周期の13年ゼミが4種います。

こちらで、
ヨーテボリ号
リンネ博士
 ・リンネ使徒
フォルスカル博士(リンネ使徒)
ツンベルク博士(リンネ使徒)
をお楽しみください。

参考HP:〜
ニュー・スウェーデンの場所地図(Nya Sverige有)
フィンランドの地図(日本語)
スウェーデンの地図(Uppsala、Umea, Lulea有)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     2014/2/14、17/1/23、2017/2/24
スタンプ・メイツ
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