イェーメン Republic of Yemen |
アラブ連合(エジプト・イェーメン)成立記念 UAR ・ Yemen 国旗 UAS1周年記念 エジプト 1959/3/8 発行 |
PEAPLE'S DEMOCRATIC REPUBLIC OF YEMEN イェ−メン人民民主共和国 |
MUTAWAKEUTE KINGDOM of YEMEN イェ−メン王国 |
イェ−メン人民民主共和国 1971-77 発行 |
. JERUSALEM 〜 MARIB Queen Sheba's Visit to King Solomon シバの女王がソロモン王を訪問した時に紅海で 使用した古代の船とエルサレム〜マリブの地図 |
イェ−メンのアデンはかつてはイギリス領でした。 |
イェーメン Republic of Yemen 面積:55.5万u(日本の約1.5倍弱)、人口:約2,238万人(2007)、首都:サヌア、民族:主としてアラブ人、言語:アラビア語、宗教:イスラム教、1番切手:1926年発行。本土以外にソマリアの沖にあるインド洋のソコトラ島(3625ku)なども領有。 古代、交易の中心地、および物資集散地として繁栄。 古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア (Arabia a Felix)」として知られる 紀元前10世紀以前、古代イエメン地方に南アラビア文明が栄える 紀元前7世紀頃、シバ王国が、農耕の発達や、インド産香料の中継貿易によって繁栄 0525年、エチオピアの勢力から侵入を受ける 0575年、サーサーン朝ペルシャの支配を受ける 07世紀、イスラム教が流入 09世紀、ザイド派(シーア派)イマームを祖とするラシード王家(Rasulid dynasty, 1229-1454)による王朝成立 1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがソコトラ島に上陸 16世紀、オスマン帝国の支配下に入るが、イェーメン人はオスマン帝国に対し抵抗 1507年、アルブケルケ将軍の艦隊にトリスタン・ダ・クーニャが参加してソコトラ島を占領 1511年、ポルトガルはソコトラ島を放棄して撤退 17世紀、オスマン勢力を駆逐し、ザイード派勢力による支配を受ける 19世紀初頭、エジプトの勢力下に置かれる 1839年、イギリスがアデンを始めとする南イェーメンを占領、 以後、南イェーメンはイギリスの植民地となる 1849年、オスマン帝国が北イェーメンを再占領 1918年、オスマン・トルコ帝国の第一次世界大戦敗北にともない、イェーメン王国が独立 1959年、アデンの併合をもくろんで、北イェーメンがエジプトとアラブ連合を結成 1962年、軍事クーデターにより、王制が廃止され、イエメン王国が崩壊、 イエメン・アラブ共和国樹立(旧北イェーメン)が成立するも、 北イェーメン内戦が勃発(〜1970年) 1962年、共和国革命により王制が廃止され、イェーメン・アラブ共和国樹立(旧北イェーメン) 1967年、英領イェーメン(南イェーメン)が、南イェーメン人民共和国として独立 後にイェーメン人民民主共和国へ改称 1969年、共産主義政権が成立し、 1970年、イエメン民主人民共和国と国名を改める(旧南イェーメン) 1989/11/30、アデン合意により南北統一への途が開かれる 1990/05/22、北イェーメン、南イェーメンが合併し、現在のイェーメン共和国が成立 1994/05/04、 旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発するも、 南側勢力は国際的な支持を得られず、約2ヶ月で鎮圧される(7/7) 1999/09/23、国民の直接投票による初めての大統領選挙が行なわれる 2000/06/12、サウジアラビアとの国境線が画定し、領土面積が正式なものとなる 2000/10月、旧南イェーメンの首都であったアデンにあるアデン港で、 イスラム原理主義勢力アルカーイダによる米艦コール襲撃事件が起こる 2009/11/15、邦人拉致事件が発生 一人当たりの国内総生産は2003年に800米ドル。周辺アラブ国に比べても著しく低い。石油を産出し、貿易収入は漸増傾向にはあるものの、そのほとんどは食料品や機械類などの輸入で帳消しとなる。 コーヒー豆の生産は有名で、モカコーヒーのモカとは、この国の南部にある港湾都市の名称である。しかし国が砂漠地帯に位置するため農業はふるわず、昔ながらの遊牧生活を営むものも多い。漁業も比較的盛ん。失業率は35%(2003推計)と高い。近年は石油開発で発展する隣国のサウジアラビアに出稼ぎに行く労働者も多く、その家族の多くは出稼ぎ者の送金で暮らしている。 また2007年に天然ガス田が発見され、開発が進められている。なお、女児への性的虐待も解決されておらず、アラブ諸国での結婚最低年齢の9才さえもが規定されておらす、所謂「ロリコン」の性的趣味があるらしい。 イエメンは21の県に分かれる。
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サヌアの旧市街地は世界遺産に登録 ・イェーメンで邦人拉致事件が発生 2009/11/15(日) 日本人男性技術者の真下武男(ましもたけお、63)さんがイェーメンの首都サヌア(Sanaa)北東の数十キロにあるアルハブ(Arhab)の小学校建設現場に車で向かう途中、イェーメン人運転手とともに地元部族民の武装グループに拉致された。真下さんはJICAからイエメンの教育分野援助プロジェクトで小学校建設小学校建設で現場監督をしていた。 2009/11/21(土) イェーメンで解放交渉にあたっている部族関係者が、真下さんが20日深夜から21日未明にかけて、 国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の戦闘員に身柄を拘束され、AFPに「人質はアルカイダの構成員に身柄を拘束され、サヌア東部のマーリブ(Maarib)地域の何処かへ連行された」と語った。 2009/11/24(火)未明 イェーメン邦人拉致事件で、アルカイダに身柄が引き渡されていた、真下さんが無事解放された。 参考地図HP:〜 ・イェーメンの地図 ・イェーメンの県区分地図 ・アデン付近の地図(3世紀頃) ・サヌアの場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/11/24 |