大航海物語 切手で綴る 大航海時代 (Great Voyage Era)

黄熱病
Yellow Fever

参考資料

ネッタイシマカ

(Mosquito Aeeces Egity)
バルボア500年記念
(Cinco Centesimos de Balboa)
パナマ 1950 発行
日本郵便 NIPPON
野口英世

黄熱病の研究中にガーナで没した医師
日本 平成20年 2008/5/23 発行
USA
クララ・マースさん

She gaves her life !
黄熱病に生命を捧げた看護婦さん
1876 クララ・マース生誕100年記念 1976
USA 1976/8/18 発行
Ecuador
1876 野口英世生誕100年記念 1976

エクアドル 1976 発行 小型シート

野口 英世(のぐち ひでよ、明治9年〜昭和3年)
 Dr. Hideyo Noguti (1876/11/9〜1928/5/21、51才没)

野口博士は福島県耶麻郡翁島村(現・猪苗代町)で生まれた日本の細菌学者で、学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)、ブラウン大学、イェール大学より理学博士を授与され、称号はエクアドル共和国陸軍軍医監、名誉大佐。

大正7(1918)年にロックフェラー財団の意向で、まだワクチンのなかった黄熱病の病原菌発見のため、当時、黄熱病が大流行していたエクアドルへ派遣されました。当時、開通したばかりのパナマ運河周辺で、船員が黄熱病に感染する恐れがあったため、事態は急を要していました。エクアドルに到着後の9日後には、黄熱病と思われる病原体を特定することに成功。この結果をもとに開発された野口ワクチンにより、南米での黄熱病が収束したとされています。この成果により、野口博士はエクアドル軍の名誉大佐に任命され、3度目のノーベル医学賞の候補に名前が挙がりました。

1927(昭和2)年10月にアフリカへ黄熱病研究のためアメリカから出張、1928(昭和3)年アフリカのガーナ・アクラ市に研究施設を建築。アカゲザルを用いた病原体特定を開始。まもなく黄熱病に感染し、5月21日にアクラの病室で亡くなり、51年の生涯を閉じ、1928/6/15にアメリカのニューヨークのウッドローン墓地に埋葬されました。
参考HP:〜
福島県の場所地図
猪苗代町の場所地図


クララ・マース (1876/6/28〜1901/8/24、25才没)
 Clara Louise Maass

クララさんは米国のニュージャージー州イーストオレンジ市(East Orange, New Jersey, USA)のドイツ系移民のルーテル教会派家庭で9人姉弟の長女として生まれ、1895年にニューアーク・ドイツ病院の看護婦養成学校を最初の卒業生の一人として卒業し、1898年に同病院の婦長になりました。米西戦争(Spanish-American War 1898/4/12-8/25)が勃発すると従軍看護婦となり、各地(Jacksonville, Florida, Savannah, Georgia, Santiago, Cuba、1898/10/1-1899/2/5)を転戦し、戦後はフィリピンの第8米軍で志願(1899/11-1900/中頃)で働き、戦病者 (腸チフスtyphoid, マラリアmalaria, デング熱dengue, 黄熱病yellow fever)
Clara Maass
を看護し、マニラでデング熱に感染して帰国しました。再度の従軍看護婦で1900/10月にキューバに派遣されて米軍黄熱病研究所で働きました。1901/8/14にワクチンを作るために自分自身をネッタイシマカ(蚊)に咬ませました(2度目だった)が、不運にも免疫はできず、8/18に発病し、8/24に亡くなり、ハバナのコロン墓地(Colon Cemetery in Havana)で米軍葬儀が執り行われ、1902/2/20にニューアークの墓地(Fairmount Cemetery, Newark)に埋葬されました。彼女の犠牲で、その後は黄熱病の人体実験は無くなりました。

参考HP:〜
イーストオレンジの場所地図(East Orange, USA)
ニュージャージー州の地図(New Jersey, USA)


黄熱病(おうねつびょう)
 Yellow Fever

黄熱病は、ネッタイシマカ(Aedes aegypti)などのカ(蚊)によって媒介されるフラビウイルス科に属する黄熱ウイルス(yellow fever virus)を病原体とする感染症。感染症法における四類感染症。熱帯アフリカと中南米の風土病で、通称「黒吐病」。日常生活におけるヒトからヒトへの直接感染はない。

潜伏期間は3〜6日。 突然の発熱、頭痛、背部痛、虚脱、悪心・嘔吐で発症する 発症後3〜4日で症状が軽快し、そのまま回復することもある。 しかし重症例では、数時間〜2日後に再燃し、発熱、腎障害、鼻や歯根からの出血、 黒色嘔吐、下血、子宮出血、黄疸などがみられる 特効薬は無いが、1回接種の生ワクチン(17D)によって予防可能。

流行地域や流行可能地域では入国に際して公的機関発行による国際予防接種証明書(イエローカード)を求められることがある。イエローカードが有効なのは接種10日後から10年間であり、再びイエローカードを取得するには再接種しなければならないが、免疫自体は再接種せずとも健康者においては終生持続するのではないかとする見方がある。日本ではイエローカードの発行権限の関係から各地の指定された検疫所でのみ予防接種を受けられる。長年、生ワクチンには珍しく重大な副作用はないとされてきたが、近年死亡例を含む重篤な副作用の例があることが報告されている。しかし世界保健機関(WHO)や流行国当局などは流行地においてはリスクを鑑みても接種のメリットが上回るとして当該地域における接種キャンペーンを継続している。

野口英世博士は黄熱病の研究中に感染し亡くなった。南アフリカ出身のアメリカの微生物学者マックス・タイラー(Max Theiler)が黄熱病ワクチン開発の功績により1951年にノーベル医学生理学賞を受賞。

参考HP:〜
ネッタイシマカの写真



ネッタイシマカ
 和名:ネッタイシマカ(熱帯縞蚊)
 英名:Yellow fever mosquito
 学名:Aedes (Stegomyia) aegypti, 1762
  界:動物界(Animalia)
  門:節足動物門 (Arthropoda)
  綱:昆虫綱(Insecta)
  目:ハエ目(双翅目) (Diptera)
  科:カ科(Culicidae)
  属:ヤブカ属 (Aedes)
  種:ネッタイシマカ A (Stegomyia) aegypti
ネッタイシマカ
ネッタイシマカは、一般にヤブカとも呼ばれるヤブカ属の吸血性のカの1種。吸血する際の唾液で黄熱・デング熱・ジカ熱などの感染症を媒介。

翅長約3mm。黒褐色で、中胸背中央に2本の縦すじがあり、側方には前方で丸く湾曲する明瞭な銀白色斑をもつ。シマカ類のうちネッタイシマカは正中条を持たず一対の亜正中条(一対の細い縦筋)をもつ点で他種と判別できる。

成虫の飛行範囲は100メートル程度と比較的狭く、活動範囲は人家周辺に限られ、家屋伝いに飛び回り、屋内に侵入して住民から吸血する。日中から夕方にかけて刺すことが多く、うす暗い倉庫や机の下など、24時間活動できる。気温27 - 30°C、湿度70 - 90%本種に好適であり、吸血も気温が21°C以上になる昼間に行われる。1回に50-120個の卵を、吸血してから5 - 7日後に産み、卵は3日で孵化する。卵は乾燥に耐える力があり、乾燥して半年後でも再び水に触れれば孵化が可能である。幼虫は人家周辺の桶・水槽・バケツから、空き缶・竹の切り株・古タイヤまで、あらゆる小さな水たまりで生育できるため生活環境に多く発生する。幼虫発育は27°Cで1週間、22°Cでは2ヵ月くらいかかる。蛹(さなぎ)は2 - 4日で羽化し成虫となる。

分布地域は、全世界の熱帯・亜熱帯地域で、黄熱、デング熱などのウイルス性の感染症を媒介する蚊として恐れられている。日本では琉球諸島小笠原諸島から記録されている。天草諸島で1944年に異常発生し、1952年までに駆除された。1970年以降は天草での採取例はなく、以後は国内での定着は確認されていない。沖縄でも20世紀初頭に確認されたが、いつの間にか姿を消し、ヒトスジシマカに席巻されている。

2002年、日本生態学会により日本の侵略的外来種ワースト100に選定された。国外から侵入定着する危険が指摘されている。

参考HP:〜
ネッタイシマカの分布地図
(赤色は、ネッタイシマカが生息しデング熱が発生している地域)
(水色は、ネッタイシマカの生息域、2006年)
日本の侵略的外来種ワースト100

こちらで世界遺産の
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿 (ギリシャ)
サンマリノ (イタリアの中のサンマリノ共和国)
姫路城 (日本)
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/5/20、令和 R.2/12/20(2020)
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Spice
無断転載禁止