大航海物語 United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る 海戦大航海(Naval Battle Voyages)
ルイスバーグの海戦
1758
Sea Battle of Off Louisbourg
★イギリス VS フランス★
France

国連 1980 発行
海戦物


ルイスバーグ(仏:ルイブール)の場所地図
CANADA
カナダと付近の地図

カナダ 1981 発行

←ケーン水路
←グリーンランド
←パフィン島
←プロビジャー湾
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
ラプラドル半島
ニューファウンドランド

ルイスバーグ
←ケベック
USA Post Office USA
ラブラドール半島





←ハドソン海峡

←ラブラドール半島

ニューファウンドランド島


ルイズバーグ
ラブラドールとニューファウンドランドの場所を表示
USA 1908 発行

カナダ国定史跡 ルイズバーグ要塞
(18世紀に建設されたフランス軍の砦を部分的に再建、1961)


カナダ 1981 発行 1985/6/28 発行
ANTIGUA
ロド二ー提督と英戦艦”フォーミタブル号

HMS Formidable
アンチグア 1970/8/19 発行
CANADA
フランス
モンカム将

ルフ将
イギリス
Moncalm & Wolf
1608 ケベック300年記念 1908

カナダ 明治41年 1908 発行

・ルイスバーグの海戦 (1758/6/8-7/26)
  Sea Battle of Off Louisbourg、Cape Breton Island, Canada

於:ノバスコシア州(NS)ケープブレトン地域のケープブレトン島東部のルイスバーグ沖
 (Louisbourg, Cape Breton Island, Canada(NS)、略称:CBRM)。(仏:ルイブール)
▼序章:イギリス軍の遠征と上陸
ルイズバーグの海戦は、フレンチ・インディアン戦争(1754-1763)中に、フランス支配のルイブール要塞をイギリスが攻略するための戦いの支援戦で、イギリスはルイズバーグ要塞攻撃(第二次ルイズバーグの戦い、仏:ルイブールの戦い:Second Siege de Louisbourg, 1758/6/8-7/26)に勝利するためにウォルフ将軍ピット首相の裁決で新大陸ヌーベルフランスのケープ・ブレトン島ルイズバーグ要塞(Fortress of Louisbourg)攻撃のため、1758/1/23に准将(Brigadier General)に任命され、アマースト将軍と共に新大陸へと向かい、勝利してセントローレンス河(1,197km)への航路を確保し、翌1759年にフランス支配のケベック(Quebec Canada)へ侵攻しました。
ルイブールの戦いに勝利したウォルフ将軍はピット首相の採決で少将となり、ケベック攻撃の司令官に就任。ケベックの包囲攻撃は3ヵ月にも及び、その間
セントローレンス河

川イルカ
カナダ 1993 発行
にウォルフ将軍はヌーベルフランスに対する「マニフェスト」をフランス植民地の市民(ケベック人)に対して発表して、1758/9月にはフランスが降伏しました。

▼海戦
ケープ・ブレトン島の要塞の町ルイブールは、オーストリア継承戦争(1740-1748)期間中の1745年に、イギリスの後押しを受けたニューイングランド植民地の兵に侵攻されるも、その休戦条約アーヘンの和約でフランスに返還されました。これでイギリスの、カナダ征服の野望が後退しました。1758年になるとルイブールのフランス駐屯部隊はわずか3,000人なるも、この年の早春にやがて起こるであろうイギリスの攻撃に備えてルイブールの総司令官ドリュクール提督はイギリスの上陸阻止と、包囲への抗戦の準備を進めて、港を守るために5隻の軍船
・アポロン号(Appolon)
・フィデール号(Fidele)
・シェブル号(Chevre)
・ビッシュ号(Biche)
・ダイアン号(Diane)
を沈没させて港への入り口を塞ぎ、
港内には軍艦5隻
ルイズバーグ要塞

カナダ 1985/6/28 発行
・セレブレ号(Celebre, 64)後に英砲撃で爆発炎上
・エントレプレナン号(Entreprenant, 74)後に爆発の巻き添えで炎上
・カプリシュー号(Capricieux, 64)後に爆発の巻き添えで炎上
・プリュダン号(Prudent, 74)後に英挺身隊が炎上させる
・ビエンファイザント号(Bienfaisant, 64)後に英挺身隊に捕獲されて”HMS Bienfaisant”となる
を在泊させました。

・ルイズバーグの戦い支援イギリス艦隊の到着
1758/5/28にイギリス艦隊40隻に護衛された輸送船150隻に兵士約14,000人を収容した大船団が、ボスコーウェン提督のもとでカナダのノバスコシア州ハリファックスからルイスバーグに向けて出帆して、6/2に砲74門戦列艦ダブリン号(HMS Dublin 74-gun third rate ship of the line of the Royal Navy, 1587t)を指揮のロド二ー提督などがケープブレトン島ルイスバーグ
ハリファックス

カナダ 1949/6/21 発行
から4.8kmのガバラス湾(Gabarus Bay)に到着しました。イギリス大船団は湾の沖合に停泊し、悪天候のため上陸を見合わせているも、6/9に英陸軍司令官アマースト将軍旗下の准将ウォルフ将軍のイギリス軍が上陸を強行。イギリス艦隊は大砲で上陸支援の援護艦砲射撃を実施しました。
フランスのドリュクール提督は軍艦からの約3,500人の正規兵と約3,500人の海兵隊員と船員を増援させての猛反撃の防御で、ウォルフ将軍の軍船団は退却。その退却時に大きな岩の陰に上陸するのに手ごろな場所を発見。そこはガバラス湾の淡水入江の近くで、現在ルイブール国定史跡の一部となっているケニントン・コーブ(Kennington Cove)と呼ばれる場所でした。上陸したイギリス軍は側面と背後からフランス軍を攻撃して、フランス軍はルイブールの要塞へと退却。イギリス軍は物資や大砲を揚陸して市街地へと進軍。ウォルフ将軍は港を包囲して灯台のあるライトハウス・ポイント(Lighthouse Point、現ルイブール灯台:Louisbourg Lighthouse)を奪うよう命じられ、1,220人の兵とともに、6/12に港を射程内に納めるライトハウス・ポイントを占領して砲台を設置しました。 観音崎 灯 台
横須賀市三浦半島東端


灯台150年記念
日本 2018/9/3 発行
6/19にルイブールへのイギリス軍の砲撃が始り、フランス軍との砲撃合戦となりました。7/1に町からのフランス軍の出撃を撃退し、ウォルフ将軍隊は町や要塞への砲撃が容易な小高い土地を占領。7/19にフランスがイギリスの防御を破って包囲戦の一部を破壊して兵士28人を捕虜として連行。7/21にイギリスの砲台の臼砲の砲弾が、港にいた戦列艦セレブレ号を直撃して爆発。強風のせいで火が回り、そばにいたカプリシュー号とエントレプレナン号も炎上。7/22にはイギリス砲48門の内33門は24と32ポンド砲からの砲撃を実施。7/23にイギリスの激しい砲撃で、ルイブール要塞の中の要塞本部で北米で最大の建物のあるキングス堡塁(King's Bastion)が建物もろとも壊滅、クイーンズ堡塁(Queen's Bastion)も壊滅したので、仏軍の打撃ははかりしれないもので意気消沈して士気阻喪しました。

7/25に濃い霧に乗じてボスコーエン提督は切り抜き挺身隊を派遣し、残ったフランスの戦列艦2隻を拿捕もしくは破壊するように指令。港に侵入したイギリス挺身隊はビエンファイザント号を拿捕して、プリュダン号を炎上させました。これでイギリス艦隊は港に入る道が開かれました。
7/26にドリュクール提督が降伏してイギリスが勝利しました。
なお、後に探検家になったクック船長はこのルイズバーグ攻略作戦に参加していました。

英仏艦隊の編成:〜
英仏の艦隊 主力 その他 司令官
・イギリス 戦列艦1隻 フリゲート艦2隻、商船63隻 ボスコーウェン提督
・フランス 戦列艦隻 フリゲート艦隻 ドリュクール提督

イギリス艦隊の編成:〜
イギリス艦隊 戦列艦(Ship:HMS) (Comander/Captain)
・ナムール号 Namur 90 ボスコーウェン提督
・ロイヤルウィリアム号 Royal William 84 ハーディ卿(Sir Charles Hardy)
・プリンセスアメリア号 Princess Amelia 80 デュエル提督(Admiral Philip Durell)
・インヴィンシブル号 Invincible 74
ダブリン号 Dublin 74 ロドニー提督
・テリブル号 Terrible 74










イギリス戦列艦 砲100門艦
ロイアル・アデレード号の同型艦


リベリア 1972 発行
・ノーサンバーランド号 Northumberland 70
・ヴァンガード号 Vanguard 70
・オーフォード号 Orford 70
・バーフォード号 Burford 70
・サマセット号 Somerset 70
・ランカスター号 Lancaster 70
・デヴォンシャー号 Devonshire 66
・ベッドフォード号 Bedford 64
・キャプテン号 Captain 64
・プリンスフレデリック号 Prince Frederick 64
・ペンブローク号 Pembroke 60
・キングストン号 Kingston 60
・ヨーク号 York 60
・プリンスオブオレンジ号 Prince of Orange 60
・デファイアンス号 Defiance 60
・ノッティンガム号 Nottingham 60
・センチュリオン号 Centurion 54
・サザランド号 Sutherland 50

フランス艦隊の編成:〜
・グート侯爵(Marquis Charry des Gouttes, 1712-1789)の艦隊
 (3/9エクス島出帆、ルイスバーグ到着日不明)
フランス派遣艦隊 戦列艦(Ship-of-the-Line)  メモ
・プルーデント号 Prudent 74 捕獲後、7/26炎上
・ソル・レゾナブル号 SoL Raisonnable 64 3/13英メッセンジャー号と衝突、4/29短戦後に捕獲
・ソル・ラポロン号 SoL L'Apollon 22 沈没、6/28
・ダイアン 号 Frigate Diane 24 フリゲート艦、沈没、6/29
・ミューティン号 Frigate Mutine 24 フリゲート艦、消息不明
・フィデレ号 Frigate Fidele 24 フリゲート艦、沈没、6/28
・ガラテア号 Frigate Galatee 24 4月ボルドー出帆後輸送船12隻護衛、全捕獲
・メッセンジャー号 Fluyt Messager 12 フリュート艦、レゾナブル号と衝突後、シュフォールに戻る
・シェブル号 Fluyt Chevre 10 フリュート艦、沈没、6/28

・ボーシエ島(Beaussier de l'Isle)の艦隊
 (4/10ブレスト出帆、ルイスバーグ到着日不明)
フランス派遣艦隊 戦列艦(Ship-of-the-Line)  メモ
・エントレプレナント 号 Entreprenant 74 セレブレ号(Celebre)爆発後、7/21炎上
・ソルビザール号 SoL Bizarre 64 6/8ルイブール出帆、ケベック包囲戦へ食料弾薬補給
9/24単独で仏ロリアン帰港
・ソル・セレブレ 号 SoL Celebre 64 7/21包囲中にイギリス爆弾で炎上
・ソル・カプリシュー号 SoL Capricieux 64 セレブレ号(Celebre)爆発後、7/21炎上
・ソルビエンファイザント号 SoL Bienfaisant 64 7/26夜襲撃中に捕獲、イギリス海軍に統合
・コンテテ号フリゲート艦 Frigate Comtete 30 包囲開始時ルイブール出帆、単独で仏帰港
・レチョ号フリゲート艦 Frigate L'Echo 28 5/25英フリゲート艦2隻が捕獲後
ルイブールへ英艦隊到着報告でケベックへ移送
※フランス海軍の援軍はまにあわず。
多くの艦艇がフランスからルイブールに派遣されるも、大部分は時間内に到着しませんでした。1759年のフランスのカナダ・ケベック喪失は、以降の北アメリカの喪失につながりました。(フレンチ・インディアン戦争)。また、別に第一次ルイスバーグの戦い(Siege of Louisbourg 1745)も有。第2次ルイスバーグの戦い

参考:〜
ケープブレトン島の地図

こちらで
サフレン提督
ジョージ・ロドニー提督
フランソワ・ド・グラス提督
カリブ海の地図
スパイス (香辛料)
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る 東海道五十三次
・世界で1番美しい 蝶々
全米50州アメリカ
世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   09/7/17 令和 R.4/2/12(2022)
スタンプ・メイツ
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