世界遺産(ボリビア)
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★スペイン・メモ | ポトシ銀山 POTOSI 1545 |
大航海物語★ |
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BOLIVIA 中央白い部分がボリビアの地図 下から2行目がポトシ銀山の場所 ボリビア 1935/2/1 発行 |
ESPANA 新大陸で作られた スペイン銀貨 スペイン 発行 |
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・ポトシ銀山 Potosi Silver Mine (ボリビアの世界遺産) 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1987)、危機遺産(2014) (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural) 正式名称:ポトシとセロリコの歴史地区 (Cerro Rico and Potosi) 英名:City of Potosi 仏名:Ville de Potosi 所在地:Potosi, Departamento de Potosi, Bolivia ポトシはボリビアの南部にある都市で、ポトシ県の行政府所在地。ボリビアの首都ラパスから南東に約440km に有。アンデス山脈中の盆地で、標高約4,000m。人が住む都市としては、世界最高地点で、乾燥気候なので植生は乏しく、その西側でウユニの側にウユニ塩湖が有。 ポトシ銀山とはスペイン人が呼んでいた銀山の通称で、南アメリカ・ボリビア高地に有る街ポトシ市(164,481人2007)と、その向うの山のセロリコ山(4,782m)の総称のことです。ポトシ銀山は、1545年に発見された新大陸最大の銀鉱山で、セロ・リコ銀山のことです。セロ・リコ (Cerro Rico) とはスペイン語で「豊かな丘」という意味で、スペイン統治下で中南米三大銀山(ポトシ(セロ・リコ)、メキシコのグアナフント&サカテカス)に数えられるまでになりましたが、銀の掘削は強制的に集められたインディオの奴隷により行われ、一説では800万人が犠牲になったといわれ、人を食う山として恐れられました。 地面に露出していた銀鉱脈を羊の放牧をしていた村人が偶然に見つけたといわれています。従って、最初は露天掘りでしたが、だんだん深く掘り進み、10年位たってからは横穴も掘られるようになり、1740年頃には「蜂の巣」状態になっていたとの記録もあり、5000本もの横穴が掘られています。現ボリビア南部にあり、かってはペルー副王領に属していました。ポトシ銀山は正式な名前でなく、セロリコ(宝の山の意)と呼ばれます。スペイン時代は主に角銀鉱、自然銀が銀の鉱石とされ、その後、濃紅銀鉱や針銀鉱などが使用されるようになりました。ペルーから水銀が運び込まれ、アマルガム法による銀の精錬が行われていました。 副王トレドの三大政策の、@ワンカベリ水銀鉱山の購入と独占(1570)、A水銀精錬法導入(1574)、Bミタ制という原住民の徴用制(1720廃止)のもとで、1570年代中葉以降”ポー時代”と呼ばれた一時代を画しました。 16世紀末のポトシ市の人口は16万人に及び、メキシコ市をしのぐ新世界最大の都市であったと伝えられています。ペルー副王領産の銀はスペイン本国に送られる貴金属の三分の二以上を占めるようになり、初期の金銀比率を逆転させ、ついには銀の比率を99%にも高めました。このような莫大な銀の流入はヨーロッパに一世紀以上に渡る物価の騰貴(超インフレによる価格革命)をもたらし、それにともなう企業者利潤の増大が資本の蓄積を容易にし、やがて来たるべき資本主義体制への移行の基盤を築くことになりました。 現在でも、国営と個人の手に寄って採掘は続いていますが、銀よりも錫やアンチモンが主体であるようです。ボリビア国ポトシ州ポトシ市の市内にはスペイン時代の造幣局の跡があり、建物は現在では博物館になっており、銀貨の製造に使われた機械が置かれていて観光スポットになっています。なお、4000mを超える標高なので、現地の人は高山病予防のためにコカの葉っぱを服用しています。現在もコカの葉っぱの売買はボリビアでは合法なので、市場では籠に山盛りで売っているそうです。 その他にスペイン人が開発した銀鉱山は、 ボリビアでは ・ポルコ (Porco, Porco Municipality(5959人2001), Antonio Quijarro Province, Potosi Department) ・コルケチャカ (Colquechaca(1816人2001), capita of Chayanta Pprovince, Potosi Department) ・マチャカマルカ (Machacamarca town(2206人2001), Pantaleon Dalence Province, Oruro Department) ・サン・ホセ(San Jose)などがあります。 そして、メキシコの ・グアナフント(Guanajuato(157,965人2005), Guanajuato State) ・サカテカス(Zacatecas(122,889人2005), Zacatecas State, Mexico、1546)、 また、ペルーの ・ウチュチャクア (Uchucchacua Mine, Oyon Province, Lima Department, Peru)でも銀が産出していました。これらの豊かな銀鉱山の開発と1560年頃からの水銀アマルガム法による新しい精錬技術によって、銀の生産は飛躍的に増大し、海を渡ってヨーロッパ市場にあふれました。新大陸アメリカにおける銀の生産は、先住民インディオとアフリカからの黒人奴隷による低廉な労働によっていたため、生産費は極めて低かったのです。これで、それまでヨーロッパの銀生産の中心で、埋蔵量が枯渇し始めていたドイツの銀鉱山は決定的打撃を受け、アメリカからの銀にとって変わられました。 なお、ポトシ市はボリビアの首府ラパスから南東に約 440 kmの場所にあって、標高 4,100 m にあるので、人が住む都市としては世界最高地点の街と言われています。現在の人口は約14万人(164,481人2007)のようで、近くにウユニ(Uyuni)塩湖が有り、2008年4月頃にその塩湖に行く日本人の観光客を乗せたバスが正面衝突事故を起こしましたね。ボリヴィア共和国の首府ラパス市の人口は約150万人。 1987年にセロ・リコ銀山を含め、他の構造物とともに世界遺産に登録され、奴隷制度の象徴として、負の世界遺産にも数えられています。 参考HP:〜 ・ポトシ銀山 いつ行ってきたんだろう? 08/5/30追記 こちらで ・エスコリアル宮殿 をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2013/7/4追記、14/7/30 |