世界遺産(ペルー)
ナスカの地上絵
Drawing of Nazca
ペルー”ナスカ”の遺跡

PERU
ナスカの地上絵
    ライヒ博士
地上絵
(Dr. Maia Reiche)
1911 ナスカ発見75年記念 1986
ペルー 1987/6/13 発行 (300%)
Maldives
ナスカの地上絵
150フィート(45メートル)のクモ   
 .

翼長420ft(128m)のコンドル、          翼長300ft(91m)のハチドリ
1911 ナスカ発見75年記念 1986
モルジブ 1992/10/28 発行 (200%)
NIPPON


ナスカの地上絵

ペルー移住100年記念
日本 1995/5/18 発行




マチュピチュ

リャマ

ナスカの地上絵
  Drawing of Nazca

  (ペルー”ナスカ”の地上遺跡、Nazca Lines)
ナスカの地上絵はペルー南部のナスカ川(Nazca river)とインヘニオ川(Ingenio river)に囲まれた乾燥した盆地状の高原(ナスカ台地)の地表面に「描かれた」幾何学図形で動植物の絵のこと。紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたものだとほぼ確定されています。ナスカの地上絵がある場所は、ペルー南海岸地方の北から南へ走る丘陵と東方のアンデス山脈の麓との間にあるパンパ・コロラダ(Pampa Colorada)、パンパ・インヘニオ(Pampa Ingenio)と呼ばれる細長い盆地パンパ・デ・フマナ(Pampas de Jumana:リマ(Lima)南400km)で、ナスカ砂漠(Nazca Desert)ともいわれ、砂漠の熱が地表に対して暖かい空気層をつくり出し、南風による表面の浸食を防ぎ、雨もほとんど降らない気候環境から雨による浸食もほとんどない状況をつくり出して保存されてきました。1939年に考古学者のポール・コソック博士が動植物の地上絵を発見しました。

1939/6/22にナスカ台地を飛行機で飛んでいたニューヨークのロングアイランド出身アメリカ人考古学者ポール・コソック博士(Paul August Kosok 1896-1959)が地上を眺めて驚愕。そこには人間や動植物の絵が70以上、幾何学図形は700、直線に至っては数千から1万を超えるともいわれる巨大な地上絵が眼前に現れていました。

ドイツの数学者マリア・ライヒ博士がその地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになりまいた。あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が困難。このような巨大な地上絵を何故描いたのかというのが大きな謎の一つとなっています。最近は自動車の侵入による破壊が著しく、消滅の危機となっています。

・地上絵の謎〜暦法関連説
マリア・ライヒ博士は暦法関連説で、夏至と冬至に太陽が日没する方向に一致するものがあることを明らかにしました。さらにライヒ博士は、平行でない一連の直線は数世紀にわたる夏至と冬至に日没する方向を示していると思考。なお、社会事業説、雨乞い儀式利用説、などが有。

2011/1/18に山形大学が、人文学部の文化人類学アンデス考古学・坂井正人教授チームがペルーのナスカ台地で新たな地上絵2つを発見したと発表。新たな地上絵二つ(人の頭部、動物)はナスカ川の北岸付近で発見。人間の頭部と見られる絵は横約4.2m、縦約3.1mで、両目・口・右耳の形を確認。動物と見られる絵は横約2.7m、縦約6.9m。種類は不明。

・地上絵の描き方
色んな大きな地上絵を描いた方法は原画を元にして適当な中心点を取り、そこを起点に放射状に原画の各点を相似拡大する方法の「拡大法」だとする説が有力です。空からでしか見えないので、そのような方法で本当にできるのかと指摘されるも、地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見などを考えると拡大説が妥当といわれています。九州産業大学工学部の諫見泰彦建築教育学准教授が「拡大法」の実験を小学校の算数の総合学習として実施しました。児童に画鋲2個と糸1本だけでナスカ地上絵の実物大再現などを、グラウンドや体育館で20回以上実践。児童15人〜160人で、どれも開始後150分以内で再現に成功。これで日本の小学校程度の算数の知識があれば、地上絵の描画は可能であることが証明されました。

・地上絵の大きさ
主な動物を描いた地上絵の大きさは長さ46mのクモ(spiders)、55mのサル(monkeys)、65mのシャチ(orcas)、96mのハチドリ(hummingbirds)、180mのイグアナ(lizards)、135mのコンドル(Andean Condor)などが有。その他に魚(fish)、サメ(sharks)、リャマ(llamas)があります。最大はペリカンかサギ、もしくはフラミンゴを描いたと推測される285mの鳥類の絵も有。花や木々、装身具や織物のような日常生活の道具を描いたものや「宇宙飛行士」などと呼ばれているもの、片手が4本指の「手」など不可思議な図柄も有。

1994年12月17日、UNESCOの世界遺産(文化遺産)に登録され、登録名は「ナスカとフマナ平原の地上絵」(Lines and Geoglyphs of Nazca and Pampas de Jumana)。セスナ機による観光遊覧飛行も有。

参考:〜
マリア・ライヒ博士(1903/5/15〜1998/6/8)
  Maria Reiche

マリア・ライヒ博士はドイツの数学者、考古学者で、ペルーのナスカの地上絵の研究者。ドイツのドレスデンで生まれ、ドレスデン工科大学で数学、地理学、物理学を専攻。1932年に29才でペルーに渡り、クスコのドイツ領事の子供達の養育係兼家庭教師で働き、1934年に壊疽で指の1本を失い、同年にリマで学校教師となり、科学文献の翻訳も開始。第2次世界大戦が勃発するもドイツに帰国しませんでした。
ライヒ博士、 ナスカの地上絵
1940年に37才でアメリカ人考古学者ポール・コソック博士の助手となって「ナスカの地上絵」を研究。1946年頃から「ナスカの地上絵」の地図作成を始め、コソック博士が1948年にペルーを離れた後もその仕事を続け、地域一帯の地図を作成完成。地上絵の全景を見ることができるのは上空からのみであるため、彼女はペルー空軍の協力を得て写真調査を実施。ライヒ博士は地上絵は太陽の暦、および天体観測台として使われたという暦法関連説を提唱。この自説を「砂漠の謎」(The Mystery of the Desert)と題する著作で発表して、その利益を砂漠保存運動や、護衛やアシスタントを雇うために使用。地上絵の一帯はパンアメリカンハイウェイから近かったので、地上絵を道路による侵食や、色んな開発計画から守るよう提言し、一帯への一般の往来を制限するよう政府を説得などして自分の財産のほとんどをその運動に費やしました。一方で、ハイウェイの近くにミラドールと呼ばれる高さ20mの塔を建設して、観光客が地上絵を見やすいようにも工夫しましした。1993年にペルー政府から功労十字勲章(Medal of Merit in the Degree of Great Cross)を授与され、1994年にペルー市民となりました。 晩年には健康状態が悪化し、車椅子を必要とするようになり、皮膚疾患や視力の減退、パーキンソン病に罹患。最後は故国に帰ることもなく、リマの空軍病院で卵巣癌にて95才で亡くなり、ナスカの近郊に栄誉葬をもって埋葬されました。彼女の生前の屋敷は「ライヒ博物館」になっています。

・こちらでインカの空中都市マチュピチュをお楽しみください。

参考HP:〜
ペルーの地図(日本語、ペルー各地の世界遺産場所を表示)
ナスカ付近の地図(日本語)
ナスカの場所地図(世界遺産、日本語)
ナスカの地上絵の配置図
現在の道路網の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     12/4/21、12/5/29、12/6/17

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