Russia 国連 1989 発行 |
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.15
コマンドルスキー諸島 Komandorski Islands |
大航海物語 参考資料 地図編★ |
メードヌイ島の岩 | ベーリング島 - メードヌイ島 | ||
諸島の地図 |
マンドルスキー諸島の場所地図 |
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カムチャツカ半島→ コマンドルスキー諸島→ |
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ベーリング司令官の”終焉の地”となったマンドルスキー諸島への航海地図 ソ連 極東地域領土 1966/12/25 発行 |
・コマンドルスキー諸島 Komandorski Islands コマンドルスキー諸島はロシア・カムチャツカ半島の東175kmにあって、北太平洋のベーリング海の南に有。アリューシャン列島の西端にあたり、大きな島2つと、1つの小島と、15の岩や岩礁で構成されているロシア領の諸島で、2つの小さな岩礁島が国境紛争になって有名。コマンドルスキー諸島とは、英語では”Commander Islands”と「司令官の諸島」の意味を持つ、ロシアのベーリング司令官終焉の地となったベーリング島がある諸島。 ・ベーリング島(Bering Island)〜絶滅したステラーカイギュウが棲息していた ・トポロフ島(Toporkov Island)〜ベーリング島の北西沖4kmにある直径800m高さ:20mの小島 ・メードヌイ島(Mednyi Island) ・2つの小さな岩礁島〜1867年のアラスカ購入で境界紛争起こるもロシア領が確定 ・シーライオンロック(Sea Lion Rock アシカ岩) ・シーオターロックス(Sea Otter Rocks ラッコ岩礁) 1741年、ベーリング船長の探検航海でベーリング島とメードヌイ島が発見される 1741/11/7、ロシアのベーリング船長のサンクト・ピョートル号が漂着 ステラー博士達がステラー海牛(ジュゴン)を捕食して生き延びる 1741/12/8、ベーリング島でベーリング船長が壊血病で亡くなる 1825年、現地人アレウト族(Aleut)と露米会社とのアザラシ毛皮取引が始まる 1827年、ロシアのリュトケ船長が探検航海で寄航 1867年、2つの小さな岩礁島の米国のアラスカ購入で境界紛争起こるも シーライオンロックが境界線より西だったんでロシア領が確定 1943(昭和18)年、アッツ島沖海戦(Battle of the Komandorski Islands)が勃発、 大日本帝国、米軍共に損害軽微で、米軍の戦略的勝利となる。
・参考HP:〜 ・アリューシャン列島の地図 ・アクタン島の場所地図 ・コマンドルスキー諸島の場所地図(ベーリング島&メードヌイ島) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 11/2/11 |