サンタ・マリア号 ”Santa Maria” 1492 |
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サンタ・マリア号 ”Santa Maria” 1492年 サンタ・マリア号はコロンブスの第1回の航海に使用され、ピンタ号、ニーニャ号とともに3隻の船団を組んで、1492/8/3スペインのバロス港(パロス・デ・ラ・フロンテラ)を出帆、9/6にはカナリア諸島に寄港・補給、10/12にバハマ諸島中の現在のワットリング島に到達しました。12/6ワットリング島からキューバをへてイスパニョーラ島へと、ニーニャ号と 共に向かいました。イスパニョーラ島北部のグアカナガリ酋長のもとへ向かっていた時の、12/24の夜に座礁してしまいました。コロンブスはニーニャ号に乗りきれず残留を申し出た乗組員39人のために、サンタ・マリア号の木材で「ナビダーの砦」を築きました。1493/11/28、コロンブスが第2回航海で、そこへ着いてみると砦は破壊されスペイン人は全て殺害されていました。 サンタ・マリア号はコロンブスの乗船で、3本マスト、2層甲板、船首船尾楼、を持つ遠洋航海用カラック型帆船で、スペインでは ”NAO”と呼ばれていました。長さ25.6m、幅7.5m、船底から上甲板まで3.3m、185トン、約50人乗組、中古船で探検を目的として建造されたものではなかったと記録されています。 神戸港メリケンパークの復元帆船”サンタ・マリア号”の装備 Santa Maria、1990 復元帆船”サンタ・マリア号”は1991/7/13にスペインのバルセロナ港を出帆、西回りで35000km、290日間の航海後に、1992/4/28に神戸港に到着。メリケンパークの記念碑などより。
乗組員の名前:〜総員26人 ・クリストファー・コロンブス、船長(総司令官) Christopher Colombus, Captain ・ファン・デ・ラ・コーサ、航海長(船長)、サントーニャ出身 Juan de la Cosa, maestre (Santona) ・サンチョ・ルイズ、水先案内人 Sancho Ruiz, piloto ・アロンゾ・ペレス・ロルダン、水先案内人 Alonso Perez Roldan, piloto ・マエストル・アロンゾ Maestre Alonso, fisico, de Moguer ・マエストル・ディエゴ Maestre Diego, contramaestre ・ロドリゴ・サンチェス・デ・セゴヴィア Rodrigo Sanchez de Segovia, veedor ・ペドロ・グティエレス Pedro Gutierrez, repostero de estradas del Rey ・ロドリゴ・デ・エスコベロ、代書人 Rodrigo de Escobedo, Scrivener ・ディエゴ・デ・アレイニャ、海軍先任警衛伍長、コルドバ出身 Diego de Arana, Master-at-arms, (Cordoba) ・ディエゴ・ロレンゾ、海軍警衛伍長 Diego Lorenzo, Master-at-arms ・ルイス・デ・トーレス、通訳 Luis de Torres, Interpreter ・ドミニンゴ・デ・レクェイショ Domingo de Lequeitio ・ロポ、カレフェタ出身 Lope, calafate ・ジェコメ・エル・リコ、ジェノヴァ出身 Jacome el Rico, (Genoa) ・ペドロ・トレレス、マエストラセラ出身 Pedro Terreros, maestresala ・ロドリゴ・デ・ヘレス、スペインのウエルバ県アヤモンテ出身 Rodrigo de Jerez, (Ayamonte) ・ルイズ・ガルシア、サントニャ出身 Ruiz Garcia, (Santona) ・ロドリゴ・デ・エスカバル Rodrigo de Escobar ・フランシスコ・デ・ウエルバ Francisco de Huelva ・ルイ・フェルナンデス、ウエルバ出身 Rui Fernandez (Huelva) ・ペドロ・デ・ソリア Pedro de Soria ・ペドロ・デ・ビルバオ、ララベズア出身 Pedro de Bilbao, (Larrabezua) ・ペドロ・デ・ヴィラ、プエルト出身 Pedro de Villa, del Puerto ・ディエゴ・ボルド・デ・サルセド、コロン出身 DiegoBold text de Salcedo, criado de Colon ・ペドロ・デ・アセヴェド、パジャ出身 Pedro de Acevedo, paje 参考HP:〜 神戸港の地図(メリケンパーク有) バルセロナ港の場所地図(日本語) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/3/6、10/6/25追記 |