切手で綴る 太平洋戦争 物語 第3部 <米国(連合軍)の反攻> 第12章 ビスマルク 69 <ラバウル空襲> 1943/10/12〜11/11 (11/2・大空中戦) |
迎撃する帝国の戦闘機
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米軍基地航空部隊の空襲 |
米B25:双発ミッチェル爆撃機 USA 1992/8/17 発行 |
B-25 シンプソン湾を空襲 1944/2/25 ラバウル孤立 23.Oct 1943 B25s bomb パラオ 1993 発行 |
B-17:4発フライングフォートレス Flying Fortress:空飛ぶ要塞 パラオ 1992 発行 |
ガ島ヘンダーソン飛行基地 ソロモン 1976/5/24 発行 |
米軍機動部隊の空襲 |
太平洋上の航空母艦から発艦する アメリカの攻撃機 |
これは小型シートの図柄 セントビンセント・グレナディーン諸島 1995 発行 ニューブリテン島ラバウル (ニューギニアのラエ東) |
米軍の艦砲射撃
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ラバウルのシンプソン湾全景 ニューブリテン島の東北端 パプアニューギニア 1963/2/13 発行 |
・ラバウル空襲、1943/10/12〜11/11 (Bombing of Rabaul)、連合国軍の勝利 場所:パプアニューギニア国ビスマルク諸島ニューブリテン島ラバウル (Rabaul, New Britain Island, Bismarck Archipelago, Papua New Guinea) ラバウル空襲は帝国軍が一大拠点を造り上げていたラバウルの港と飛行場を攻撃した連合国軍の空襲で、特に1943年10〜11月にかけては「ブーゲンビル島の戦い」の援護を目的として連合軍が実施した大規模な空襲でした。一連の空襲の結果、連合国軍はブーゲンビル島に対する帝国軍の反攻の脅威を事実上砕くことに成功しました。 <米基地航空部隊の空襲> (01)1942/10/12、ラバウル初大空襲 (02)1942/10/18、ラバウル6日連続空襲(〜10/23) (03)1942/11/02、ラバウル大空襲(ラバウル梶尾の大空中戦) <米機動部隊の空襲> (04)1943/11/05、第一次ラバウル空襲 (05)1943/11/11、第二次ラバウル空襲(〜11/12) <帝国軍の攻撃> (06)1943/11/2、ブーゲンビル島沖海戦(〜12/3) (07)1943/11/2、ろ号作戦(〜11/11) (08)1943/11/5、は号作戦 ▼連合軍基地隊の編成:〜10/12、10/18〜21、11/2 (カート・ホイール作戦の関連作戦部隊) ・米第5空軍(U.S. Fifth Air Force) 基地隊〜司令部:オーストラリアのブリスベン(Brisbane)基地 司令官ジョージ・チャーチル・ケニー空軍少将 (Major general George Churchill Kenney 1889-1977) ・米第3攻撃集団(3rd Attack Group) 集団長レイモンド・ウィルキンス少佐(Major Raymond H. Wilkins 1917-1943/11/2) ・壕空軍(Royal Australian Air Force) ・NZ空軍(Royal New Zealand Air Force)
・両軍の兵力:〜
・帝国軍の被害:〜 損傷 ・駆逐艦 太刀風・望月・水無月 ・給油艦 鳴戸など。
▼両軍の損害:〜 ○帝国軍の被害:〜 ・損傷 ・重巡 妙高:至近弾でタービンを損傷(亀裂) ・駆逐艦 白露:方位盤を損傷 ・その他 船舶15隻沈没、11隻損傷 ・喪失 ・零戦〜18機 ○連合軍の被害:〜 ・B-25〜8機喪失(第3攻撃集団長ウィルキンス少佐戦死) ・P-38〜9機喪失 ・ラバウル梶尾の大空中戦(11/2) なお、ラバウル上空へ、連合軍のP-38戦闘機やB-25爆撃機など200機が来襲して、帝国軍115機が迎撃。連合軍機約120機を撃墜。その後、数日はさすがの連合軍も鳴りを潜めて姿を見せませんでした(大東亜戦争写真史2巻より)。 ※数字には諸説あるも、帝国の戦果報告には 「誤認」 も多くあったようです。それを受けた上層部はそれを検証したくても、出来る情勢ではなく、士気を鼓舞するためとて過大な戦果発表を続ける結果、いわゆる「大本営発表」なるもので帝国臣民を騙すことになったと伝えられています。
第38任務部隊は27ノットの速力でラバウルに接近し、11/5の7:00頃にラバウルの南東230海里の発進地点に到達。第38任務部隊の可動機の全ての、F6F 52機、TBF 23機、SBD 22機の計97機を発進させました。11/5の9:20頃に来襲した米第38任務部隊(シャーマン隊)の空母サラトガ号、プリンストン号から発進した97機が空襲。ラバウルのシンプソン湾内の巡洋艦や駆逐艦など計11隻が被弾損傷。この空襲に対し、一航戦から零戦47機、基地航空部隊から零戦24機、501空の彗星5機が迎撃し、零戦5機、彗星1機を喪失。第38任務部隊艦載機による空襲は9:44頃には終わり、この空襲により第38任務部隊は艦爆、艦攻など10機を喪失するも、遊撃部隊その他艦船に大きな被害を与えました(「は」号作戦は失敗)。また、シャーマン隊(TF38)の援護のため、米陸軍のB-24爆撃機27機(ドボヅラ基地から発進)、P-38戦闘機67機(ウッドラーク基地から発進)がラバウルを襲うも、地上に帝国軍機の姿はなく、市街地や港湾地区などを爆撃(ほとんど被害は無)。空襲警報が解除されたのは11:00のことでした。 ▼両軍の兵力:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜「は」号作戦を参照 ○米軍の編成:〜 米空母機動部隊 ・米海軍第38任務部隊(Task Force 38)シャーマン隊 米基地航空部隊 ・ニューギニア東岸ドボヅラ基地(ジルア空港:Girua Airport)基地〜B-24 ・ニューギニア島東端北ウッドラーク島(Woodlark Island)基地〜P-38 ▼両軍の損害:〜
11/11の6:00頃に帝国偵察機が第50.3部隊を発見・通報。6:18ラバウルのシンプソン泊地在泊の第二水雷戦隊と第十戦隊が脱出し開始。零戦107機が迎撃に離陸発進。6:58にはラバウルに空襲警報が発せられました。米第38部隊(シャーマン隊)は北側から、第50.3部隊(モンゴメリー隊)は南側から第一波攻撃機の艦載機を発進。シャーマン隊の艦載機は、深い靄がかかった天候の中を発艦したものの、結局スコールに妨げられ攻撃隊は母艦へ帰投。そのためブーゲンビル島南方より発進したモンゴメリー隊の艦載機185機のみ花吹山の方向からラバウルへの突入に成功、シンプソン湾に達しました。ラバウル空襲は7時頃始まり、米空母艦載機の戦闘機70機、艦爆・艦攻60機が来襲。帝国空母機動部隊の零戦39機、基地航空部隊の68機が迎撃。この迎撃戦で米軍は11機を喪失。また駆逐艦 涼波は雷撃と爆撃で7:22沈没。阿賀野(大杉少将は機銃掃射で負傷)・長波が雷撃で航行不能。9:30草鹿中将は遊撃部隊などへトラック退却を下令。第二水雷戦隊、第十戦隊、摩耶、潜水母艦長鯨などがラバウルから退却。 ▼両軍の兵力:〜
○米国軍の編成:〜 米空母機動部隊 ・第38任務部隊(Task Force 38、シャーマン隊) ・空母サラトガ号 ・空母プリンストン号 ・護衛艦艇 ・第50.3任務部隊(Task Force 50.3、モンゴメリー隊) ・空母エセックス号 ・空母バンカー・ヒル号 ・軽空母インディペンデンス号 ・護衛艦艇。 ▼両軍の損害:〜
※涼 波:沈没 ※阿賀野:航行不能 ※長 波:航行不能、など その後、米第50.3部隊は第一波空襲の艦載機を収容後、午後の第二次空襲の準備中に、偵察機の報告でラバウルからの攻撃隊接近(ろ号作戦11/11第三次ブーゲンビル島沖航空戦)の通報を受信。第50.3部隊はレーダーで探知し、迎撃戦闘機を発進。11:51に空中戦を開始。迎撃戦闘機と猛烈な対空砲火(近接信管装備)で、帝国攻撃機35機が撃墜され、第50.3部隊艦艇には被害なく、艦載機は攻撃と迎撃で11機を失っただけで、ラバウル空襲は成功しました。ただ、帝国の攻撃で午後の攻撃は取り止めとなり、第50.3部隊は第38部隊と共にラバウル近海を離れて中部太平洋のギルバート方面に移動し、第5艦隊に復帰しました。 ・ラバウル空襲の関連年表:〜 1943(昭和18年)
参考HP〜 ・ニューブリテン島の地図 ・ニューブリテン島とソロモン諸島の場所地図(日本語) ・ニューギニア島とニューブリテン島とソロモン諸島の関連場所地図 ・パプアニューギニア国の地図(日本語) ・ドボヅラ基地の場所地図(日本語、ジルア空港) ・キリウイナ諸島の地図 ・キリウイナ諸島の場所地図(日本語、ドロブリアンド諸島)
▼両軍の兵力:〜
○帝国軍の編成:〜 ・連合襲撃部隊(大森仙太郎少将) ・本隊(大森少将直率) 重巡 妙高・羽黒 ・第一警戒隊(伊集院松治少将) 軽巡 川内 駆逐艦 時雨・五月雨・白露 ・第二警戒隊(大杉守一少将) 軽巡 阿賀野 駆逐艦 長波・初風・若月 ・輸送隊(山代勝守大佐) 駆逐艦 天霧・文月・卯月・夕凪・水無月(ブカ島行) ○米軍の編成:〜 第39任務部隊(U.S. Task Force 39、メリル隊) 司令官アーロン・スタントン・メリル少将 (Rear Admiral Aaron Stanton Merrill 1890-1961) ・第12巡洋艦群(メリル少将・直率) ・クリーブランド級軽巡洋艦(Cleveland-class Light cruiser, 11,800t, 1,335人) ・クリーブランド号(USS Cleveland CL-55, 1947退役) ・コロンビア号(USS Columbia, CL-56, 1946退役) ・モントピリア号(USS Montpelier CL-57, 1947退役)、(任務部隊旗艦) ・デンバー号(USS Denver, CL-58, 1947退役) 第23駆逐隊 ・第45駆逐群:司令官アーレイ・バーク大佐 (Captain Arleigh Albert '31-knot' Burke 1901-1996) ・フレッチャー級駆逐艦(Fletcher-class destroyer, 2,050t, 329人) ・チャールズ・オースバーン号(USS Charles Ausburne DD-570, 1946退役) ・ダイソン号(USS Dyson DD-572, 1947退役) ・スタンリー号(USS Stanly DD-478, 1947退役) ・クラクストン号(USS Claxton DD-571, 1946退役) ・第46駆逐群(バーナード・L・オースティン中佐) ・フレッチャー級駆逐艦 ・スペンス号(USS Spence DD-512, ヤップ島北ウルシー環礁泊地出撃後、 1944/12/18コブラ台風で沈没) ・サッチャー号(USS Thatcher DD-514, 1945/12/5退役) ・コンヴァース号(USS Converse (DD-509, 1946退役) ・フート号(USS Foote DD-5, 1946退役)。 ▼両軍の損害
・沈没:川内・初風 ・損傷:羽黒 衝突損傷:妙高・五月雨・白露 ○米国軍の損害 ・損傷:デンバー号、フート号(大破) ・衝突損傷:スペンス号(被弾)、サッチャー号 ※海戦後の空襲損傷:モントピリア号。 参考HP〜 ・ブーゲンビル島の地図(Motopina Point有) ・ブーゲンビル島とソロモン諸島の場所地図(日本語)
●「ろ」号作戦(11/2〜11/12) 攻撃目標〜ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾北端タロキナ岬沖の米輸送船団 ・11/02〜第1次連合攻撃(ムッピナ沖の米輸送船団攻撃) ・11/03〜第2次連合攻撃(ムッピナ角付近の米艦船攻撃) ・11/05〜第3次攻撃(第一次ブーゲンビル島沖航空戦、「は」号作戦 ) ・11/06〜第4次攻撃(ムッピナ沖の米艦船夜間攻撃) ・11/08〜第5次攻撃(第二次ブーゲンビル島沖航空戦) ・11/11〜第6次攻撃(第三次ブーゲンビル島沖航空戦) ▼両軍の兵力:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜 大日本帝国海軍連合艦隊司令長官〜古賀峯一中将(1885-1944/3/31戦死)於:トラック ・第一次連合攻撃隊 ラバウル基地航空部隊 ・南東方面艦隊司令長官 草鹿任一中将(1888-1972)於:ラバウル ・第十一航空艦隊の航空機保有数(10/27の航空戦力)
南東方面で昼間攻撃に使用できる戦力は83機 第一航空戦隊(機動航空部隊、空母 翔鶴・瑞鶴・瑞鳳の飛行隊) ・第三艦隊司令長官 小沢治三郎中将(1886-1966)於:トラック ・第一航空戦隊進出機数
・ラバウル東ラクナイ基地 ・ラバウル西ブナカナウ基地 ・ニューアイルランド島北端バルガイ湾のカビエン基地。 ○米国軍の編成:〜 ・第3艦隊〜司令長官 ウィリアム・ハルゼー中将 ・第38任務部隊(Task Foce 38) ・空母サラトガ号 ・軽空母プリンストン号 ・第50.3任務部隊(Task Foce 50.3) ・空母エセックス号 ・空母バンカー・ヒル号 ・軽空母インディペンデンス号 その他の待機中空母:〜 ・エセックス級正規空母〜2隻 ・新造艦ヨークタウン号(CV-10, 27,100t、ハワイ真珠湾) ・新造艦レキシントン号(CV-16, 27,100t、ハワイ真珠湾) ・インディペンデンス級軽空母〜3隻 ・ベロー・ウッド号(ハワイ真珠湾) ・カウペンス号(ハワイ真珠湾) ・モンテレー号(ハワイ真珠湾) ▼両軍の損害:〜
●帝国の第1次連合攻撃〜11/2「ろ」号作戦 別名:ムッピナ岬沖米輸送船団空襲、帝国軍は勝利を確信 場所:(Mutupina Point, Bougainville Island:エンプレス・オーガスタ湾の南西角) 前夜、タロキナ方面の米支援部隊の第39任務部隊(メリル隊)と帝国軍の連合襲撃部隊(大森部隊)の間で海戦が勃発(ブーゲンビル島沖海戦)後、夜が明けるとメリル隊は損傷したフート号に駆逐艦3隻を護衛につけ部隊の集結をはかり、帝国軍の空襲に備えて残りの艦艇を率いてエンプレス・オーガスタ湾を南下。帝国軍第一次連合攻撃機隊が、この米艦隊を攻撃するため、4:35にラバウルを発進。 ▽両軍の兵力:〜
一方連合軍側は、メリル隊を予想される帝国軍からの空襲から守るため、ベララベラ島からソロモン航空軍の戦闘機が送り込まれました。悪天候などで発進は遅れたものの、16機の戦闘機がメリル隊の上空に無線誘導され、上空警戒を実行。帝国軍攻撃隊は6:00にムッピナ岬の西方海域にメリル隊を発見、メリル隊の上空直掩機の邀撃を受けながら攻撃隊は急降下爆撃を敢行、7:40に帰着。攻撃隊は ・駆逐艦1隻撃沈 ・巡洋艦1隻撃破 ・輸送船2隻撃破などと報じ、帝国軍は勝利を確信するも、 実際の米軍の被害は ・軽巡モントピリア号がカタパルト付近に2発被弾したのみでした。 ▽両軍の損害:〜
この後、再攻撃を準備中、ラバウルに空襲警報が発令され、その後11:40に、 ニューギニアのドボヅラ基地とキリウイナ島基地から ・米陸軍機P-38双発戦闘機〜80機、 ・B-25爆撃機〜80機 など200機が空襲(ラバウル大空襲)して再攻撃は中止。※数字には諸説有。 ●帝国の第2次連合攻撃〜11/3「ろ」号作戦 別名:ムッピナ岬角付近米艦船空襲 場所:(Mutupina Point, Bougainville Island:エンプレス・オーガスタ湾の南西角) 11/3早朝4:46に発進した空母 瑞鶴の二式水偵が6:41にモノ島の南東20浬で輸送船2隻、駆逐艦1隻が北西方向に航行しているのを発見、それを攻撃するため、8:00に
の一航戦部隊がラバウル西飛行場ブナカナウ基地を発進、9:50会敵予想地点に到着するも天候不良のため敵艦船を発見できず反転。10:10に艦爆隊はブーゲンビル島のハモン揚陸点を爆撃。そのとき戦闘機隊は連合軍のF4U、F6F、P39戦闘機などと空戦。攻撃隊はハモン揚陸点1ヵ所に火災を生じさせ、11:45に帰着。この攻撃で艦爆1機が不時着。 ●帝国の第3次攻撃〜11/5「ろ」号作戦 11/5の関連戦:〜 ・第一次ブーゲンビル島沖航空戦 ・は号作戦 場所:パプアニューギニア国ブーゲンビル島沖 (Off Bougainville Island, Solomon archipelago) <米空母機の第一次ラバウル空襲> ブーゲンビル島南西海岸中央エンプレス・オーガスタ湾北端タロキナ岬への帝国軍逆上陸支援のため、トラック島基地から栗田艦隊(第四戦隊、第七戦隊、第八戦隊、第二水雷戦隊を基幹とする部隊)が11/5ラバウルに進出すると、そこへ米第38任務部隊(シャーマン隊)の空母サラトガ号・プリンストン号から発進した艦載機が空襲しました。「は」号作戦へ続く。 <艦攻隊の薄暮雷撃> 11/5の朝、翔鶴の艦偵がラバウルの南西210浬に「重巡5隻、駆逐艦7隻、大型輸送船2隻(空母に酷似)」からなる米艦船群を発見。さらに米艦船群をラバウルの南西230浬に発見し、帝国軍は薄暮雷撃を下令。艦攻4機が14:17〜45分にかけてラバウルを発進。一航戦の空母攻撃隊の艦攻14機(瑞鶴7機、翔鶴4機、瑞鳳3機)も15:15に発進(計18機)。攻撃隊は17:10に無照明で雷撃を敢行して、指揮官機を含む4機が未帰還となりました。 ▽両軍の兵力と損害:〜
<大本営発表> 大本営は翌日、前夜の戦果を「轟沈 大型空母1隻、撃沈 中型空母1隻、大型巡洋艦2隻、巡洋艦(もしくは大型駆逐艦)2隻」と発表し、この航空戦を「第一次ブーゲンビル島沖航空戦」と呼称するとしました。ところが、実際にはシャーマン隊は損害を受けておらず、帝国海軍が攻撃したのはタロキナから魚雷艇USS PT-167号と歩兵上陸用舟艇USS LCI(G)-70号(Landing Craft Infantry)などに護衛されてタロキナへの輸送任務を終え、トレジャリー諸島(モノ島)への帰路についていた上陸用装甲舟艇 LCT-68号(Landing craft tank)などによる輸送船団でした。この内、PT-167号と LCI(G)-70号に魚雷が命中するも、PT‐167号への魚雷は船首部分を貫通して船首部分に大穴を開けるも、水密隔壁にあたる部分で沈没をまぬがれ、LCI(G)-70号は魚雷1本が不発でエンジンルームへ入り、一時船体の放棄を考慮されるも、LCI(G)-70号は LCT-68号に曳航され、PT-167号と共にトレジャリー諸島へ帰還しました。米軍の沈没艦艇は無く、帝国は誤認で勝利を確信しました。 ●帝国の第4次攻撃〜11/6「ろ」号作戦 別名:ムッピナ沖の米艦船夜間攻撃 天候不良で基地へ帰還 11/6の12:38に空母 翔鶴の艦上偵察機がムッピナの東方沖14浬で米巡洋艦2隻、駆逐艦7隻を発見、続いて13:15にはムッピナ東方沖25浬に米輸送船8隻を発見。これら米艦船に対する夜間攻撃が企図され、まず一航戦の艦爆隊14機(翔鶴10、瑞鶴4)が18:40に発進するも、天候不良のため19:15に帰還。さらに19:10に艦攻17機(翔鶴10機、瑞鶴4機、瑞鳳3機)が発進するも、同様に天候不良のため米艦船を発見できずに基地へ引き返し帰還ました。 ●帝国の第5次攻撃〜11/8「ろ」号作戦 11/8の関連戦:〜 ・第二次ブーゲンビル島沖航空戦 <艦爆隊のタロキナ岬沖の米輸送船団攻撃> 11/8朝の広範囲な索敵で、6:00にタロキナ沖に米輸送船10隻の船団を発見。8:15に一航戦の艦戦40機、艦爆26機と基地航空部隊の艦戦31機がラバウルを発進し、10:00頃タロキナ沖にタロキナ上陸部隊乗船の輸送船団第2梯団第2陣の米輸送船団を発見。その船団上空にはP-38、F4U、F6Fの各戦闘機計60機が重層配備されており、帝国軍の戦闘機隊と激しい空中戦を展開。 ▽両軍の兵力と損害:〜
<大本営発表> その結果、帝国軍は ・輸送船2隻、駆逐艦3隻撃沈などと報じ(実際は撃沈無) ・艦爆14機、零戦5機が未帰還にました。。 攻撃を受けた米輸送船団は攻撃輸送艦フラー号(USS Fuller APA-7, 8,000t, 1946退役)に爆弾2発が命中、火災が発生するも、鎮火と応急修理に成功し、16:37には全船揚陸作業を終え暴風雨の中を出港。フロリダ諸島ンゲラスレ(Nggela Sule)島パーヴィス湾(Purvis Bay)泊地へ帰投しました。 <艦攻隊、陸攻隊の薄暮雷撃> ラバウルを発進した艦偵はタロキナ沖の輸送船団発見後も索敵を続行し、10:20にモノ島西方30浬に「戦艦3、駆逐艦4」の発見を報告。それはデュポーズ隊(ローレンス・T・デュポーズ少将の率いる支援部隊:軽巡4隻、駆逐艦4隻)で、軽巡を戦艦と誤認。この米艦隊攻撃で、まず触接索敵に艦攻4機、陸攻2機が15:2〜15:15に発進。さらにその後一航戦の艦攻9機が15:30に、七五一空の陸攻が15:45に、七〇二空の陸攻が16:00に次々とラバウルを発進。この日の目標付近の日没時間は16:39分。触接索敵隊は16:20〜16:43にムッピナ岬の西方50浬〜70浬に「戦艦3隻、駆逐艦4隻」の米艦隊を発見。当夜は雷光と驟雨で視認しにくい状況で艦攻隊は17:5に独自で米艦隊を発見し、17:12ころ雷撃を敢行。7隻全ての撃沈を報じるも、雷撃後に夜間戦闘機の追撃を受け2機を喪失。七五一空の陸攻は17:25、七〇二空の陸攻は17:28〜17:55に雷撃。その結果5機を喪失。陸攻隊は両隊とも指揮官機が未帰還。戦果は「戦艦3隻撃沈、巡洋艦、駆逐艦各1隻撃破」と報告。この日の陸攻触接機の報告は3隻の敵艦が爆発炎上など報告。実際にこの夜攻撃を受けたのは軽巡3隻・駆逐艦4隻からなる支援部隊のデュポーズ隊であり、戦艦と誤認された軽巡バーミンガムは最初に右舷艦尾付近に爆弾1発が命中し、その結果喫水線付近に破口が生じ、水上偵察機の格納庫のハッチを吹き飛ばし、その9分後、陸攻隊による魚雷1本が左舷前方に命中、錨鎖格納庫に約10mの破口が生じ、その後さらに4番砲塔前面に爆弾1発が命中。 ▽両軍の兵力と損害:〜
○米軍の編成:〜 支援部隊:第13巡洋艦部隊(デュポーズ隊) 司令官:ローレンス・T・デュポーズ少将 (Rea Admiral Laurance Toombs DuBose, 1893-1967) ・軽巡〜4隻 ・クリーブランド級軽巡(Cleveland-class light cruisers, 11,800t, 1,335人) ・サンタフェ号 (USS Santa Fe, CL-60, 1942就役, 1946退役) 、旗艦 ・バーミングハム号 (USS Birmingham, CL-62, 1943就役, 1947退役) ・モービル号 (USS Mobile, CL-63, 1943就役, 1947退役) ・他 ・駆逐艦〜4隻
<基地航空部隊の夜間攻撃> デュポーズ隊に触接を続けていた陸攻は17:45に「敵主力艦1隻尚炎上漂泊中」と報告。これを補足撃滅するため、追撃に七五一空の陸攻4機が19:20に、五八二空の艦攻7機(雷装5機、爆装2機)は20:00それぞれラバウルを発進するも、七〇二空の触接機は18:55に消息不明。七五一空の触接機は19:45触接を失いました。その後20:30に陸攻隊は予想海域に達した後、23:00にモノ島の210度沖の「輸送船団」に雷撃を敢行。この結果2機を喪失。五八二空の艦攻隊の内雷装の5機は目標を発見できず帰投し、爆装の1機はタロキナの上陸地点を爆撃。もう1機は消息不明。陸攻隊の雷撃した「輸送船団」がどの部隊なのか不明なるも、8日夜にタロキナを出発した輸送船団は同夜攻撃を受けておらず、また、デュポーズ隊は深夜に再び攻撃を受け、この攻撃で被害は無く、バーミンガム号も30ノットで航行。数時間後デュポーズ隊はフロリダ諸島ンゲラスレ島パーヴィス湾に無事帰投。上陸部隊の支援任務をメリル隊と交代しました。 ▽両軍の兵力と損害:〜
<大本営発表> 大本営は翌11/9、前日の航空戦の戦果を発表、翌々日にはさらに追加で戦果を発表しました。 ・撃沈〜戦艦4、巡洋艦2、駆逐艦3、輸送船4 ・大破〜戦艦1、大型巡洋艦6、巡洋艦(もしくは大型駆逐艦)4、大型輸送船1 ・撃墜〜15機以上。 なおこの航空戦を「第二次ブーゲンビル島沖航空戦」と呼称する旨付記しました。 <タロキナ岬沖の米輸送船団夜間攻撃> 翔鶴の艦偵は10日午後モノ島北西20浬を高速で北上中の輸送船団を発見。17:50に艦攻8機(瑞鶴隊7機、瑞鳳隊1機)、18:10に同じく翔鶴隊の6機が薄暮雷撃に向かうも、タロキナ付近は悪天候のため視界が悪く目標を未発見で、そのまま索敵を続行。その後同方面に米輸送船を認め、20:25と20:40に雷撃を敢行。攻撃隊はその後「駆逐艦1、輸送船1」撃沈を報告するも、指揮官機以下5機が未帰還。その頃タロキナにはメリル隊に支援された戦車揚陸艦(LST)8隻と高速輸送艦(APD)8隻の米上陸船団の第3梯団がいるも、雨期による悪天候で、被害は無しでした。帝国の戦果報告は不明。 ▽両軍の兵力と損害:〜
●帝国の第6次攻撃〜11/11「ろ」号作戦 11/11の関連戦:〜 ・第三次ブーゲンビル島沖航空戦 ・米空母機による第二次ラバウル空襲 <帝国軍の昼間攻撃> 11/11のラバウル空襲警報は8:30に解除され、すでに帝国軍の偵察機に発見されていた米第50.3任務部隊(モンゴメリー隊)に対する連合攻撃が実施され、結局最終的に出撃したのは、戦闘機33、艦爆23機(内3機機体トラブルで引き返す)、艦攻14機の合計71機で、基地航空部隊からは五〇一空の彗星艦爆4機。攻撃隊は11:42、セントジョージ岬155度110浬にモンゴメリー隊を発見、敵戦闘機による邀撃と激しい対空砲火をおして艦爆隊は11:50、艦攻隊は12:4、それぞれ攻撃を敢行。この直前より戦闘機隊も敵戦闘機との激しい空戦に入った。その結果艦攻隊は全機未帰還となり、艦爆は17機、彗星2機、零戦2機が未帰還となる大きな損害を受けるも、帝国が敗戦まで知らなかったVT信管使用の熾烈な米対空砲火に、守られて被害無し。 ▽両軍の兵力と損害:〜
<夜間雷撃> 11/11夕方から夜にかけて、戦果拡大のため七〇二空から陸攻5機、七五一空から陸攻6機、一航戦から艦攻が4機、五八二空の艦攻6機が夜間雷撃に向かい、支援部隊のメリル艦隊に対し七〇二空の陸攻隊のみが攻撃に成功し、防御砲火をおして17:45〜18:10に雷撃を決行。帰還後魚雷命中を報じるも、第12巡洋艦群(メリル隊)に命中弾は無し。 ▽両軍の兵力と損害:〜
<大本営発表> 大本営は11/11の攻撃を「第三次ブーゲンビル島沖航空戦」と呼称することとし、その戦果は ・巡洋艦〜1隻撃沈 ・戦 艦〜1隻中破 ・大型空母〜2隻中破 ・巡洋艦〜5隻大破 ・駆逐艦〜5隻大破 ・撃 墜〜2機 と発表しました、なお、これに先立ち11/11、昭和天皇は、大本営発表の大戦果を信じて連合艦隊司令長官の古賀中将に対し「勅語」を煥発されました。 <「ろ」号作戦の終了> 古賀連合艦隊司令長官は11/12に、「ろ」号作戦(11/2-11/12)の終了を指示、一航戦各飛行隊は11/13トラックへ帰投。またこの10日間で一航戦の航空隊は激しく消耗し、機体の損耗率は70%、搭乗員の損耗率は47%に達しました。 ・帝国軍:機種別の損耗率
「ろ」号作戦以降も、第六次に至るまで「ブーゲンビル島沖航空戦」が実施された他、敵艦隊攻撃やタロキナ方面への航空撃滅戦、増援部隊の船団護衛などが続けられ、11月中の航空作戦を通じての零戦は損耗は63機に達し、帝国軍の航空戦力は急激に消耗していきました。また、同方面の空襲激化のため、ブーゲンビル島への輸送は11/30を最後に打ち切られ、その北にあるブカ島への増援も連合軍の上陸が予想されていながら翌年1月には増援を実施しないと決定。この結果ブーゲンビル島の帝国軍守備隊第十七軍は孤立し、密林の中で疫病や飢餓に苦しみながら敗戦まで戦い続けました。11/25に連合軍のタロキナ岬に対する6回目の輸送船団が入泊するも、帝国の航空隊はブーゲンビル島方面の制空権を喪失して発見することはできませんでした。 参考HP〜 ・ブーゲンビル島の地図 ・ブーゲンビル島とソロモン諸島の場所地図(日本語) 参考:〜
帝国軍モノ島守備隊は奮戦するも衆寡敵せず、ジャングルに撤退してゲリラ戦を戦い、11/1に抵抗は止み占領され、モノ島の帝国軍司令部ファラマイ(Falamai)廃墟に勝利の連合軍旗が掲揚されました。米軍は占領後に隣のスターリング島に飛行場を建設しました。 帝国の南東方面艦隊司令部ではこの日、航空戦隊指揮官などを集め、今後の航空作戦に関して研究を実施。その中で、モノ島奪回の計画は陸軍(第十七軍)にも海軍(第八艦隊)にもなく、同島の奪回を断念するとの結論に達しました。この時点で帝国軍側は連合軍モノ島上陸が何を意味するのか(ラバウルの孤立化)、その意図をつかみ兼ねており、当分航空作戦はニューギニア方面を重視するとし、空襲の激しいブーゲンビル島ブインに航空兵力はおかず、ブーゲンビル島北隣ブカ島などで作戦するとしました。しかしながらソロモンの情勢は予断を許さないものであり、十一航艦参謀長中原義正は連合艦隊司令部に対し昼間実働兵力84機である旨を通報し航空兵力の増援を要請。これは連合艦隊に重大な決意をさせる一報となり、「ろ」号作戦が発動されることになりました。 ▽両軍の兵力:〜
○帝国軍の編成:〜 ・モノ島守備隊〜231人 ・基地航空部隊支援〜零戦40機、九九艦爆6機、彗星艦爆2機、他 ○連合軍の編成:〜 ・ニュージーランド陸軍第3師団第8旅団〜3,795人 (NZ 8th Infantry Brigade Group, 3rd Division) ・アメリカ第1海兵遠征軍〜2,779人 (I Marine Amphibious Corps) ・アメリカ海軍の建設工兵隊シービーズ大隊 (U.S. 87th Navy Construction Battalion Seabee) ▽両軍の損害:〜
○帝国軍の損害 ・未帰還〜零戦1機、九九艦爆2機、彗星艦爆1機。 参考HP〜 ・モノ島の地図 ・モノ島の場所地図(ブーゲンビル島の下に有) ・ソロモン諸島付近の地図(TREASUARY IS.有)
▼両軍の兵力:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜 遊撃艦隊の兵力 ▽トラック出撃艦隊 ・第四戦隊(栗田健男中将) ・重 巡 愛宕・高雄・摩耶・鳥海 ・油送船 日章丸(昭和タンカー、10,526t) ・第七戦隊(西村祥治少将) ・重 巡 鈴谷・最上 ・第八戦隊(岸福治中将) ・重 巡 筑摩 ・第二水雷戦隊(高間完少将) ・軽 巡 能代 ・駆逐艦 玉波・涼波・藤波・早波 ▽ラバウル停泊部隊 ・第2水雷戦隊(11/2ブーゲンビル島沖海戦より帰投) ・第27駆逐隊 時雨・五月雨・白露・島風。 ○米国軍の編成:〜 米海軍第38任務部隊(Task Force 38)シャーマン機動部隊 司令官 フレデリック・シャーマン少将 ・空母サラトガ号 ・空母プリンストン号 (USS Princeton, CVL-23, 13,000t, 1,569人, 1944/10/24レイテ沖海戦で沈没) シャーマン隊出撃機の内訳
▼両軍の損害
○帝国軍の損害:〜 11/5の空襲での在泊艦船の主な被害 ・愛宕:至近弾3、艦長中岡信喜大佐戦死 ・高雄:被弾11、右舷前部水線大破孔 ・摩耶:被弾1、左舷機械室火災 ・最上:被弾1、中火災 ・筑摩:至近弾4、一番魚雷発射管使用不能、水線下船体損傷 ・能代:第二水雷戦隊司令部附兵1名負傷の他に被害なし ・阿賀野:被弾、高角砲使用不能 ・藤波:右舷中部に魚雷1命中(不発)、幅2mm・長さ12mm程度の亀裂 ・若月:至近弾、水線付近舷側に破孔多数、浸水 ・早波:重油庫に小破孔、重油漏洩 ・天霧:魚雷1命中(不発) (戦死:134人以上、重軽傷者:190人超) ・結果:〜 第38任務部隊艦載機の攻撃で、遊撃艦隊は被害甚大で「廃物」になってしまいました。空襲が止むと、ラバウルから退避した諸艦船はラバウルに戻ってきました。草鹿中将は15:44に、遊撃部隊の内の重巡洋艦をトラックに返すことを決めました。夕刻、摩耶と第二水雷戦隊を除いた遊撃部隊の内の重巡洋艦はラバウルを後にしてトラックに向かい、11/7-8にかけてトラックに帰投。かくして遊撃艦隊のラバウル進出は全くの失敗に終わりました。 参考HP〜 ・パプアニューギニア国の地図(日本語:ラバウルの場所地図) ・トラック島とラバウルの場所地図(日本語)
・11/05〜第一次ブーゲンビル島沖航空戦(ろ号作戦) ・11/08〜第二次ブーゲンビル島沖航空戦(ろ号作戦) ・11/11〜第三次ブーゲンビル島沖航空戦(ろ号作戦) ・11/13〜第四次ブーゲンビル島沖航空戦 ・11/17〜第五次ブーゲンビル島沖航空戦 ・12/03〜第六次ブーゲンビル島沖航空戦 ▼両軍の兵力:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜 ・南東方面艦隊司令長官兼第11航空艦隊司令長官 ラバウル基地〜司令官 草鹿任一中将(1888-1972) ・第一航空戦隊 ・空母 翔鶴・瑞鶴・瑞鳳の飛行隊 ○米軍の編成:〜 ・第3艦隊〜司令長官、1944/8/26-1945/1/26 ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア中将 (Vice Admiral William Frederick Halsey, Jr. 1882-1959) ・第38任務部隊(Task Foce 38)、略称:TF38 シャーマン空母機動部隊:〜(シャーマン隊) 司令官:シャーマン少将(Rear Admiral Frederick C. Sherman 1888-1957) ・航空母艦:〜2隻 ・空母サラトガ号(USS Saratoga CV-3) ・軽空母プリンストン号(USS Princeton CVL-23) ・軽巡洋艦:〜2隻 ・軽巡サンフアン号(USS San Juan CL-54) ) ・軽巡サンディエゴ号(USS San Diego CL-53) ・駆逐艦:〜4隻 第23・24駆逐隊(DesDiv23&24) ・ベンソン級駆逐艦(Benson-class destroyers) ・ウッドワース号(USS Woodworth DD-460:DesDiv23) ・グリーブス級駆逐艦(Gleaves class Destroyers) ・ブキャナン号(USS Buchanan DD-484:DesDiv23) ・ランズダウン号(USS Lansdowne DD-486:DesDiv24) ・ラードナー号(USS Lardner DD-487:DesDiv24) ・第50任務部隊第3群(Task Foce 50 Group 3)、略称:TF50.3 モンゴメリー空母機動部隊:〜(モンゴメリー隊) 司令官:モンゴメリー少将(Rear Admiral Alfred E. Montgomery 1891-1961) ・航空母艦:〜3隻 ・空母エセックス号(USS Essex CV-9) ・空母バンカー・ヒル号(USS Bunker Hill CV-17) ・軽空母インディペンデンス号(USS Independence CVL-22) ・巡洋艦:〜3隻 ・重 巡ペンサコーラ号 (USS Pensacola CA-24) ・重 巡ソルトレイクシティ号 (USS Salt Lake City CA-25) ・軽巡オークランド号 (USS Oakland CL-95) ・駆逐艦:〜5隻 第23・24駆逐隊(DesDiv15&49) ・フレッチャー級駆逐艦(Fletcher class destroyer) ・マレー号(USS Murray DD-576:DesDiv49) ・マッキー号(USS McKee DD-575:DesDiv49) ・ベンハム級駆逐艦(Benham-class destroyer) ・スタック号(USS Stack DD-406:DesDiv15) ・ステレット号(USS Sterett DD-407:DesDiv15) ・ウィルソン号(USS Wilson DD-408:DesDiv15)※上記には諸説有。 ▼両軍の損害
度重なる帝国海軍の攻撃にも関わらず、12/5には連合軍のタロキナ飛行場の完成が飛行偵察によって報告され、16日早朝に偵察に出発した一〇〇式司令部偵察機は、タロキナ飛行場に戦闘機約70機の集結を報じました。この事態に対して翌日以降ラバウルに対する空襲が懸念されるも、南東方面艦隊は15日に連合軍が上陸したニューブリテン島西部のマーカス岬への対応に航空兵力を投入する他はなく、ブーゲンビル島方面に対しては偵察、哨戒が限度で、攻撃隊を出撃させる余裕はありませんでした。翌17日朝、ソロモン方面から戦闘機を含む「約四〇機」がラバウルに来襲。12/17現在の米ソロモン航空部隊の保有機数は632機に達し、この兵力で北部ソロモン(ブカ、ブイン、バラレ、ショートランド)の各基地は制圧され、同方面に最後まで残っていた九三八空の水偵隊も12/17-18にブカ基地を去り、ソロモンから帝国軍の航空戦力は姿を消してしまいました。その結果ラバウルは孤立し、17日以降、年をまたいで翌年2月まで連合軍はラバウルに戦爆連合による空襲を連日実施。ブーゲンビル方面への輸送は空襲の激化のため、11/30にブカ島へ2隻の船が到着したのが最後で、連合軍が当初目論んでいた通りの占拠状況の中で1943年が終りました。 こちらで ・カートホイール作戦(米軍の2大反撃ルート) ・アリューシャン反撃 をお楽しみください。 参考HP〜 ・ブーゲンビル島の地図 ・ブーゲンビル島沖海戦の地図 ・ブーゲンビル島とソロモン諸島の場所地図(日本語) ・ブーゲンビル島付近の地図(日本語、GoogleMap) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/12/30、16/3/3 |
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