大航海物語 | カナダ
ミクマク族 Mikmaq people |
参考資料 |
ミクマク族 大酋長アンリ・メンベルトゥ Grand Chief Henri Membertou 洗礼400年記念 カナダ 2007/7/26 発行 |
サグネ川(160km , QC)
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・ミクマク族 Mikmaq people カナダ先住民のミクマク族はカナダ東部のセントローレンス河(St. Lawrence River, 1,197km)南岸のガスペ半島(Gaspe Peninsula)からセントローレンス湾南部一帯に住んでいて、かつてはフランス領のサンピエール・ミケロン諸島にも居住していました。 11世紀初頭に北ヨーロッパのバイキングがニューファウンドランド島に到着したとされ、その時にミクマク族と接触。1497年にイギリスのジョン・カボット船長がニューファンドランド島を探索し、1534年フランスのジャック・カルティエ船長がニューファンドランド島、そしてプリンスエドワード島(Prince Edward Island)に上陸してミクマク族と出会いました。17世紀以後はフランス人の漁船や毛皮商人がニューファンドランド島とプリンスエドワード島に訪れるようになりました。ニューファンドランド島にはベオサック族も居住しており、フランス人と友好的な関係を築いているも、フランス人漁師が1613年に1人のベオサック族を殺したことが発端でベオサック族が復讐としてフランス人40人を殺害。ベオサック族との関係が悪化したフランスは、ミクマク族と同盟を結び、ベオサック族をニューファンドランド島からほとんど追い払いました。こうしてフランスとミクマク族は交易などを通して同盟を築いていきました。1604年にサミュエル・ド・シャンプランらフランス人入植者がニューブランズウィック州南とノバスコシア州西の間にあるファンディー湾から入って、アカディア植民地(Acadia Colony 1604-1713)を建設しました。初期の入植者は餓えや病気などに苦しむも、ミクマク族の助けでアカディアは存続しました。この頃アカディアの神父たちはミクマク族に洗礼を授けており、フランス人の入植者の中にはミクマク族と結婚する人もありました。 1620年にイギリス人がノバスコシアの入植を開始し、アカディアは100年以上にわたりフランスとイギリスの植民地を巡る争いに翻弄されました。1754年イギリスとフランスとの間で北米植民地をめぐる最終戦争のフレンチ・インディアン戦争が起きました。ミクマク族は同盟するフランスの側に付くも、ミクマク族と敵対していたモホーク族をはじめとするイロコイ諸族はイギリス側に付き交戦。フランスはイギリスに敗北し、1763年のパリ条約で、カナダのほとんどがイギリスの植民地となりました。 ・ワバナキ同盟 (Wabanaki Alliance) ヨーロッパ人が天然痘を始めとする病気を持ち込んだことで、ミクマク族を初めとする先住民の人数は激減し、パサマクォディ族にいたっては約20,000人から約4,000人に激減したといわれているところに、ヨーロッパ人及びイロコイ諸族から圧力を掛けられ、下記の部族らと共にワバナキ同盟を結びワバナキ同盟(Wabanaki Alliance)という連邦(Wabanaki Confederacy)を結成しました。 ・ミクマク族(Mikmaq people:味方の兄弟の人々) ・アブナキ族(Abenaki people:払暁地の人々) ・パサマクォディ族(Passamaquoddy people:カキを採る人々) ・ペノブスコット族(Penobscot people:岩だらけの下の岩棚の人々) ・マシリート族(Maliseet people:美しい川の人々) ・祖先 ミクマク族はアルゴンキン語族(Algonquian)に属し、ファースト・ネーションの民(First Nations person)と呼ばれるカナダ先住民で、約10,000年以上前にニューファンドランド島で暮らしていたのが、プリンスエドワード島に約2,000年前に到着しノバスコシア州には7,000年頃には居住してたとされています。 ・住居 (ウィグワム、Wigwams) ミクマク族はアメリカ先住民の伝統的なドーム型住居のウィグワムと呼ばれる円形の樹皮小屋(テントと違って中にかまどを切り、火を使うことが出来る)に住み、森などで狩猟をして、オジロジカやアメリカクロクマ、ヘラジカやカリブー、鳥類、ビーバー、ヤマアラシなどを狩り、肉は食料にし、毛皮は衣類や皮製の靴モカシン(Moccasin)にしていました。農業はトウモロコシなどを栽培し、海でカヌーに乗り魚類を獲ったり、貝の採集などしながら暮らしていました。かつてはクジラやセイウチ、タテゴトアザラシ、イルカ、海鳥、ロブスターなども獲って暮らしていました。 ・ミクマク文字 ミクマク族はカバの木の皮にヤマアラシのとげで象形文字を書く記憶術を持っていました。これに気づいたフランス人の宣教師クレティエン・ル・クレルク神父(Father Chretien Le Clercq 1641生)はこの象形文字を応用して構文を作成できるようにし、教育や宣教に役立てました。 ・現在は、カナダ東部ノバスコシア州、ニューブランズウィック州東部からケベック州、プリンスエドワードアイランド州の5ヵ所に保留地(Reservation)を領有し、ケベック州のガスペ半島、ニューファンドランド・ラブラドール州、そして米国(アメリカ北東部のメイン州プレスクアイル(Presque Isle,Maine,USA 、アルーストゥック(Ulustuk)ミクマク族)や、ニューヨーク市にも数百人が居住)など約25,000人が定住しています。 こちらで ・プリンスエドワード島 ・ガスペ半島 をお楽しみください。 参考HP〜 ・ミクマク族の居住地図(現在) ・ミクマク族の象形文字図 ・アルゴンキン語族の居住地域地図 ・セントローレンス湾付近の地図 ・プリンスエドワード島の場所地図(日本語) ・ガスペ半島の場所地図 ・カナダの地図(日本語) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 03/10/10、04/12/8、07/3/31、08/11/30、14/5/7 |