★イギリス |
ヘンリー・ウィルソン船長 1783 パラオ諸島で乗船が難破 |
大航海物語★ |
アンテロ|プ号 |
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Pitcairn Islands 18世紀のイギリス帆船 ピトケーン 1998/5/28 発行 |
FIJI 太平洋と世界地図 フィジー 1977/4/12 発行 |
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アンテロ|プ号 | パラオ諸島に接近 Approaching Pelew |
ウーロン島に上陸 Camp of Ulong |
友好的な現地人の王族 | |||
アバ・スル王 King Abba Thulle |
リー・ブー王子 Prince Lee Boo |
ルディー姫 Ludee |
アンテロ|プ号 |
ウィルソン船長はイギリス東インド会社の帆船に乗組んで、東インドへの航海に従事していましたが、1783年に嵐で太平洋を南へと流され、パラオ諸島付近に到達。同諸島のウーロン島沖のサンゴ礁で乗船が座礁しましたので、ウーロン島に上陸して島の現地人と友好的に交流し、パラオ諸島を探検しました。 |
ヘンリー・ウィルソン船長 Captain Henry Wilson ヘンリー・ウィルソン船長はイギリス東インド会社(British East India Company)の帆船に乗組んでいた船長でした。アンテロープ号はイギリス東インド会社の初期パケット船(packet ship:郵便船)で、東インド航路に就航していましたが、ウィルソン船長が1783年に船長として乗組み、イギリスを東インドへと出帆しました。 ウィルソン船長の大航海:〜嵐でパラオ諸島(Palau Islands)の ・ウーロン島(Ulong Island)沖のサンゴ礁にアンテロープ号が座礁して、同島と ・コノール島(Koror Island)、 ・最大の島(Babeltaobu Island、バベルタオフ島)、 などを6ヵ月間に渡って探検。 ウィルソン船長が乗船していたイギリスの東インド会社帆船アンテロープ号(packet ship Antelope)が、1783/7/9に中国のマカオからイギリスに向かう途中、嵐によって太平洋を南へ流され漂流し、1783/8/10にパラオ諸島(Palau)コノール島(Koror)近くのウーロン島(Ulong)沖サンゴ礁(reef)に流れ着き座礁、沈没しました。大砲とナイフとマスケット銃(guns、knives、muskets)で武装して上陸し、パラオ諸島に上陸した最初のヨーロッパ人となりましたが、ウーロン島の現地人は友好的でした。 当時のパラオ諸島は北部地域(Northern federation)の族長レクライ王(High Chief Reklai)と西部地域(Western federation)の族長イブダル王(High Chief Ibedul)が互いに反目して戦っていました。そこに上陸して来た武装イギリス人のウィルソン船長達と西部地域島民との交流が続き、森から伐採した木材で大型カヌーを建造して大砲を搭載し、西部地域の防衛戦に成功しました。 ウィルソン船長は6ヵ月間に渡ってパラオ諸島に滞在して探検した後に、森から伐採した木材で大型ボートのアンテロープ号を建造して出帆、マカオに戻りました。その時に、コノール島のイブダル王の要請で、王子のリー・ブー(Prince Lee Boo)をイギリスで教育させることになり、大型ボートのアンテロープ号でイギリスに連れて行きましたが、天然痘(smallpox)にかかって、パラオに戻ることもなくイギリスで亡くなりました。 パラオ諸島はウィルソン船長達との交流がきっかけとなって、イギリス社会との関係を始めることになりましたが、スペインは「最初に発見したのはスペインである」と、抗議してきました。ウーロン島内にはイギリスとの友好の記念碑が設置されています。 参考HP:〜 ・パラオ諸島の場所地図 ・ウーロン島の場所地図(パラオ政府観光局公式HP) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 11/1/11 |