★ポルトガル ジル・エアネス
1434
"ボジャドール岬”突破
大航海物語★


ポルトガル 1945/1/29 発行

ボジャドール岬

ブランコ岬→


ヴェルデ岬→

シェラレオーネ
アフリカ大陸

ジル・エアネス
 Gil Eanes
 (生年没年不詳)
エアンネスはエンリケ航海王子の馬屋係りをしていましたが、1433年王子の命により、カナリア諸島から南へ240kmのボジャドール岬を越えてその向こうを探検せよ」とバルカ船の司令官に任命されてギニア方面へ向けての航海に出帆しましたところが当時の船乗りの常識はボジャドール岬 より先は海が煮えたぎっていて,、岬を越えると生きては帰れない」というものだったので、岬より北まで航海して引き返してしまい、 ポルトガルから南西1300kmのカナリア諸島方面の探検航海や、スペイン南部のイスラム 教国”グラナダ”の海岸を攻撃してポルトガルに帰ってきました。そして岬の先の恐怖を王子にくどくどと報告したと伝えられています。 エンリケ王子は忍耐強い人だったので、その失敗を許し、グラナダ海岸攻撃には十分に報いたといわれています。これを聞いた船乗り達の恩賞目当てのグラナダ海岸攻撃が盛んになったそうです。

翌年の1434年に王子は2度目の ボジャドール岬の先への航海を命じ、カラヴェル船をエアンネスに与え、パリネル船のバルダイアを随伴させました。今度は岬を回って320kmの地点に到達、 ボジャドール岬突破に成功し、上陸して「聖母マリアのバラ」を採取して持ち帰りました。バラを王子に献上し、ナイトに叙せられました。こうしてエアンネスは ポルトガル人として初めて岬を越えた人物となりました。歴史では目立たちませんが当時とすれば、それは恐ろしい未知の海に乗り出した記念すべき第一歩ですね。 エアンネスは”真っ赤な灼熱地獄の海”が「サハラの赤い砂で濁った海」であり、”煮えたぎっている海”が「大きなボラの群れ」で、”海の果てで海が奈落の底に落ち込む 所”が「切り立った断崖が海に落ち込んで」いたと報告したと伝えられています。こうして岬の先も普通の海である事がわかったわけです。

1435年王子の命で、バルダイアと共にリオ・デ・オーロ(黄金河の意で、ボジャドール岬とブランコ岬の中間付近)に向けて航海。 ボジャドール岬から280km南下してガーネット湾(北緯25度)に到達。ボートで上陸して人間とラクダの足跡を発見し帰港後、王子へ報告。王子はその近くに住民がいることを 確信し、さらに先へと探検航海することを決意したと伝えられています。
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Nicky
無断転載禁止