Spain

国連 1988 発行
切手で綴る スペインの大航海 (Adventure Voyage)太平洋探検(V1-1
サァヴェドラ
1527
ロサイア探検隊の捜索

大航海物語
 スペイン編

NORFOLK ISLAND
サァヴェドラとフロリダ号
Savedra & Florida

1527〜29の太平洋航海地図

ノーフォーク 1994 発行
MARSHAL ISLANDS
エニウェトック島

ーシャル諸島 1984-85 発行

ロアイサ探検隊の生存者を探しに1527年メキシコを出帆し、モルッカ諸島で生存者を発見しましたが何度も風に流され戻り、1529年マーシャル諸島を発見しエニウェトック島に上陸しましたが、何度も風に流され、メキシコには戻れずに海上で亡くなりました。

アルヴァロ・ド・サァヴェドラ
 Alvaro de Saavedra(生年不詳〜1529頃)
サァヴェドラはスペイン人だったこと以外詳しい記録は無いようです。

1525年ガルシア・ホフレ・ド・ロアイサ(Frey Garcia Jofre de Loaysa)がフアン・セバスチャン・エルカノと共に7隻の船団でフィリピン諸島への探検航海にメキシコのアカプルコを出帆し、翌年3隻を失いエルカノは海上で亡くなって、フィリピンへ到着しました。

サーヴェドラは、このロアイサ探検隊の生存者を探すべく、1527年フロリダ号に乗船してメキシコのアカプルコを出帆し、太平洋を横断。モルッカ諸島に到達して、数名の生存者を発見しました。翌年メキシコへ戻ろうと反転しましたが、北東貿易風のためモルッカへ戻されてしまいました。

1529年に再びモルッカ諸島を離れ、ニューギニアの北岸沿いに進みました。アドミラルティ諸島とマーシャル諸島の島々付近を通過してエニウェトック島へ上陸しました。その後またもや、風のためモルッカの方向に吹き戻されてしまい、海上で亡くなりました。

参考HP〜
サァヴェドラの太平洋の航海地図(探検航海1527-1529)   2008/11/11追記、

・別説:〜
アルバロ・ド・サーベドラ・イ・セロン
 (Alvaro de Saavedra y Seron, 生年不詳〜1529?)
彼の正確な出生地と生年月日は不明ですが、彼が15世紀後半または16世紀初頭に生まれ、エルナン・コルテスの従兄弟だったことが知られているので、スペイン南西部エストラマドゥラ州の出身だと考えられています。1526年に一時帰国していたコレテスに同行して、ニュースペイン(現メキシコ)へ渡りました。

1527年、エルナン・コルテスはロアイサ(Frey Garcia Jofre de Loaysa, 1490カスティーリャラマンチャ州(#8)シウダーレアル生〜1526/7/30太平洋没)探検船隊の行方不明の船隊を捜索するための新たな遠征隊を準備し、従兄弟のアルバロにその指揮を任せました。 しかし、遠征の真の目的は南洋(太平洋)に新たな土地を見つけ、香辛料の植物を持ち帰ることでした。なお、1527年にコルテスはマゼランが乗船してフィリピンへ航海したトリニダード号の探索と、太平洋で新たな土地を発見するために遠征隊を組織し、その指揮を従兄弟のサアベドラに任せたとの説も有。

1527/10/31、サアベドラはラ・フロリダ号(La Florida)、エスピリトゥ・サント号(Espiritu Santo)、サンティアゴ号(Santiago)の3隻の船隊で、メキシコのゲレ-ロ州(#11)ジワタネホ(Zihuatanejo, Guerrero)から太平洋に向けて出帆しました。

サアベドラの遠征隊は南太平洋をを通るルートで横断し、1527/11/28にハワイ諸島を発見し、ハワイの経度に近い北の陸地を発見しましたが、2 日間の捜索の後再び発見されませんでした。ハワイの古い口頭記録には、何世代も前に島に到着してカメハメハ1世の甥ワカラナ酋長(Wakalana、1819没)に迎えられた白人が描かれています。これらの訪問者は、サアベドラの乗組員であった可能性があります。こうしてスペインの探検船隊がハワイ諸島に到着したのは、1778年にイギリスのクック船長が初めて訪れたと記録されている2世紀前のことでした。スペインのガレオン船はハワイの南を通るルートで太平洋を横断してマニラに向かいました。正確な航路(ウルダネーダ・ルート)は、他国との競争でスペインの貿易独占を保護するために秘密にされていました。

サアベドラの遠征隊は南海を渡り、ニューギニアの北海岸に沿って航海し、イスラ・デ・オロ(Islas de Oro:英Golden Islands:黄金諸島)と名付けるも、1528/10/3にモルッカ諸島に到着したのはラ・フロリダ号1隻だけでした。1528/3/27にラ・フロリダ号はサアベドラの指揮下でモルッカ諸島ティドレ島に到着し、そこでロアイサ遠征隊と遭遇しました。

1528/6/14にラ・フロリダ号は60キンタル(quintal, 6,000kgs)のクローブを積んでニュースペインへ向けて出帆するも、北東からの貿易風に迂回され、モルッカ諸島に戻され、1528/11/19にティドレに到着しました。しばらくの後、サアベドラは帰還を試みましたが、さらに南に流されてしまいました。彼は太平洋で知られていた数少ない島の一つ、ニューギニアの海岸に戻り、原住民から水と食料を得た後、北東へ向かいマーシャル諸島とアドミラルティ諸島を発見しました。エニウェトクの小さな島に上陸したサアベドラは、東へ航海を続けましたが、再び強風に遭遇し、モルッカ諸島へ3度目の到着を果たしました。1529/5/3に再びニュースペインへの帰還を試みた際、嵐に遭い、引き返さざるを得なくなりました。その途中でサアベドラは亡くなりました。

サアベドラが亡くなった後、ペドロ・ラソ(Pedro Lazo)が指揮を引き継ぎました。彼らは北緯31度に達しましたが、偏西風が吹かなかったため、ペドロ・ラソの没後、モルッカ諸島への帰還を決定し、1529/12/8にティドレからモルッカ諸島で最大のハルマヘラ島に到着しました。そこで彼らはポルトガル人に捕らえられ、5年間監禁されました。1534年には、ラ・フロリダ号の生存者8人がスペインへ帰国しました。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    令和7年 2025/6/25
スタンプ・メイツ
Copyright(C):Nicky
無断転載禁止