大航海物語 | United Kingdom 国連 1983 発行 |
切手で綴る 海戦大航海(Naval Battle Voyages)
ポルト・プラヤの海戦 1781 カーボベルデ諸島沖 アメリカ独立戦争 ★イギリス VS フランス★ |
France 国連 1980 発行 |
海戦編 | 参考資料 |
JERSEY ドーベルニュ艦長 英領ジャージー 1976/5/29 発行 |
REPUBLIQUE FRANCAIES サフレン提督と インド方面航海図 フランス 1988/2/20 発行 |
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Gibraltar イギリスの戦艦 ジブラルタル 2007 発行 |
MARSHALL ISLANDS フランス艦隊、74門艦 マーシャル諸島 1998 発行 |
・ポルト・プラヤの海戦 (Sea Battle of Porto Praya, 1781/4/16) 戦場:カーボベルデ諸島ソタヴェント諸島サンティアゴ島プライア港沖、引き分け(Tactical draw) (Off Praia Port, Santiago Island, Sotavento Islands, Portuguese Colony of Cape Verde) 1781/3月にドーヴェルニュ大尉はラーク号で、フランスに組みした喜望峰のオランダを攻撃・占領する艦隊の指揮官ジョージ・ジョンストン代将(Commodore George Johnstone 1730-1787)指揮の艦隊と共に喜望峰へと出帆。1781/4/16にポルトガル領カーボベルデ諸島の首都で南部のソタヴェント諸島にあるサンティアゴ島プライア港(Porto Praya, Santiago island)に飲料水と新鮮な食糧を補給するため寄港しました。そこへオランダの希望峰から仏領インドへ向うフランス艦隊が到着して、ポルト・プラヤの海戦が勃発しました。そして激戦の末に、英艦隊が追撃を中止したので、仏艦隊は喜望峰に先着して、オランダに危急を告げることができました。イギリス艦隊は喜望峰に部隊を上陸させることは出来ませんでしたが、オランダの東インド航路船(Dutch East Indiamen)5隻を捕獲して、主力艦隊は帰国の途につきました。
4/16にフランス艦隊が到着して、イギリス艦隊を攻撃しました。戦果は互角でしたが、サフレン提督は喜望峰に向かうジョンストン提督艦隊に打撃を与えました。またオランダ側に警告を与えることができたので、戦略的にはフランスの勝利となりました。 サフレン提督は希望峰に警告して、イル・ド・フランス(現:モーリシャス)へ向かいました。
参考HP:〜 ・カーボベルデの場所地図 ・サンチャゴ島プライヤの場所地図(赤、カーボベルデ諸島の地図) こちらで ・フィリップ・ドーヴェルニュ提督 ・ロングアイランド戦い (1776/8/22〜8/30) ・ジャージー島の戦い (Battle of Jersey 1781/1/6) ・パリ条約 (Treaty of Paris、1783) ・キブロンの戦い (Combat de Quiberon、1795/6/23-7/21) ・エリー湖の戦い (Battle of Lake Erie、1813/9/10) ・ワーテルローの戦い (Battle of Waterloo, 1815) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2013/11/2 |