★アメリカ |
ロバート・ピアリー 1909/4/6 世界最初の北極点到達 |
大航海物語★ |
USA | CANADA | |||
北極点→ グリーンランド→ |
ピアリーとハンソン ピアリーの探検地図と犬ゾリ アメリカ 1986 発行 |
. | カナダ 1981 発行 |
←ケーン水路 ←グリーンランド ←パフィン島 ←ハドソン海峡 ←ラプラドル湾 ←ラプラドル半島 |
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US POSTAGE
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Republique de Djibouti ピアリー ジプチ 2010 発行 |
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アメリカ人のピアリーは1909/4/6に世界(西洋人)最初の北極点到達を果たしました。 |
・ロバート・エドウィン・ピアリー (1856/5/6〜1920/2/20) Robert Edwin Peary ピアリーはアメリカの極地探検家で、1909/4/6に西洋人初の北極点(地理学上)到達を達成しました。ただ、現地住民のイヌイットやエスキモーははるか昔からこの領域で活動していたといわれています。彼はアメリカのピッツバーグの東80マイルにあるペンシルバニア州クレソン(Cresson, Pennsylvania)で生まれ、メーン州に引っ越して、ポートランド高校からボードウィン大学(Bowdoin College)を卒業しました。 1881/10/26(25才)、アメリカ海軍に妻のジョセフィン(Josephine Diebitsch Peary)と2人の子供メアリーとロバート・ジュニアー(Marie Peary and Robert Edwin Peary, Jr)を連れて市民技術軍団(Civil Engineer Corps)に士官として入隊しました。極地探検には仲間のイヌイット族のマシュー・ハンソン(Matthew Henson、1866-1955)をパートナーとして、時には妻を連れていきました。
この探検から帰還後、元の仲間であるフレデリック・クック (Frederick Cook) が、「自分は1908/4/21にすでに北極点に到達していた」と主張。調査委員会が設けられましたが、結局クックの訴えは退けられ詐欺罪で収監となり、ピアリーが最初の北極点到達者と認定されました。現在では、ピアリーが証人を買収していたことがわかっていますが、実際にクックは北極点の数百キロ手前までしか到達していなかったといわれています。 また、後の詳しい測量により、ピアリーらが北極点だとしていた地点は正確には北緯89度57分(北極点から約6kmの地点)でした。また、ナビゲーションの技術を持つ者がいなかったにもかかわらず旅程が不自然に順調であることなどから、到達そのものを疑問視する説もあります。 ピアリーはワシントンDCで66才で亡くなりアーリントン墓地に葬られました。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/1/20、09/6/16、13/11/11、2017/3/11 |