極地探検(Arctic Expedition)
★デンマーク
クヌート・ラスムッセン博士
1902
グリーンランド島探検

大航海物語★
GREENLAND
イヌイット族の隊員 ラスムッセン最初のグリーンランド島探検(1902-1904) ラスムッセンの探検航海地図

中央はアパット島(Appat Island)別名サンダース島(Saunders Island)の居住地
1903 ラスムッセンのグリーンランド島探検100年記念 2003

デンマーク領グリーンランド 2003/3/12 発行
グリ|ンランド島
CANADA



白い所はグリーンランド島→
ISLAND

アイスランド 1962/11/20 発行



←ノールウェイ
アラスカ


カナダ


U
S
A
中央がハドソン

カナダ 1981/6/30 発行
ケーン水路

グリーンランド


←パフィン島
プロビジャー
←ハドソン海峡
←ラプラドル湾
ラプラドル半島
ニューファンドランド島

←ケベック
ユトランド半島 DANMARK
デンマークの地図

デンマーク 1995/5/16 発行







ラン島
USA Post Office
エスキモー

USA 1908 発行
カナダ北極の島々
中央の白い所

グリ|ンランド島
カナダ 1980/1/23 発行

グリーンランド生れのラスムッセン博士はグリーンランド北極探検家、人類学者で、エスキモーの父と呼ばれ、デンマークからグリーンランドにかけてのカナダ・イヌイットの中でよく知られて、北極の北西航路を大西洋からアラスカの太平洋岸まで犬ゾリで最初に横断しました。
・クヌート・ヨハン・ヴィクトール・ラスムッセン名誉博士 (1879/6/7〜1933/12/21)
 Honorary Dr. Knud Johan Victor Rasmussen

  別名:エスキモー学の父(Father of Eskimology)
  デンマーク人グリーンランド北極探検家(Danish polar explorer)、人類学者(anthropologist)
  生地:グリーンランド西岸中部のイルリサット
  没地:コペンハーゲン、肺炎で54才没
クヌート・ラスムッセン博士はデンマークの教区牧師(Danish missionary:宣教師)クリスチャン・ラスムッセン(vicar Christian Rasmussen)の子供として、グリーンランド島(Greenland、カラーリット・ヌナート:Kalaallit Nunaat=人の島)西岸中部のイルリサット(Ilulissat, Greenland、デンマーク名ヤコブスハブン:Jakobshavn)で生まれました。ラスムッセン博士の母ソフィー(Sofie Rasmussen、旧姓フライシャー:Fleicher)はイヌイット族(Inuit、エスキモー:Eskimo)の女性で、2人の兄弟姉妹があり、その一人がピーター・リム(Peter Lim. Rasmussen)でした。幼い頃にグリーンランドのイヌイット族カラリット(Kalaallit) のなかで暮らして、彼らの言葉や風習、狩りの方法や、犬ぞりの使い方、厳しい季候のなかでの暮らし方を荒涼たるグリーンランドの原野で自然に身につけました。学業はデンマーク北ジーランドのシェラン島(island of Zealand:Sjalland)北部の街リンゲ(Lynge)で教育をけました。20才頃の2年間(1898-1900)は俳優やオペラ歌手を目指しましたが大成しませんでした。

ラスムッセンの冒険:〜大航海と犬ゾリ探検
・1902-1904、デンマーク・リテラリー探検隊(Danish Literary Expedition)
・1910、ツーレ貿易基地(Thule Trading Station)設立、グリーンランドのケープ・ヨーク
※犬ゾリ探検:〜1912-1933、7回
・第1回(1st Thule Expedition 1912)、ピアリーランドとグリーンランドとの海峡調査
・第2回(2nd Thule Expedition 1916-1918)、7人のチーム
・第3回(3rd Thule Expedition 1919)、アムンセンに協力するグリーンランド東部の探検
・第4回(4th Thule Expedition 1919-1920)、エスキモーの人種的起源探究
・第5回(5th Thule Expedition 1921-1924)、16ヵ月で犬ゾリ北西航路横断を達成
・第6回(6th Thule Expedition 1931)、グリーンランド東部「赤毛のエイリーク・ランド」調査
・第7回(7th Thule Expedition 1933)、グリーンランド東部の調査でキビヤック食中毒で帰国

1902〜1904年にデンマーク・リテラリー探検隊(Danish Literary Expedition to Greenland)と呼ばれる探検旅行をグリーンランド南端部から東部海岸沿いに北西端のツーレ迄大航海。同行者のヨルゲン・ブロンランド(Jorgen Bronlund 1877-1907, educator, catechist, 2 Arctic expeditions)カキテスト(catechist:教理指導者)で宗教調査担当、ハラルド・モルトケ(Harald Moltke 1871-1960, draughtsman, 4 Arctic expeditions)スケッチ、ルドヴィク・ミュリウス-エリクセン(Ludvig Mylius-Erichsen 1872-1907, author, ethnologist, explorer)民俗学調査、と行い、イヌイットの文化を調査しました。帰国後、講演旅行を行い、1908年にイヌイット族の風俗をまとめた旅行記「極北の人々」(The People of the Polar North)を出版。同年、ダグマー・アンデルセン(Dagmar Andersen)と結婚しました。

1910年に友人の ピーター・フロイヘン(Lorenz Peter Elfred Freuchen 1886-1957,Danish explorer, author, journalist, anthropologist)とバフィン湾(Baffin Bay)北方のグリーンランド北西部にあるケープ・ヨーク(Cape York)にツーレ貿易基地(Thule Trading Station)を設立し、そこが7回にわたるラスムッセン博士の探検旅行の基地となりました。

1912年にラスムッセン博士とフロイヘンは、ピアリーランドがグリーンランドと海峡で隔てられているというアメリカ人探検家ロバート・ピアリーの主張が正しいかを確かめるために史上初の探検をしました。内陸の氷地帯を1,000kmも探検し、ピアリーランドが半島であることを証明して英国王立地理学会(Royal Geographical Society)の会長クレメンツ・マーカム卿(Sir Clements Robert Markham 1830-1916)から、「犬ゾリでなされた最も優れた業績」と賞賛されました。この探検についてフロイヘンは「ベイグラントバイキング・私の人生と冒険」(Vagrant Viking 1953)と、「私はラスムッセンと航 マーカム会長

イギリス南極地方 1980 発行
海した」(I Sailed with Rasmussen 1958、フロイヘン自身の物語)の2冊の探検記を出版しました。

第2回目の探検は其れまで人跡未踏だったグリーンランド北海岸部の地理情報を求めて7人のチームで、1916〜1918年の間に実施しました。その探検ではラスムッセン博士の探検の中で唯一、2人の犠牲者を出してしまい、その記録は1921年に「北極海からのグリーンランド探検」(Greenland by the Polar Sea)として出版しました。。

第3回目の探検は1919年にロアルド・アムンセンに協力するため実施。第4回目の探検は1919〜1920年にかけてグリーンランド東部を探検し、アンマサリク(Angmagssalik、グリーンランド南東部にある町、現:タシーラク(Tasiilaq)人口:2,017人2013年)の近くの民俗学的資料を収集しました。

第5回目の探検はエスキモーの人種的起源を探究するために、1921〜1924年の間に実施して民族学、考古学、生物学的資料を収集しました。それは現在デンマークの博物館に展示されています。1946年に10巻からなる「第5回ツーレ探検記」(The Fifth Thule Expedition 1921-1924)を出版。探検隊はカナダ東部北極圏で、標本の収集やインタビュー、発掘を行いました。

・北西航路横断
その探検で、ラスムッセン博士はチームを離れ16ヵ月に渡って、2人のイヌイット猟師と犬ゾリで大西洋側から、太平洋側のアラスカ・ノーム(Nome, Alaska)まで北アメリカを横断して、犬ゾリによる最初の北西航路横断を達成。さらにロシアに渡ろうとす
カナダ北極の島々
るも、ヴィザがとれずに断念し、その旅行記を「アメリカ北極横断記」(Across Arctic America 1927)にまとめ、「犬ゾリ大旅行」(Great Sled Journey)と呼ばれました。それは2006年にカナダで「ラスムッセンの北極探検」(The Journals of Knud Rasmussen)として映画化されました。

・その後
7年間はグリーンランドとデンマークの間を旅し、講演と執筆を行ました。1931年に6回目の探検(The Sixth Thule Expedition 1931)でグリーンランドの東部の調査を行いました。其処は「赤毛のエイリーク(Erik the Red 950-1003)・ランド」(Erik the Red's Land)としてノルウェーが1931〜1933年の間に占領してデンマークと領有を争うも、現在はデンマーク領。

1933年に7回目の探検(The Seventh Thule Expedition 1933)は前回に引き続きツーレ地方で実施しました。ところが、グリーンランドのカラーリット族などのエスキモー民族が海鳥(ウミスズメ類)をアザラシの中に詰めこみ、地中に長期間埋めて作った伝統的な漬物の一種・発酵食品のキビヤック(Kiviak)で食中毒になった後に帰国して、コペンハーゲンで急性肺炎(Pneumonia)で1933/12/21に亡くなりました。

1912年にアメリカ地理学協会(American Geographical Society)からデイリー・メダル(Daly Medal)を受賞して、名誉会員となり「名誉フェロー称号」(Honorary Fellowship)を授与されました。1924年にはコペンハーゲン大学(University of Copenhagen)から名誉博士号(Honorary Doctorship)を与えられました。

こちらで アルフレート・ヴェゲナー博士 をお楽しみください。

参考HP:〜
イヌイット族の分布地図
赤毛エイリーク・ランドの場所地図
アパット島の場所地図(グリーンランド島西部”uummannaq fjord”)
グリーンランド”uummannaq fjord”の場所地図(グリーンランド島西部、イルリサット有)
グリーンランド島の地図(グリーンランド島付近の地図)
グリーンランド島の場所地図(Thule、Nuuk有)
デンマークの地図(日本語)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     14/2/20、2017/2/25
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