フラム号(4)
★ノールウェイ
アムンゼン
1911/12/14
南極探検、南極点到達
大航海物語★

GUINEーBISSAU
南極探検



北極探検






アムンゼン
ギニア・ビサウ 2007 発行

NORGE
アムンゼンの南極点到達50年記念
フラム号、犬ぞり、アムンゼン
南極点到達、ノールウェイ国旗とテント
ノールウェイ 1961/11/10 発行

Australian Antarctic Territory 南極条約 10周年 記念
フラム号 S.S.Fram

オーストラリア南極地方 1974-81 発行
(赤丸)
ウェッデル海

南極半島






南極点

ロス海
(赤丸)
アメリカ 1971 発行 (200%) US

ノルウェーで海運業を営む家系に生まれたアムンゼンは、1888年のフリチョフ・ナンセングリーンランド横断に感動し、探検家としての志を固めたといわれていて、1911年に人類初の南極点(南緯 90°00′)到達に成功しました。
・ロアルド・エンゲルバーガー・グラヴニン・アムンゼン
 (Roald Engelbregt Gravning Amundsen (1872/7/16〜1928/6/18)

アムンゼンはノールウェイの首都オスロ(Oslo)に近く、またエストフォル県フレドリクスタ(Fredrikstad, Ostfold county)近くのヌールラン県ボージ(Borge, Nordland county, Norway)で生れました。父は船主で船長で海運業を営んでいました。1888年に16才で、ナンセン(Fridtjof Nansen 1861-1930)がグリーンランド横断に成功したことを聞いて、大いに感動し南極探検を決心しました。

1897〜1899年に27才でベルギーのジェルラッシ南極探検隊ベルジカ号の副長として参加しました。この探検で船による越冬の貴重な経験をつみました。1903年には北西航路の探検を48トンのスループ船ヨーア号(Gjoa, 7m, 45t, 1872-1906)で6人のクルーで実行し、北極圏を探検して、カナダのヌナブト准州などを訪れて、現地人から犬ぞりを学んで、1906年までこの方面を探検しました。

1903年にアムンセンは北西航路探検航海を行ってキングウィリアム島の海氷で先に進めなくなり、島の南西海岸に22ヵ月間滞在しました。

・アムンセンの北西航路航海:〜成功
海路による北西航路の横断は、結局1906年までなされませんでした。1903年にノルウェーの探検家ロアール・アムンセンは、探検活動をやめさせようとする債権者から逃げるようにして、47トンの鋼製狩猟船ヨーア号(Gjoa、47 ton sloop steel seal hunting vessel Rosendal, Norway, 1872)で大西洋から北西航路へ進入。3年後に北極諸島を横断してアラスカにたどり着いたアムンセンは、歩いてアラスカ州イーグルの町に入り、故国へ探検成功を伝える電報を打ちました。

彼はバフィン湾・ランカスター海峡・ジェイムズロス海峡・レイ海峡と、東から西へ向かう航路を選びました。キングウィリアム島とブーシア半島の間のレイ海峡(Rae Strait)は新しい氷が多く比較的航行可能で、この選択が成功のもとになりました。ただし水深がわずか1mと非常に浅い部分があり、ヨーア号だから航行できたものの普通の商船や軍艦での通過は不可能な航路でした。

キングウィリアム島近く(現在のヌナブト準州グジョア・ヘイヴン Gjoa Haven)で2回越冬したアムンゼンは先住民から、犬ぞりの使い方や獣皮の着方など寒帯で生き残る術を学び、これが後の南極などの探検に役立ちました。さらにビクトリア島の南を航海し1905/8/17にカナダ北極諸島を抜けボフォート海へ出ることに成功するも、アラスカ沖で流氷に閉ざされ3度目の冬を越すことになりました。彼は800kmを歩いてアラスカ州イーグルに向かい、北西航路を横断したという電報を打って船に帰りました。次の夏に氷を脱出したヨーア号はベーリング海峡を通過してアラスカ太平洋岸のノームに入港し、ついに北西航路の横断航海に成功しました。

・アムンセンの南極点到達:〜成功
当初北極点到達を目標に探検準備中でしたが、ピアリー(Robert Peary)による北極点到達(1909/4/6)の報せを知り、南極点に目標を変更しました。但し探検出資者向けには「南極点に到達したのち北極探検」とし拡大計画と称しました。イギリス海軍大佐のロバート・スコット人類初の南極点到達を競いました。3本マストの機帆船フラム号(Fram、ナンセンが使用した船)で1910年に出帆。1911/1/14にロス海棚氷(Ross Ice Shelf 南緯 81°30′西経 175°00′)の東端の鯨湾に到着し、ベースキャンプを設営しました。

1911/10/20より南極横断を開始し、1911/12/14に人類初の南極点到達に成功しました。当初スコット隊に比べて不利と思われていたアムンゼンが先に到着したのは、アムンゼン隊が寒さに強い犬ぞリや、軽くて防寒性に優れた毛皮服を採用したためだといわれています。また、犬は食料としても重要でした。

帰国後も飛行船で北極点通過を行い人類初の両極点到達など精力的に活動しましたが、1928年に北極を飛行機で探検中に遭難した、飛行船によるイタリア探検隊のノビレ隊の捜索におもむき行方不明となり、46才で不帰の客となりました。

・キングウィリアム島
 (King William Island, Kitikmeot Region, Nunavut, Canada)
 カナダのヌナブト準州キティクメオト地域の北極諸島(Canadian Arctic Archipelago)の島
キングウィリアム島は1830年にスコットランド人の北極探検家ジョン・ロスが当時のイギリス国王ウィリアム4世(1830-1837)の名前をこの島に付けたカナダのヌナブト準州内キティクメォト地方(Kitikmeot Region)に属する島で、面積は13,111ku。人口は960人(2001)。1847年にイギリスの北極探検家ジョン・フランクリン(フランクリン遠征隊)がキングウィリアム島の付近で亡くなりました。東にはジェイムズロス海峡とラエ海峡を挟んでブーシア半島があり、西にはヴィクトリア海峡の向こうにヴィクトリア島があり、南には幅3km程度のシンプソン海峡を挟んでアデレード半島があり、南西にはクイーンモード湾がありますが、この場所には現在は島唯一の集落グジョーア・ヘブン(Gjoa Haven, Nunavut, Canada)があります。 印:キングウィリアム島

カナダ 1981/6/30 発行

参考HP:〜
フラム号の写真
キングウィリアム島の場所地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   06/11/11, 08/9/26, 18/11/12、2019/10/19
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