大航海物語 |
カンティーノ 1502、世界地図 |
参考資料 |
1502年の世界地図(トルデシリャス条約境界線を示す古地図) | |
アセンション 1994 発行 |
カーボヴェルデ 発行 |
コロンブス没後 500年 記念 スペイン 2005 発行 |
Montalbonda Fracanzno 1508 Francazano |
Waldseemuller 1513 Waldseemuller |
Waldseemuller 1516 Waldseemuller |
Laurent Fries (1490-1532) Laurent Fries |
・カンティーノ世界地図(1502年) Cantino planisphere 「カンティーノ」とはポルトガルの15世紀の大渡海時代の成果(地図)を盗むべくイタリアのフェラーラ公爵(Duke of Ferrara)によって派遣されたスパイの名前なので、その人物像は”アルベルト・カンチーノ”(Alberto Cantino)という名前であったと言うだけで、謎の人物なのです。彼は1502年にポルトガルからイタリアへ最新の世界地図を持ち出すことに成功しました。その地図は彼の名を冠して”カンティーノ世界図(Cantino planisphere)”と通称されますが、地図の向かって左下隅には、「インディアスの諸地方で近年発見された島々への航海のための海図」と書かれていました。その盗写時期は、1502/9月中旬から10月中旬までの1ヵ月間と推定され、その年中にイタリイに持ち出されました。 このカンティーノ図は1502年にポルトガルで製作されたものですが,ジョアン2世の秘密主義により,15世紀にポルトガルで製作された世界図は、1755年にポルトガルのリスボンを襲った大地震と大火によって、ポルトガル王室秘匿の地図類はすべて灰燼に帰し無くなりましたが、 皮肉にもこの盗写図だけがポルトガル大渡海時代のクライマックスを伝える唯一の地図となってしまい、現存しているのです。現存する世界図としては,このカンティーノ図がポルトガル最古の地図ということになり、重要な意味合いをもった地図として,しばしば切手図案にも登場しています。 カンティーノ世界図の特徴は、 ・紀元1世紀のプトレマイオス図の最大の特質であった「インド洋の陸封」を新発見により開放 ・トルデシーリャス条約分割線の視覚化(=ポルトガル専管水域の正当性顕示)を図示 ・同分割線以東を充填するポルトガル王室旗(=インドへの道)の誇示 ・王室旗とパドランの連なる「ポルトガルの海」としての南東大西洋海域を図示、 ・ポルトガルによるキリスト教世界の拡大、 ・伝存する中近東(三日月旗に囲まれたエルサレム、プレスター・ジョン伝説など)と ・顕現する近代(海上帝国の時代)を大コンパス・ローズでの描出 ・領域国家の時代を都市国家ヴェネツィアのローカル化の描出 ・シンボル的存在の写実・装飾的描出〜カラブルの持ち帰ったオウム、キリスト教世界の 中心エルサレム、エルミナのサン・ジョルジュ城描出の写実性、 ・コンパス・ローズの多色装飾性〜関心水域・陸域の鮮やかな彩色による強調 ・実用性については、コンパス・ローズから派出する方位線と絶対位置の確定〜その収斂中心としての最初の海外植民都市リベイラ・グランデ(ヴェルデ岬諸島)、多数の沿岸地名、地図上への各地の商業情報記載、とくに東南アジアでの特産物記載と中国のプレゼンスの強調など、 ・プトレマイオス図の革新〜 インド洋の「解放」、インド洋に突出するインド半島、スカンディナヴィア半島の描出 ・プトレマイオス図の継承〜 アフリカ南部の「月の山」、後方アジアの「黄金半島」、東遷したタプロバナ島など ・実証的態度=根拠なきものの排除〜 確認不明ないし典拠なき個所は空白のまま残す=無用な装飾・充填の排除 などが特徴となっています。 ・参考〜フェラーラ公国 ルネサンス時代に栄えたイタリア中部の都市及びその領域国家。ポー川下流域(現・エミリア・ロマーニャ州)の要衝に位置。フィレンツェとヴェネツィアという2大国に挟まれた文化国家という特徴を持っていました。 参考HP:〜カンティーノの古地図 トルデシリャス条約の古地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 |