United Kingdom ![]() 国連 1983 発行 |
切手で綴る イギリスの冒険大航海(Great Adventure Voyagee)オーストラリア(VIII-22)
ロバート・モーガン船長 1841 最初の”白檀”貿易船、 ”カムデン号” ビャクダン デューク・オブ・ヨーク号 |
大航海物語 オーストラリア編★ |
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NOUVELLE-CALEDONIE カムデン号 と モーガン船長 ![]() LES PREMIERS SAN TALIERS 1841 白檀商船150年記念 1991 ニューカレドニア 1991/10/23 発行 |
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FIJI 太平洋と世界地図 ![]() フィジー 1977/4/12 発行 |
コルヴェット艦アルクメン号![]() ニューカレドニア 2002/6/13 発行 |
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| ロバート・クラーク・モーガン船長 Robert Clark Morgan (1798/3/13-1864/9/23) 生地:イギリスのケント州デプトフォード (Deptford, Kent, England, #1B23) 没地:サウスヤラ、メルボルン、オーストラリア (South Yarra, Victoria, Australia, #CVIC)66才没 モーガン船長はイングランドのケント州デプトフォードで生まれました。1809年11才で孤児となり、イギリス海軍に入隊し、1814年ナポレオン戦争(1792〜1815)末期にイギリス海軍を退役しました。1816年にはメソジスト教会に通っていました。 その後、ロンドンを拠点とする捕鯨船フェニックス号の見習い(Apprentice)で働き始めました。1822年に大ロンドン市グリニッジ(#80)のメアリー・ドリントン(Mary Dorrington, 1801頃-1866,ビクトリア州サウスヤラ64才没)と結婚しました。1826年にフェニックス号の一等航海士(First Mate)となり、その後、南海捕鯨船サー・チャールズ・プライス号の航海長、そしてリカバリー号の船長になりました。 1828年に南オーストラリア会社所有のデューク・オブ・ヨーク号の船長に任命され、最初の移民をその地域に運びました。1828/12月にデューク・オブ・ヨーク号の船長として出帆する10日前に、リバイバル教会礼拝集会(Revivalist church)に偶然出会い、宗教に目覚め、熱心なウェスレアン信者(Wesleyan)になりました。1834年にニューヘブリデス諸島(バヌアツ)やニューカレドニア島で布教して、ロンドンへ帰るロンドン宣教師協会のジョン・ウィリアムズ牧師を乗せて、ロンドン港に戻りました。1836/2月にデューク・オブ・ヨーク号は乗客42人と乗組員を乗せてロンドンを出帆し、5ヵ月後にオーストラリアに到着しました。 1838/2/6、シドニーから帰国してロンドンに戻ると、3日後にロンドン宣教師協会の書記を訪ね、宣教師船カムデン号の指揮を執れるかどうかを尋ねました。1838/2/10に妻メアリーと共にサモアへ戻ろうとしていたロンドン宣教師協会のジョン・ウィリアムズ牧師に会いました。そしてカムデン号(Camden, 1838-1843)の船長で、ジョン・ウィリアムズ牧師をサモアへ送りました。その後の、1838/4月〜1843/7月の間、カムデン号で太平洋を航海しました。1839/11/20、エロマンガ島(バヌアツ)でジョン・ウィリアムズ牧師とジェームズ・ハリスが島民に殺害され食べられた時に共にいました。 1841年にカムデン号に乗船して、ニューカレドニアの南東のイルデパン島(L'Ile-des-Pins)に寄港しました。そして、白檀(ビャクダン)を船一杯に満載に積み込んで、ヨーロッパへと持ち帰りました。これでモーガン船長はニューカレドニアでの最初の白檀商船の船長となりました。 1839年ロンドン宣教師協会は、ウィリアムズ牧師の活動を継続するために、全国の子どもたちに牧師の記念船を購入するために寄付を呼びかけました。そして「ジョン・ウィリアムズ」という名の宣教師船7隻が次々と購入されました。 その一隻のロンドン宣教協会ジョン・ウィリアムズ号(John Williams)の船長となり、 ・1844/06月〜1847/5月 ・1847/10月〜1850/5月 ・1851/07月〜1855/6月の3回の航海に出て、南洋諸島の宣教師たちのニーズに応えました。 宣教師協会のジョン・ウィリアムズ号で18年間勤務した後、1863年に健康状態が悪くなって、ロンドンで下船(65才)海から引退しました。1863/3/30頃ヨークシャー号でオーストラリアのメルボルン(#CVIC)へ航海。1863/6/19にメルボルンに到着。モーガン船長と妻は息子とともにメルボルン近郊のセントキルダに落ち着きました。 モーガン船長は、1864/9/23にオーストラリアのビクトリア州サウスヤラ(South Yarra, Victoria, #CVIC)にある息子の家で亡くなりました。モーガン船長の日記はニューサウスウェールズ州立図書館に所蔵されています。 ・モーガン船長の航海
@カムデン号の航海:〜太平洋 ・1838/4月〜1843/7月 Aジョン・ウィリアムズ号の航海:〜 ・1844/06月〜1847/5月 ・1847/10月〜1850/5月 ・1851/07月〜1855/6月 ※なお、イギリスのロンドンにカムデン地区(#1H69)が有。 参考:〜
・デューク・オブ・ヨーク号の南オーストラリアへの航海:〜 (Duke of York's South Australia Voyage, 1836) (1)移民航海 (Immigrant voyage, 1836/2/26-1836/7/27)は、 1836/2/24にモーガン船長の指揮のもと南オーストラリア第一艦隊の一員として、南オーストラリア会社にチャーターされたデューク・オブ・ヨーク号に乗組員26人と入植者42人合計66人を乗せて、南オーストラリア会社の最初の入植者を南オーストラリアへ運び、その後捕鯨に使えるように装備して、ロンドン中心部ロンドン塔すぐ近くセント・キャサリン・ドック(St Katharine Docks Marina, #1H59)を出港しました。悪天候のため約5週間にわたりイングランド沿岸から離れられなかったため、1836/3/19についに出帆しました。 154日間の航海を経て1836/7/27に南オーストラリア州の州都アデレードの南西112kmで、ケープ・ジャーヴィス町の13km沖にあるカンガルー島ネピアン湾(Nepean Bay, Kangaroo Island, #BSA)に到着して錨を下ろし、上陸しました。前夜、敬虔なウェスリアン信者モーガン船長は島が姿を現したとき、乗客たちを集めて祈りの集会を開きました。上陸したとき初代植民地管理者サミュエル・スティーブンス(Colonial manager Samuel Stephens, 1808-1840)は川をモーガン川(現シグネット:Cygnet River)と名付けました。乗客のうちの1人の2才の子供がモーガン船長によって新大陸に最初に足を踏み入れたイギリス人に選ばれました。入植者たちはオーストラリア初の自由入植地であるキングスコートを設立しました。デューク・オブ・ヨーク号は、イギリスによる南オーストラリア植民地化の始まりとして、ヨーロッパ人入植者を乗せて南オーストラリアに到達した最初の開拓船でした。 (2)捕鯨航海 (Whaling voyage, 1836)は、 1836/9/20にデューク・オブ・ヨーク号は捕鯨のためカンガルー島を出帆。1836/9/27〜10/18の間タスマニア島のホバートで整備を行い、そこから南海の捕鯨場へ向かいました。1837/2/10にモーガン船長はフィジー諸島でアクティブ号(ship Active)の難破を聞き、船長ディクソン(Captain Dixon)、航海士ウィリングス(Mate Willings)、船荷監督人ウィルキー(Supercargo Wilkey)を救助して乗せました。 (・)難破 (Shipwreck, 1837)は、 デューク・オブ・ヨーク号はクイーンズランド沿岸を捕鯨で北上中に、1837/7/14にクイーンズランド州ポートカーティス沖(現グラッドストーン近く)で難破しました。乗組員26人全員が3隻のボートに乗り込み、漕ぎながら約483km航海し、非常に困難な時間を経て1837/8/26にブリスベンに到着しました。下船途中、ボートが水を求めて入港したとき、先住民アボリジニがバーキング・エセックス(Barking Essex, #1A10)出身のイギリス人乗組員ジョージ・グランスフォード(George Glansford)と、ロツマ島(Rotumah, Fuiji)出身の少年ボブ(Bob)を殺害しました。そしてブリスベンから約23km離れたモートン湾(Morton Bay)に到着し、蒸気船ジェームズ・ワット(steamer James Watt)がモーガン船長、ボブ・ラッセル(Mate Bob Russell)副船長、そして19人の生存者をシドニー(#ANSW)へと運びました。残り5人は別の船でシドニーに到達しました。 ・南オーストラリア第一艦隊(1836) 1836年にイギリスから南オーストラリア第一艦隊9隻が新しい植民地に到着。
・白檀(ビャクダン) Sandalwood(サンダルウッド) 白檀は香木の一種で、ビャクダン科の半寄生の熱帯性常緑樹。 原産地はインドネシア東部といわれています。インドでは古くから栽培され、紀元前5世紀頃にはすでに高貴な香木として使われていました。白檀の英語名サンダル(sandal)の名はデカン高原での現地語がもとになっています。爽やかな甘い芳香が特徴です。産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く生息していますが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用はあまりありません。特にインドのマイソール地方で産出する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれています。なお、フィジー諸島でも15世紀にはサンダルウッドがありました。 参考HP:〜 ・白檀(花の写真) ・白檀(木の写真) ・イルデパン島の地図 上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2007/12/24、令和 R.8/4/26(2026) |
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