イギリス植民地諸国の地図切手




英領ギルバート諸島の地図切手
Gilbert Islands

BICENTENARY OF COOK'S DISCOVERY OF CHRISTMAS ISLAND
第3回航海・レゾリュ−ション号の航海地図
 ギルバート諸島発行 組合せ小型シート
1777 クック船長のクリスマス島発見200年記念 1977
ギルバート・エリス諸島についてはツバルの項を参照して下さい。







英領キリバスの地図切手
Kribati

←キリバス


人工衛星追跡基地

キリバスは面積は720Ku(対馬とほぼ同じ)、人口: 9.7万人(2004年)、首都:ギルバート諸島のタラワ(2.6万人)、人種:ミクロネシア系(98%)の他、若干のポリネシア系及び欧州人が居住。

1606年にスペイン人キロスが、ブタリタリ島(ギルバート諸島)を発見。1892年に英国が、ギルバート諸島、次いでエリス諸島を保護領と宣言。1916年に英国はギルバート、エリス諸島を併合して植民地としました。1939年には英国及び米国がカントン島及びエンダベリ島(フェニックス諸島)を共同統治。1941年には大日本帝国軍が、バナバ、タラワ、マキンを占領。1979年7月12日に独立してキリバス共和国となりました。







英領ツバルの地図切手
TUVALU
ツバルの首府”フナフチ”環礁 ツバルの分離記念 ツバル諸島
Nanumea
Nanumanga
Niutao
Nui
Vaitupu
Nukyfetau
FUNAFUI ATOLL
Nulaelae
Niulakita


ツバルは1568年スペインのメンダ−ニャがエリス諸島のヌイ島を発見しましたが、200年以上忘れられていました。18世紀後半に再発見され、19世紀に捕鯨船が立寄るようになりました。1877年フィジーの統治になり、1892年ギルバートと共に ギルバート・エリス英保護領、1915年には英植民地となりました。1975年ミクロネシア系と分かれてポリネシア系の「ツバル」と改名、1978/10/1独立して英連邦の一員となりました。

降水量は年3000mmで飲料水に困る事は無く、最高地点は海抜5mです。ココヤシ・バナナ・パンの木・タロイモがあり、唯一の野生動物はネズミです。ギルバート・エリス諸島の太平洋での位置関係はこちら








英領フィジーの地図切手
FIJI
フィジー諸島の地図

フィジー 1959-63 発行
ロツマ酋長夫妻とロツマ島

フィジー 1966/8/25 発行
←ロツマ島




←パンドラ号

英ジョウジ6世とフィジー諸島の地図 フィジー水道をバウンテイ号の救命ボートが通過

150th ANNIVERSARY OF ADMIRAL BLIGH
英エリザベス2世女王とフィジー諸島の地図
フィジー 1967/12/20 発行




18°
東経     178°   180° 
フィジー 1938-55 発行

フィジーは15世紀にはサンダルウッド(白檀)を産していました。1643年タスマン・1774年
キャップテン・クックによって望見されました。1874年ポリネシア人のサコンバク王が支配してましたがイギリス領となり、1879年インド人481人を移住させ、サトーの生産を始め、その後の40年間で6.3万人に達しました。1979年独立して、イギリス連邦の一員となりました。








英領ペンリンの地図切手


PENRHYN

Northern Cook Islands

ペンリン環礁の場所地図


ペンリン環礁

英エリザベスU世とペンリン環礁の地図

ペンリン 1974−75 発行


クック諸島の北方に浮かぶ ペンリン”環礁
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