Gルイ14世公妾(側室1666-1679)モンテスパン夫人(Madame de Montespan)
モンテスパン侯爵夫人(Marquise de Montespan)
フランソワーズ=アテナイス・デ・ロシュシュアール・デ・モルトマール
(Francoise-Athenais de Rochechouart de
Mortemart, 1640-1707)
名門貴族モルトゥマール公爵(Gabriel de Rochechouart
de Mortemart, Duke of Mortemart, 1600-1675)の娘で、1660年にルイ14世妃テレーズ(Marie
Therese d'Autriche, 1638-1683)の侍女。1663年にモンテスパン侯爵(Louis
Henri de Pardaillan de Gondrin, marquis de
Montespan, 1640-1691)と結婚、2女が誕生。 |
太陽王 ルイ14世
フランス 1959 発行 |
1666年に夫モンテスパン侯爵がフランス遠隔地オクシタニー地方ピレネー=オリアンタル県ルーシオン(Roussillon,
Pyrenees-Orientales department, Occitaniaregion)に駐屯していた時に、国王ルイ14世母后アンヌ・ドートリッシュの追悼ミサがあって、そこで王と知り合って、王は金髪に青い瞳の豊満な美女で快活で才気があり、優れた話術と機知と辛辣なユーモアを持った夫人に急速に惹かれて、王の寵姫になるも、王は夫人より先に側室となったヴァリエール夫人を深く愛していました。気性が激しく権力欲が強い夫人は、国王第一の寵姫にふさわしいのは自分だと思い、ヴァリエール夫人に強い競争意識を抱きました。1667年のネーデルラント継承戦争(War
of Devolution, 1667-1668)戦地のオランダ南部(フランドル地方:Flanders)に国王と同行する侍女のリストにヴァリエール夫人の名前がなく、第一の側室となりました。1669年にモンテスパン侯爵が妻の不貞を知って国王に立てつきパリから追放されて大金で離婚させられた後、同年に国王の娘が誕生すると、ルイ14世の寵愛を独占した夫人は国王第一の公妾として宮廷で絶大な権力を振るうようになるも、7人の子供をもうけ(1670-1678)、相次ぐ出産と加齢で自分でも容姿の衰えを感じていました。そこへ、1678年に王弟のオルレアン公フィリップ1世の後妻エリザベート・シャルロット妃(Elisabeth
Charlotte de Baviere, 1652-1722)の侍女マリー・デ・フォンタンジュ嬢が王の新たな側室になりました。夫人は若く美しいフォンタンジュ嬢に激しい嫉妬と脅威を感じて、黒魔術師で毒薬製造販売者ラ・ヴォワザン女史(La Voisin、1640-1680)の黒魔術の黒ミサ(Black Mass)の儀式を行いました。ところが黒ミサ事件が起こって、ラ・ヴォワザン女史が毒殺に関わったとして、1679年に女史やその他360人もの黒ミサ参加者が逮捕されて、黒ミサ事件はルイ14世治世で最大の醜聞となりました。宮廷の有力者が何人も関与していたため、警察も本格的な捜査はできず、告訴されたのは110人ほど。1680/2/20にラ・ヴォワザン女史は火刑にされました。断罪された他の者も、死刑・終身刑・流刑となりました。王は夫人の破滅は自分の王政の破滅でもあると思い、夫人の名前が特別審問会で公表されるのを恐れた結果、特別審問会を中止しました。1686年に夫人は宮廷を出て、パリのサン・ジョゼフ修道院(Saint
Joseph convent)に入り、1707/5/26に66才で病没。
ルイ14世との間に3男4女の7人が誕生、4女のフランソワーズ・デ・マリー(Francoise
Marie de Bourbon, 1677-1749)は幼いルイ15世の摂政(1715-1723)を務めたオルレアン公フィリップ2世(Philippe
II, Duke of Orleans, 1674-在位1701-1723)と結婚。
参考HP:〜
・フランスの地図
・フランドル地方の場所地図
・フランドル地方の区分地図
こちらで
・マリー・アントワネット王妃
・ポンパドゥール夫人
・デュ・バリー夫人
・マリー・レクザンスカ王妃
・マントノン夫人
・ヴァリエール夫人
・アンヌ・ドートリッシュ王妃
・フランス革命
・フランス 切手コレクションの ・イギリス皇太子ご成婚 ・切手で綴る 東海道五十三次 ・全米50州(アメリカ) ・世界で1番美しい 蝶々
世界遺産の
・フランス ・富士山 (日本) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・ピラミッド (エジプト)
をお楽しみください。
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.4/5/25(2022)
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