United Kingdom ![]() 国連 1983 発行 |
切手で綴る イギリスの冒険航海(Adventure Voyage)南極探検(VI-7)
スコット大佐 1912/1/4 南極点に到達 |
大航海物語 イギリス編★ |
スコット大佐![]() イギリス 1972 発行 (イギリスは世界最初の切手発行国なので国名表示は無) |
| AUSTRARIAN ANTARCTIC TERRITORY | |
ディスカヴァリー号![]() |
テラ・ノヴァ号![]() |
| オーストラリア南極地域 1979 発行 | |
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| BRITISH ANTARCTIC TERRITORY | ||
| 1961 ANTARCTIC TERRITORY 1981 | ||
| ウェッデル海→ 南極半島→ |
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←南極点 ←ロス海 |
| 南極条約 20周年 記念 イギリス南極地方 1975 発行地域 1981 発行 |
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スコットは1911年に、南極点の初到達競争をノールウェイのアムンゼンと繰り広げましたが、結果は南極点に到着するとノールウェイ国旗が極点に翻っていて、アムンゼンが先に到達していたことを知りました。 |
| ・ロバート・ファルコン・スコット大佐 Captain Roberto Falcon Scott RN CVO (1868/6/6〜1912/3/29頃) ロイヤル・ヴィクトリア勲章(Royal Victorian Order:CVO)受勲 イギリスのデヴォン州プリマス地区(#1@6)デヴォンポート生まれの海軍軍人(大佐)のスコットは1899/10月に勃発した第2次ボーア戦争(Anglo Zulu War, 1899/10/11-1902/5/31)の影響の下で、1900/9/13に王立地理学会(Royal Geographical Society:RGS)による南極探検隊を編成しました。 スコット大佐の大航海〜 ・第1回:〜ディスカヴァリー号探検隊、1901-1902 ・第2回:〜テラ・ノヴァ号探検隊、1910-1913 ▼第1回航海 ディスカヴァリー号探検隊のことを知った、シャックルトンが頼み込んできたので参加を許可し、1902/1月にスピッツヘッド港をディスカヴァリー号での第1回南極探検隊として出帆しました。この探検行で、シャックルトンらと共に南極点到達を目指しましたが、1902/12/31に南緯82度17分の残り733kmの地点で断念を余儀なくされました。病気によって犬ゾリの引き犬を全て失い、惨憺たる結果に終わって、1904年に帰還しました。乗船した船名から「ディスカヴァリー号探検隊」(1901-1902 Discovery Expedition)と呼ばれています。 ・ディスカバリイ号の装備:〜 RRS Discovery、1901
・ディスカヴァリイ号の南極での航海地図 ▼第2回航海 その後、スコットは前の失敗から近代装備をもって南極点到達を企て、1910/6/15にイギリスのウェールズ(Wales)カーディフ(Cardiff, #3-7)をテラ・ノヴァ号で出帆しました。そして、1912/1/4に南極点に達して、そこにノールウェイの国旗とテントが残されていて、ロアルド・アムンンゼンが1911/12/14に南極点到達に成功していたことを知ることとなりました。帰途についたスコットは近代装備が役立たず失意と疲労のうちに南緯79度40分の地点で最後のテントを張り、そこで亡くなりました。44才でした。8ヵ月後に救援隊がテントと遺体を発見しました。乗船した船名から「テラ・ノヴァ号探検隊」(1910-1913 Terra Nova Expedition)と呼ばれています。 ・テラ・ノヴァ号の装備:〜 Terra Nova 、1901
・スコットの南極探検地図(緑:スコット、赤:アムンゼン) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/11/15、令和7年 2025/12/23 |