★イギリス スコット大佐
1912/1/4
南極点に到達
大航海物語★

スコット大佐

イギリス 1972 発行
AUSTRARIAN ANTARCTIC TERRITORY
ディスカヴァリー号
テラ・ノヴァ号
オーストラリア南極地域 1979 発行
British Antarctic Territory
ウェッデル海
南極半島






南極点

ロス海

南極条約 20周年 記念
イギリス南極地域 1981 発行 (200%)

スコットは1911年に、南極点の初到達競争をノールウェイのアムンゼンと繰り広げましたが、結果は南極点に到着するとノールウェイ国旗が極点に翻っていて、アムンゼンが先に到達していたことを知りました。

・ロバート・ファルコン・スコット  (1868/6/6〜1912/3/29)
 Roberto・Falcon・Scott

イギリスのデヴォンポート生まれの海軍軍人(大佐)のスコットは1899年10月に勃発した第2次ボーア戦争(1899/10/11-1902/5/31)の影響の下で、1900/9/13王立地理学会による南極探検隊を編成しました。

スコット大佐の大航海〜
・第1回:〜ディスカヴァリー号探検隊、1901-1902
・第2回:〜テラ・ノヴァ号探検隊、1910-1913

▼第1回航海
ディスカヴァリー号探検隊のことを知った、シャックルトンが頼み込んできたので参加を許可し、1902年1月にスピッツヘッド港をディスカヴァリー号(Discovery)での第1回南極探検隊として出帆しました。この探検行で、シャックルトンらと共に南極点到達を目指しましたが、1902/12/31に南緯82度17分の残り733kmの地点で断念を余儀なくされました。病気によって犬ゾリの引き犬を全て失い、惨憺たる結果に終わって、1904年に帰還しました。乗船した船名から「ディスカヴァリー号探検隊」(1901-1902 Discovery Expedition)と呼ばれています。

・ディスカバリイ号の装備:〜
  RRS Discovery
、1901
船 型 石炭蒸気式帆船、バーク(Barque ディスカヴァリー号、1902
帆 柱 3本マスト、(蒸気式=8ノット(14.8km/h)
全 長 52m
全 幅 10m
重 量 736屯
乗組員 47人、(士官11人)
進 水 1901年、ダンディー(Dundee Scotland)
最 後 1986年最後の航海後、ダンディーで保存
参考HP:〜
 ・ディスカヴァリイ号の南極での航海地図


▼第2回航海
その後、スコットは前の失敗から近代装備をもって南極点到達を企て、1910年6月15日にイギリスのウェールズ(Wales)カーディフ(Cardiff)をテラ・ノヴァ号で出帆しました。そして、1912年1月4日に南極点に達して、そこにノールウェイの国旗とテントが残されていて、ロアルド・アムンンゼンが1911年12月14日に南極点到達に成功していたことを知ることとなりました。帰途についたスコットは近代装備が役立たず失意と疲労のうちに南緯79度40分の地点で最後のテントを張り、そこで亡くなりました。44才でした。8ヵ月後に救援隊がテントと遺体を発見しました。乗船した船名から「テラ・ノヴァ号探検隊」(1910-1913 Terra Nova Expedition)と呼ばれています。

・テラ・ノヴァ号の装備:〜
  Terra Nova
、1901
船 型 木造石炭蒸気式帆船、バーク(Barque テラ・ノヴァ号、1911
帆 柱 3本マスト、(蒸気式=140(bhp)馬力エンジン)
全 長 57m
全 幅 9.6m
重 量 764屯、最初:捕鯨船
乗組員 65人
進 水 1884年、ダンディー(Dundee Scotland)
最 後 1943年、グリーンランドで沈没
参考HP:〜
 ・スコットの南極探検地図(緑:スコット、赤:アムンゼン)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       2006/11/15
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