切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.31 日本固有の領土 |
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Japan 国連 1982 発行 |
尖閣諸島 Senkaku Islands (魚釣島) |
大航海物語 参考資料 地図編★ |
DPR KOREA 東シナ海の地図 ●の所が尖閣諸島 |
琉球郵便 尖閣諸島・南小島の 岩棚とアホウドリ
(海鳥と島) 琉球政府 1972/4/14 発行 (200%) |
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●←尖閣諸島→ ←石垣島 |
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北朝鮮 2005 発行 小型シートより |
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尖閣諸島の 夕日と島 |
尖閣諸島の サンゴ礁 |
尖閣諸島の 海鳥と島 |
海洋シリーズ・海鳥と海と島 琉球政府 1972/4/14 発行 |
・尖閣諸島(せんかくしょとう) Senkaku Islands 別名:尖閣列島(せんかくれっとう) 英名:Pinnacle Islands(ピナクル諸島) 中国での呼び名:〜釣魚島及其付属島嶼 (Diaoyu、Tiaoyu) 台湾での呼び名:〜釣魚台列嶼 (Diaoyutai、Tiaoyutai) 場所:北緯25度44分〜56分、 東経123度30分〜124度34分の海域に点在 領土紛争:尖閣諸島紛争(日本vs中国) 尖閣諸島は東シナ海南西部にある島嶼群で、石垣島北方約130km〜150kmの海域に点在しており、尖閣諸島の名は日本政府からこの島を無償貸与された実業家の古賀辰四郎(1856(安政3)-(大正7)1918)の依頼で、1900/5月に当地を調査した高知県出身の教師・黒岩恒が命名しました。島の尖っている形状と「イギリス海軍水路誌」にある"The Pinnacle Islands"の意訳に由来しています。中華民国(台湾)では「釣魚台列嶼」、中華人民共和国(中国)では「釣魚島およびその付属島嶼」と呼んで、自国領土だと主張して日本との紛争になっています。 ・魚釣島の略年表:〜 魚釣島は面積3.82kuで同諸島中で最大の島で、最高標高363m。東西3.5km、南北1.3kmで南側は断崖。島内に奈良原岳(最高峰 362m)や屏風岳(320m)の山が有。 1895/1/14、(明治28年)日本領に編入される 1896年、古賀辰四郎が政府から魚釣島、久場島、北小島、南小島の30年間無償貸与を受け 無償貸与期間終了後も、有償で貸与が続けられる 1900/5月、(明治33年)尖閣諸島を調査した高知県出身の教師・黒岩恒が尖閣諸島を命名 1919年、中国漁船が遭難、魚釣島に漂着した乗員を島民が救助すると、中華民国の駐長崎 領事が石垣村長らに「日本帝國沖縄縣八重山郡石垣村長」等との感謝状を贈呈 1932/5/20、魚釣島、久場島が古賀善次(辰四郎の子)に有償で払い下げられる 同年、北小島、南小島も有償で払い下げられる 1945/7月、石垣島から台湾への疎開船が米軍機の爆撃を受けて遭難し、魚釣島に漂着 (尖閣諸島戦時遭難事件:乗船者180人余中約80人が溺死・餓死などで死亡) 1946/2/02、北緯30度以南がアメリカ軍の軍政下に置かれる 1952/4/28、サンフランシスコ講和条約の発効により、琉球政府の施政下に入る 1953/8/1-4、琉球大学の助教授チーム13人の尖閣諸島学術調査団が、北小島で アホウドリ数羽の生息を確認するも非公式となる 1963/5/15-18、(昭和38)琉球大学の高良鉄夫教授らによる第四次調査で100万羽以上の 海鳥が生息することを確認 1960年代、尖閣諸島に大量の台湾漁民が不法操業のついでに上陸、海鳥や卵を大量に収奪 1968/7/7-9、(昭和43)第五次調査で小島のカツオドリが20万羽から1万羽、北小島の セグロアジサシは50万羽から10万羽に激減 1969年、疎開船遭難の慰霊碑建立 1970/7月、琉球政府が尖閣諸島の魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島に 入域防止のための警告板を設置 1970/12/10、九州・長崎大学合同学術調査団が北小島でクロアシアホウドリ数羽を発見 1971年、池原貞雄琉球大学教授ら琉球大学の教授チーム学術調査団が尖閣諸島北小島で クロアシアホウドリ6羽の生息を確認 1971/4/1、琉球大学の教授チーム学術調査団が南小島でアホウドリ12羽の生息を公式確認 1972/5/15、沖縄が日本本土復帰
1997/5/6、新進党の衆議院議員の西村眞悟が国会議員として初めて上陸 2000年、衛星写真の分析にてヤギの食害で、島の裸地が13.59%となる 2000/4/20、尖閣神社創建 2004/3/24、中国人活動家が上陸 2005/2月、灯台を日本国に譲渡。以後、海上保安庁により魚釣島灯台として管理され、 海図にも記載される 2006年、衛星写真の分析にてヤギの食害で、島の裸地が3割以上になっていると報告され、 固有種をはじめとする生態系への影響が懸念される 2012/1/03、日本会議・石垣市市会議員4人が国の許可を得ず約1時間30分間上陸 2012/3/02、名称が不明の離島(尖閣諸島近海の4島)の名称が決定 2012/8/15、香港の活動家グループ5人が上陸(香港活動家尖閣諸島上陸事件) 2012/8/19、日本の領土を守るため行動する議員連盟の8人の国会議員と地方議員、 「頑張れ日本!全国行動委員会」活動家ら約150人が魚釣島至近の洋上で 尖閣諸島戦時遭難事件の慰霊祭を実施する。この際、都・県・区・石垣市以 外の市議など5人と民間人5人計10人が海に飛び込み国の許可を得ず上陸、 日本国旗を掲げるなどし約1時間30分滞在(日本人活動家尖閣諸島上陸事件) 2012/9/11、日本政府は魚釣島、北小島と南小島の3島を埼玉県に所在する地権者から 20億5千万円で購入して、日本国への所有権移転登記を完了。 地質は火山性であり、岩盤がむき出しになっており、河川や湖沼といった水源がないため、農業が出来ないことから定住は無くも、明治時代に古賀辰四郎の開拓で魚釣島の西岸に鰹節工場が作られ、珊瑚礁を砕いて船着き場も建設。現在でも船着き場は空中写真で確認でき、
所属する島〜主な島と岩礁が8つ有(中国名) (面積と最高標高は沖縄県と海上自衛隊に資料が有) ・飛瀬 (とびせ、Tobi-Se) (飛礁岩、Hisho Iwa) 面積:0.01ku、最高標高:2m 石垣島北方160km、魚釣島東方1.5kmに有 ・沖の南岩 (おきのみなみいわ、Okino-minami Iwa) (南嶼、Nan Sho、沖南岩) 面積:0.01ku、最高標高:13m 石垣島北方160km、魚釣島東方7.5kmに有 ・沖の北岩 (おきのきたいわ、Okino-kita Iwa) (北嶼、Hoku Sho、沖北岩) 面積:0.05ku、最高標高:28m 石垣島北方160km、魚釣島東北方6kmに有 2つの岩礁:東の岩、西の岩からなる ・南小島 (みなみこじま、Minami Ko-Jima) (南小島) 面積:0.40ku、最高標高:149m 西表島北方160kmに有 ・北小島 (きたこじま、Kita Ko-Jima) (北小島) 面積:0.31ku、最高標高:118m 西表島北方160kmに有 ・大正島 (たいしょうとう、Taisho Toh) (赤尾嶼、Akao Sho)面積:0.06ku、最高標高:75m 石垣島北方150km、魚釣島東方103km(尖閣諸島東端)に有 ・北小島 ・久場島 (くばしま、Kuba Shima) (黄尾嶼、Kobi Sho) 面積:0.91ku、最高標高:117m 石垣島北方160km、魚釣島東北方22kmに有 ・北西小島 ・北小島 ・北東小島 ・魚釣島 (うおつりしま、Uotsuri Jima)〜(最大の島) (釣魚島、Chougyo Toh)面積:3.82ku、最高標高:363m 石垣島北西方170km(尖閣諸島西端)で、250mの急峻な崖が東西に横断 なお、上空は日本が管轄する防空識別圏であるため、航空当局の許可があれば島上空を飛行することは可能で、付近には民間航空路が設定されている。 2012/1/16に日本政府は排他的経済水域 (EEZ) の基点となるにもかかわらず名称が不明であった離島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、2012/3/2には名称が決定。この中には尖閣諸島近海の4島が含まれ、このうち久場島付近にある3島は ・北西小島、 ・北小島、 ・北東小島、 ・大正島付近にある1島:北小島 と名付けられた結果、本諸島には計3つの北小島が存在することになりました。 参考HP:〜 ・東シナ海と尖閣諸島の場所地図(尖閣諸島と、西表島・石垣島・宮古島・沖縄本島) ・尖閣諸島の場所地図(日本語) ・魚釣島から付近島の地図(日本語、釣魚島から久場島、大正島などの場所地図) ・魚釣島から付近の島の場所地図(日本語) ・魚釣島の地図(日本語) ・魚釣島の写真(横から) ・魚釣島の写真(真上から) ・久場島の地図(日本語) ・久場島の写真 ・大正島の地図(日本語) ・大正島の写真 ・北小島と南小島の地図(日本語) ・北小島と南小島の写真(南小島、北小島、魚釣島) ・南小島の写真 ・北小島の写真 ・沖の南岩の場所地図(北から:沖の北岩、沖の南岩、魚釣島、飛瀬、北小島、南小島) ・沖の南岩の写真 ・中岩と南岩の写真 ・飛瀬の地図(日本語) ・飛瀬の場所地図(魚釣島、飛瀬、北小島、南小島) ・東シナ海の地図(日本語) ・尖閣諸島の写真(南小島、北小島、魚釣島) ・尖閣諸島の場所と地図(日本語) こちらで、領土の帰属をめぐる紛争地帯の ・南砂諸島 ・西砂海戦 ・北方四島 ・竹 島 ・尖閣諸島紛争 ・ガ ザ ・パレスチナ紛争 ・フォークランド戦争 ・チャコ戦争、をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成 H25:.2013/1/13、令和 R3:2021/10/1 |