ガザ GAZA 地区
1957
UAR UAR
白い色の所が ガザ 地区 ガザを開放
地中海








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ガザは
アラブ国家の一部
GAZA
PART OF
ARAB
NATION
パレスティナ難民
1957 ガザ開放5周年 1962
GAZA PART OF ARAB NATION
エジプト 1962/5/7 発行
エジプト 1957/5/4 発行

第1次世界大戦後はイギリス領でしたが、第1次中東戦争(1948/5/15ー1949/7)でエジプトが占領し、第3次中東戦争(1967/6/5ー1967/6/10)でイスラエルが占領、1993/8/20のノルウェーのオスロ合意からパレスティナ領となりました。

・面積=3,823 km2(日本の長崎県は4,094 km2)。
・2005/7の人口=140万人と推定(日本の長崎県は145万人=2007/10/1)。
・ガザ地区の中心都市は ”ガザ(Gaza)” で、通貨は イスラエル・新シェケル(NIS)。

・参考:〜
第3次中東戦争は6日間戦争とも呼ばれ、1967/6/5にイスラエル空軍機がエジプトシリア、ヨルダン、イラク領空を侵犯して各国の空軍基地を奇襲攻撃し、計410機にも上る航空機を破壊。この「レッド・シート作戦」によって制空権を奪ったイスラエルは地上軍を侵攻させ、短期間のうちにヨルダン領ヨルダン川西岸地区、エジプト領ガザ地区とシナイ半島、シリア領ゴラン高原を占領しました。ヨルダンとエジプトは6/8に、シリアも6/10に停戦。延べ6日間の電撃作戦でイスラエルの占領地域は戦前の4倍以上に拡大。ヨルダンが守っていたエルサレム東側に突入したイスラエル兵は感きわまって涙を流したといわれています。しかし、国際世論はイスラエルの行動を「侵略」として激しく非難、イスラエルは国際的な信用と、それまでのユダヤ人への同情心を失いました。

第4次中東戦争(1973/10/6ー1973/10/26)は、アラブ側の奇襲作戦で始まりました。アラブ側は最初はスエズ運河周辺のイスラエルに大損害を与えたもののイスラエルが巻き返しを図り、逆にアラブ側が苦戦することとなり、米ソ両国の提案で停戦。

そして、原油価格の管理権がメジャーからOPECへ移って石油が高騰し、石油危機(石油ショック)が起こり、世界経済にも深刻な影響を与えました。その石油価格の高騰は日本において深刻な影響を与え、オイルショックとして日本の高度経済成長時代を終らせました。この事件によって遠く離れた中東での紛争が自国に無関係でないことを一般の日本人も自覚することとなったわけです。

1975年6月に、第三次戦争以来停止していたスエズ運河の通行が8年ぶりに再開されました。

参考HP〜ガザ地区の地図位置

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        07/10/26、09/2/2
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