切手で綴る 太平洋戦争 物語 第3部 <米国の反抗> 第10章 反攻前夜 46 <Mr.ルーズベルト> 1940/11/5 米国大統領に3選される |
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(59才、1933-45)は 1940/11/5、 アメリカ史上初の3選を果たして、 第32代大統領に就任しました。 議会で演説するルーズベルト大統領 |
Roosevelt Elected to Third Term 1940 マーシャル諸島 1992 発行 |
1940/11/5、フランクリン・デラノ・ルーズベルトはアメリカ史上初の3選を果たして、 第32代大統領に就任しました。 (1939/9/.8、には第2次世界大戦による国家非常事態宣言を発令しました) |
47 <ルーズベルトの4つの自由演説> 1940/1/6 Roosevelt's Four Freedams Speech 1941 |
言論の自由 | 欠乏からの自由 | ||
信仰の自由 | 恐怖からの自由 | ||
マーシャル諸島 1992 発行 |
1941/1/6、「4つの自由」を演説:〜 1931(昭和6)年9月18日の柳条湖事件からはじまる満州事変、1937(昭和12)年7月7日の蘆溝橋事件に端を発する日中戦争の本格化の過程で、それまで帝国主義的なアジア侵略を続けて来た帝国が、事実上はじめてアジア諸民族からの本格的な抵抗をうけるに至りました。具体的には中国人の左派右派を問わない徹底抗戦であり、欧米列強もアジアにおける中国を初めとする帝国の被侵略民族支援に動いたのでした(この時期のフィリピンとアメリカとの関係〜1934年アメリカ議会の決定で、フィリピンは1946年の独立が約束されていました〜に見られるごとく、欧米列強のアジア植民地支配政策はすでに退潮期に入っていたのであり、「大東亜戦争」によって帝国がアジアの植民地を「解放」したという主張は間違いです。それは帝国の「アジア主義」という外交理念と、帝国以外の諸民族の外交理念との戦いであり、その最も良い象徴的な例が、1941年1月6日(日本時間:1/5)に毎年恒例の一般教書演説の中で第32代ルーズベルト大統領が行った「4つの自由」に関する演説です。 4つの自由とは、 ・言論の自由 (freedom of speech and expression) ・信仰の自由 (freedom of worship God) ・欠乏からの自由 (freedom from want) ・恐怖からの自由 (freedom from fear) ですが、アメリカはこの4つの自由が「世界至る所」で実現するのを念願している、とルーズベルト大統領は述べました。「帝国主義国アメリカ」から発せられたこの理想は、決して欧米市民だけのものではなく、「全人類が追求すべきもの」と明言されたのです。中国は帝国の「アジア主義」を拒否して、「4つの自由」の獲得のために世界と連帯しました。帝国の「アジア主義」は他ならぬアジアの民衆によって否定されたのです。さらに「アジア主義」は、アジアの諸民族に、深い相互不信と個々人の中に癒し難い傷を残しました。朝鮮の親日派、台湾の植民地教育を受けた世代、中国の「漢奸」、タイのピブン政権を支えた人々、インドネシアの「ヘイホ(兵補)」、インドのチャンドラ・ボーズ・・・など々。解放(帝国の敗戦)後、これら対日協力者と抗日独立派との間には深刻な対立が残り続けたのでした。 ・「4つの自由」演説の全文 The first is freedom of speech and expression -everywhere in the world. The second is freedom of every person to worship God in his own way -everywhere in the world. The third is freedom from want, which, translated into world terms, means economic understandings which will secure to every nation a healthy peacetime life for its inhabitants -everywhere in the world. The fourth is freedom from fear, which, translated into world terms, means a worldwide reduction of armaments to such a point and in such a thorough fashion that no nation will be in a position to commit an act of physical aggression against any neighbor -anywhere in the world. ・参考:〜 第一は、言論と表現の自由です〜世界のあらゆるところで。第二は、全ての人が自分の仕方で神を崇拝する自由です〜世界のあらゆるところで。第三は、欠乏からの自由です。それは、一般的な言葉でいいかえれば、どの国もその住民のために健康で穏やかな生活を確保するという経済的な理解を意味します〜世界のあらゆるところで。第四は、恐怖からの自由です。それは、一般的な言葉でいいかえれば、いかなる国もその隣国に物理的な攻撃をしない徹底した方法で、世界的な軍縮を意味します〜世界のあらゆるところで。 |
48 <枢軸国占領地の地図> 1941年 枢軸国:大日本帝国・ナチス独逸・イタリア |
大日本帝国の占領地 | ナチス独逸とイタリアの占領地 | |
第2次世界大戦勝利記念シリーズ USA 1991/9/3 発行 |
49 <米国が被占領地切手を発行> 1943〜44 被占領地13ヵ国の国旗を描くシリーズ年 |
アルバニア ALBANIA |
オーストリア AUSTRIA |
ベルギー BELGIUM |
チェコスロバキア CXECHOSLOVANIA |
デンマーク DENMARK |
フランス FRANCE |
ギリシャ GREECE |
ルクセンブルグ LUXEMBOURG |
オランダ NETHERLANDS |
ノールウェイ NORWAY |
ポーランド POLAND |
ユーゴスラビア YUGOSLAVIA |
|
|||
”KOREA” | |||
大日本帝国、朝鮮を併合宣言 明治43年 (1910/8/22) USA 1943-44 発行 |
・参考:〜 韓国発行の 「朝鮮の反日英雄」 切手
|
50 <リメンバー・パール・ハーバー> 1941/12/8 真珠湾を忘れるな! |
ルーズベルト大統領 USA 1965-78 発行 |
議会で演説する ルーズベルト大統領 US Declares on Japan, December 8、1941 USA 1991/9/3 発行 |
アメリカ合衆国(USA)第32代大統領、 フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt) 生没:1882/1/30〜1945/4/12(63才) 任期:1933/3/4〜1945/4/12 出身:ニューヨーク州ハイドパーク 学歴:ハーバード大学 政党:民主党 USA 1963/10/11 発行 婦人:エレノア・ルーズベルト(Eleanor 1884-1962:78才)。 初代よりの「2期で引退」と言う慣習を無視して史上唯一の4選を果たした大統領です。しかし、これ以降は「憲法修正22条」で3選が禁じられました。 女性閣僚を初めて任命した大統領で、家系の中に過去11人の大統領の名前があります。(血縁で無い人含)名前にあるルーズベルトは直接の血縁ではなく、エレノア夫人の父親が第26代大統領ルーズベルトの弟でした。ルーズベルト大統領が創設したアナニヤ・クラブは、うそつきであることが会員資格となっていて、アナニヤとは聖書に出てくる人物で、英語(Ananias)では、うそつきの代名詞。ルーズベルト大統領は収集癖があり、7才の時に始めた切手収集から、画集、船のモデルなど数多くの物を集めていました。仕事に疲れると2階の寝室で切手の整理をするのが最大の息抜きで、帝国の真珠湾奇襲の時も、切手を見ていたといわれています。円満な家庭を演じていましたが、実は大統領になる前から夫婦仲は冷めていたらしいのですが、政治的な意味で離婚は不利になるということで離婚はしないと二人は取り決めをしていたそうです。大統領はエレノア夫人の元秘書と長い間愛人関係を続けていて、ルーズベルトが倒れた時もそこにいて、最期を看取ったといわれています。 アメリカのルーズベルト大統領(59才)は、1941/12/8(現地時間)米国議会で 「リメンバー・パール・ハーバー」 (Remember Pearl Harbor ! 、真珠湾を忘れるな!) と演説して、帝国に対して宣戦布告しました。 こちらで ・ドーリットルの東京空襲 をお楽しみください。 参考HP〜 ・USAの地図(領土拡張の推移地図) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/9/26 |